一からはじめよう

 今日は2007年に出版した「名もない日常のSTORY」という本の中からこの作品を紹介します。


 ふと天を見上げると、そこにはまるで吸い込まれてしまいそうな生まれたての青空があった。
 産声を上げたばかりの青空の清々しさは、そうだね、それは描き足りぬ未来のキャンパスのきらめきのようさ。


 経済戦争に明け暮れて心に傷を負ってしまった、我が日本国民の皆様はじめまして。
 われわれはどこかでかけ違えてしまった時代のボタンの過ちに、日々悲しみを覚えるように暮らしているのでしょう。
 毎日テレビをつければ悲惨な事件事故のニュースが、ごく当たり前のように報道され、心にとげが刺さったまま、また眠りに就く日常が続いています。
 寂しさを独り部屋の片隅で抱きしめてみたとしても、やり切れぬ思いで頬を濡らしておられる方々が多いことでしょう。


 様々な心の痛みに満ち溢れ、精神的飢餓や貧困の世界は、何だか昭和二十年の終戦の年にやけに似ているな、なんて俺はそんな風に独り感じていました。
 来年は、このままいけば平成二十年になるのです。
 そうです。平成の世ははたちを迎え、いわゆる大人の仲間入りをするというわけです。


 終戦後、なにもない焼け野原の町を今日ある豊かな文明大陸にまで築き上げた、わが日本国の優れた多くの先輩方の、言葉には決してできぬ汗と苦労に心から感謝の気持ちを申し上げさせていただきたいと思います。
 戦後の日本の歩みを振り返ってみますと、もちろん成功も失敗もそれぞれにたくさんありました。


 そして平成十九年である現在、昭和という物質的繁栄の時代が恵んでくれた豊かさの中で、その繁栄の時代の犯してしまった過ちの代償に、精神的世界の飢えに直面せざるを得ぬ現実にぶつかってしまいました。
 僕はこの経験を一種の精神的被爆体験であるという風に認識しているのです。



 平成四年に起こったバブル崩壊のシナリオは、日本国民の全ての価値基準をくつがえすような威力を持ち得た原子爆弾の炸裂であったと仮定してみたのです。
 高度経済成長は国家にとって、また国民一人一人にとって多大な利益を生んだと同時に、それが経済戦争であった以上、敗戦時にはそれに見合ったつけが回るのは避けることのできぬ問題であったろうと思います。
 あらゆる社会システムがバブル崩壊前の世界のように機能を果たさなくなった現代、この文明大国という名の巨大生物は体を病み、そして、その巨大生物の生命体の各組織細胞であるような我々個々人は心を病んでしまっているのです。


 俺達は今、新しき価値観の中に生まれ出ようと苦しみもがく赤子のようなものですね。


 物質的繁栄を目指せばよかった戦後の日本とは違って、我々は精神的飢餓の世界からの脱却という、もっと難しい挑戦の時代の中に生かされているのです。
 その心の痛みは、もっと人間が素晴らしき真の幸福を見つけ出せるようにと神様が御与えになった愛のレッスンであると俺は考えます。
 今後、日本がどのように変わっていくのかなど答えは初めから何一つないのです。
 ただ、あるのは俺達一人一人が一体何を望み、一体どんな未来に向かって歩いて行こうとするのかというそのことだけでしょう。


 世界の国々の中でわが国の国際競争力の低下は、まさに経済戦争に明け暮れ、痛み傷ついてしまった心の未来に対するモチベーションそのものと言えるでしょう。
 俺達はこの悲嘆に暮れた泥沼のような毎日から這い上がり、世界の先進国としてあとに続く国家に対し、同じ過ちを繰り返させぬよう責任を担う義務を背負っています。


 自然と文明との調和のとれた世界の実現のために、俺達はそれぞれが今抱えた痛みの中で一つ一つの真実を勝ち取っていかなければなりません。
 心の痛みは正しさを教える尊き人生の師だと言えるのです。
 格差社会や精神的貧困の世界の中において、大衆の多くは自己の生命の危機を回避するために心を頑なに閉ざし、自己愛に逃げ込む動きが活発化しています。
 もちろん、それとは逆に心静かに時代の流れを冷静に見つめ、社会に対して自分に今日できることは一体何なのかを問い続け、能動的、建設的に自分の置かれた状況から必死に働きかけようとしている人々もまたたくさん存在しています。


 俺は芸術の持つ力を強く信じます。
 この欲望に塗れ偽りに閉ざされてしまっている世界では、人々は互いの真実の姿を正しく正確に把握することができないが故に、誤解しあった部分で哀しく日々いがみ合ってばかりいるのです。


 その心の偏見の壁を打ち破り、閉塞した現実を打破して、人と人の心を通い合わせる可能性を多大に秘めたものが即ち優れた芸術作品であると考えているのです。
 しかも、様々な芸術の中においても、音楽という表現媒体に俺は特別な思いをもっているのです。
 音楽は言葉を完全に超越してしまっている次元で人々にその影響力を発揮していきます。
 より高い次元の世界に音楽家が意識をチューニングして生み出された音楽は、言わば俺達の本質的性質に完全にフィットし、そのフィーリングは闇の世界を彷徨う多くの人々の魂を浄化し清めていくのです。
 天の波動を持つ音楽は、本質的世界のバイブレーションにより傷ついた魂を愛で包み込み、真実を諭しながら心に降り注ぐ希望の光の如く未来を信じ続ける勇気を俺達に与え育んでくれることでしょう。


 そして、俺もまた、この国のこの時代に育まれ、心を病んでしまった存在として日々、芸術に己の魂を吹き込みながら生きています。
 俺は、時代という名の土俵際に追い込まれた力士の如く、決めの一手に命を懸け、大衆に真実を訴えかけていくのでしょう。


 一から始めよう、今日できる小さなことから。
 一から始めよう、それがやがて、とてつもなく大きな希望を生み出すのだと信じてごらんよ。


 今、俺達を取り囲んでいるこの世界を劇的に新しく生まれ変わらせることのできる可能性を秘めた最大の力は、まさにそんな日々のささやかな営みでしかないのです。
 そして、それが最も遠いようでいて最も近い希望への道のりなのです。
 地に足を着け、自分を見失わないでいることが俺は何より大切なことであると思います。


 一から始めよう、様々な痛みを抱えた今日というこの日から。
 一から始めよう、命燃えつきてしまうそのときまで諦めず、投げ出さず。
 一から始めよう。


 俺の見上げた青空はどこまでも高く澄んで広がっていた。


 そして、限りなき情熱のメロディーは、一つ一つの音符を天使に与えられ舞い降りるが如く、我が心の大地へと降り注ぎ、神様の願いに縁取られた様式美をまといながら、偽りと真実、欲望と愛とを統合させ、きらめいていた。
 即ち、俺にとっての歌は命そのものであり、また人生そのものであったのです。
 限りある命の美しさを讃美しながら、俺は音楽の神様と向き合い、いつまでもいつまでも対話を続け希望の未来を願い、この世界に祈りをささげていました。