バイアス

お久しぶりです。
ソロ活動を長らく休止していましたが、久しぶりのこのブログへの散文の投稿となります。
コロナワクチン接種が本格化しようとしている今、僕の思いを伝えます。
皆さんに散文を読んで頂き、僕の思いを共有してもらえることを願っています。


バイアス

毎日に起こる出来事とは、巨大なジグソーパズルの1ピースを手に入れてはこの場所かあの場所かと迷いはめ込んで行く作業であるかのようだ。
全ての出来事は1つの事実に沿って生まれ、必然性の下に存在している。
不自然に見える物事の1つ1つでさえも真実というものを僕達が知り得るならば、全て間違いなく自然界の法則を通し必然性の下に存在しているという事は明らかなことだろう。

ほんの些細な心の中に起きるさざ波や疑問に対して、感覚を研ぎ澄ませ生きることを始めなくちゃ!


例年に比べ相当に早い梅雨入りの意味とは何なのだろう。
例えばこんな1つのテーマに沿ってあーだこーだとその意味を考えてみる事は、時代に一体何が起きているのかを理解して行く上で面白いアプローチになるかもしれない。
人間的な本当の賢さとはどんなものだろうかと考えてみる時、物事をよく観察して自然法則に添い営まれている生命活動への理解へと向かう一連の分析能力のことではないかと思った。
赤ん坊は、ハイハイを続けながら腕の筋肉や背筋等体の筋肉を鍛えてやがて立ち上がる。
老人は、衰退して行く肉体を元気に保つ為にハイハイして運動するのも悪くないかもしれない。
最近僕の周りにいる人の中の1人の老人がそんなことをしていたという話を聞いて、頭のいい人だなぁと思った。
これは生きた学習の模範のような実例と言って良いかもしれない。
こういった自然の摂理に沿った生命活動への観察力を持てる人は、きっと上手く生きて行くことが出来るのではないだろうかと思う。
そしてこういった能力こそが人間にとっての本当の賢さのような気がする。
教科書が僕達に与えてくれる知識に頼らず、自分自身で感じ考え生きるということの大切さを僕は思う。
コロナの時代に於いても、ブレずに迷わず生きて行けるかどうかはそういった感性を持っているかどうかに関わる問題だと思う。
今日はこういったテーマに沿って僕の思いを語ってみようと思う。


狂った気候の変動の意味について考えてみる時、それは人類が経済活動や発展の為に環境破壊を続けて来たことで季節を狂わせ、自然の摂理からの恵みを受け取れなくなる結果を生じさせたと考える事は出来るだろう。
だがどうだろうか。
気象操作による人工的な現象ではないかと考えるアプローチもある。
人類はいつまでも争い続けている。
愛し合うことで生まれる互いの豊かさを信じられず、奪い合いに勝利し生き延びるしかあすはないと思い、小さな自我が不安から叫びを挙げているようなバイアスが存在している。

資本主義は現時点に於ける優れた社会システムであることに間違いはないと思う。
少なくとも軍国主義よりはずっとマシだと僕は思う。
だが露骨に権力を握る1部の人間が庶民を支配する構造は見当たらないかもしれないが、庶民が家畜として扱われているということに違いはないかもしれない。

僕達1人1人が家畜の羊だということを知らなくちゃいけない時が来たと思う。

ネットの世界には今沢山の真実に基づく情報が溢れている。
だがデマや詐欺も沢山混在している。
それらの情報を如何に判別し選択して行くかは、1人1人の感性に関わる話だろう。
資本主義社会は人間的で豊かに生きて行く為に僕達に備わっていなければいけない筈のその感性を根こそぎ奪い去ってしまった。
人類家畜化計画。
日本が戦後アメリカによって嘘のデモクラシーを与えられて来た日々を振り返った時に浮かび上がって来る総称としての呼び名だ。
行儀良く真面目になるようしつけられて来た僕達は、真実の情報に触れる度に心の中には様々な不安や恐れが生まれ、混沌とした現代の中で精神が萎縮してしまっている。
真実の情報に触れた時に心が疲弊して行くのは、そのようにプログラミングされ様々な価値観を育って来る中で植え付けられて来たということを意味している。
心が自由にならないように僕達はプログラミングされてしまっているのだ。
それはある1部の特権階級にいる人々だけが富を得られるようにと仕組まれたこの社会の詐欺に違いない。
ネットの情報を如何に汲み取るべきかについて迷い不安が生じているのは、そのことにより生まれた弊害であると断言して良いと思う。
庶民の心を自由に解き放てば、1部の特権階級にいる人達だけが得をする社会というのは成立しなくなる。
権力者達は家畜に逃げられた牧草主となる。
巨大資本に支えられ産業が生み出している商品の多くが、家畜に与える餌のような物だと分からなくてはならない。
トレンドもそういった要素に満ちている。
そしてその流れを遮らないように社会には強いバイアスが働き続けている。

今この社会の中で時代にカオスが巻き起こっているのは、1部の特権階級の人々の生活の安定を守る為の制度を崩壊させないように僕達の心理に組み込まれて来た思考が現実世界の中で起きる現象に対して反射的に反応して不安や恐れという感情を生み出しているからだろう。
バイアスとは真実を覆い隠すベールだ。
バイアスが時代という名の時空間に反射しこだまする人々の叫びの残響を轟かせている。
それがカオス状態の実態かもしれない。
カオスの発生とは、1部の特権階級にいる人々の都合の為に仕組まれて来た制度が崩壊しつつあるので、バイアスがそれを強固に働き守ろうとしているということではないだろうか。
バイアスが働く原理の根底に存在するものは、家畜としての庶民の心の中に沸き起こる不安や恐れという感情だろう。
その条件付けを自分自身が持っていることを多くの人に気が付いて欲しいと思う。
家畜が逃げ出さないように築かれた牧草地の柵に覆われた生活が資本主義社会というものだ。
1部の特権階級の人々に馬鹿にされるように不安や恐れを感じ脅えている。
それがカオスの意味であり、バイアスの正体だ。


コロナの時代について思う。
今僕が話して来た内容を踏まえた上で、よくよく冷静にこのコロナ時代を俯瞰して見つめてみて欲しい。
ワクチン接種を受ければ本当に僕達は生き延びることが出来るのだろうか。
特権階級による特権階級の人々の為の政治。
それが嘘の民主主義を支える根本原理だということを僕達は深く知らなければならない時が来たのだ。
その絶好の機会がコロナの時代である。
コロナワクチンはどの企業がどんな目的の為に生産しているものかを理解しなければならない。
安易にワクチンだから接種すればこれで大丈夫と考えてはいけない。
世の中は常に詐欺が横行している。
特権階級の人々の為にある特権階級の人々の為の政治であるということを忘れるべきではない。
コロナワクチンがどういった方向性に僕達を導こうとしているのか、社会的な活動の裏には常に違ったもう1つの真実の物語が進行している。
そういったことに気が付くか気が付かないかは、感性が生きているかいないかに関わる問題である。
念には念を入れて言っておくが、資本主義社会は感性を潰す為の教育を施して来た。
ある1部の特権階級にいる人々達だけが得をする社会を実現する目的の為にである。
基本原理としては家畜は黙って従えという思想に基づく。

ネットの世界には有益な情報が沢山あるが、端末を操作してネットをすること自体が不得意な人も沢山いる。
そういった人は家族や知人の中でネットの得意な人から情報得るのもいいかもしれない。
端末操作が苦手な人の中には、ネットの世界自体を毛嫌いするような人の姿を見掛ける。
端末操作が不得意という自分に劣等感を覚えるネットの世界を否定することで、自分の自尊感情が傷つかないように保とうとしているように見える。
だけど今やネットの情報を得るという事は、個人が自身の権利を守ろうとする重要な事柄となっている。
苦手だからと避けていては生きて行けないという問題になっていた。
だからそういった人はどうか心を開いて様々な情報に触れ、自分の命や権利を守るように努めて欲しい。
今多くの人が端末を手に社会の矛盾に声を挙げ、支配者層と日々戦い続けている。
SNSでは真実の情報が大量に流れ続けている。
だがSNSは支配者層によって牛耳られているので、そういった人々にとって不利益に働く情報はたちまち削除されて行き、そんないたちごっこのようなことが繰り返されている。

散文を長々書き僕が自分の思いを伝えようとしても、文字離れをしている人も多い。
資本主義社会に於いては自分で感じ考える能力を削り取られるように育って来ているので、本当の意味での勉強する能力が衰えてしまっているのだ。
活字に対して苦手意識を覚えている人が存在している訳は、そういった構造の中で育って来たからだろうという気がしてならない。
音楽や文章等様々な表現媒体を通しながら、僕のような表現者は受け取ってもらい易い方法を様々に模索して行かなければならないのだろう。

ネットの世界が普及して以来、娯楽パラダイスになった日常。
昔のように流行歌を皆で口ずさむなんて現象は起き難い。
趣味が多様化しているので、皆好き勝手に分断を生じさせながらでも個人の好みに偏って行く傾向が見られるようだ。
そういった意味ではバイアスが掛かり難くなっているかもしれない。
物事は全てプラスとマイナスの要素を同時に併せ持っているものだろう。

日本人の他者を細かく思いやるような感性や美意識は素晴らしいと思う。
だがその反面余りにもおとなしく従順過ぎて、社会的矛盾に対して誰も異論を唱えないという欠点にもなっていると思う。
侵略戦争もない島国に育った僕達は、政治活動への関心率は世界標準からして随分低いように思う。
311が起こって原発事故に遭遇し、放射性物質の危険を訴えた人々が国会議事堂前でデモに生まれて初めて参加し体験した。
だが食べて応援という資本主義経済優先の社会システムの歯車を止めることは出来なかった。

そして今回のコロナ。
ワクチン接種が始まったと同時にコロナ感染者数が急増しているのは偶然だろうか。
ワクチン接種でコロナに感染させているのではないのか。
ワクチン接種を大量にしたインドで何故あんなにもコロナ感染者が死亡しているのか。
医者はコロナワクチンを打ちたがらない人が多い。
打って問題が生じれば自分が責任を問われるからだ。
大金を積んでワクチン接種をしてくれる医者を募集している。
それらの現実を記号のように並べて、一体何が起こっているのか冷静に考えてみればその答えは自然と導き出されるように思う。
薬害訴訟問題みたいにまた社会問題が新たに生み出されて行くのではないか。
歴史は繰り返される。
人間なんて安全な物を食べて太陽の下で元気に働いていれば健康に生きていられる。
神様がそのように作っている。
不自然なことをするから病気になっているだけだろう。

社会不安が吹き荒れる。
当たり前のことだと思う。
人の心が彷徨っている訳は、偽の情報を与えられて錯乱状態に陥っているからだろう。
嘘は心の毒だ。
人々は目隠しをされて崖に向かい歩かされているかのような日常だ。
大丈夫だよと誰かの嘘やデマを信じている。
不安にならない方が不自然だ。


結局コロナワクチンは、人体実験を重ね十分人に有害で免疫システムを破壊することが認められたからこそ実用化されたヤバい代物ってことだろうなという怪しさに満ちている気配がした。
テレビやメディアが異様にワクチン接種を推進している。
PCR検査は大切だろうとコロナ発生当初考えたが、蓋を開けてみれば検査自体がきな臭く信用性に欠けている。
どこかからの命令の下操作された茶番の臭いがするようだ。
街ではワクチン接種推進を訴える宣伝カーのスピーカーからのアナウンスが流され、ジャパニーズスタンダードを庶民に呑み込ませる目的の為でしかないと思える気配に包まれ、一見平和的で民主主義的な平和な風景として装われ庶民の暮らしにまんまとファシズムが紛れ込んでいるように見える。
まるで死にに来いと言っているかのようだ。
それが分かる人間が本当に少ない。
骨の髄迄家畜化され切ってしまっている。
社会の表舞台が推進しているものだからこそ逆にヤバいのだということを知らなければならない。
だってここは資本主義の国なのだから。
命ではなく経済が第一優先の社会だ。
庶民は家畜や奴隷で用が済めば捨てられる。
当たり前だ。

コロナワクチンによりコロナに感染させられて、今度は感染源となり更に感染拡大に貢献する役目を背負わされて行くのだろう。
はっきり言ってしまえば人殺しの汚い仕事を無理やりに押し付けられているのだ。
そして何故自分がコロナにかかったのかや人殺しをの役目を背負わされたことも知らないままにこの世を去る。
知らない内にテロリストにされて闇に葬られるのだ。
それが資本主義国というものだろう。
本当に悪い奴らは自分の手を汚すことなく優雅に遊んでいる。
家畜は牧草地で群れて過ごし何となくのどかな気分に浸り平和を謳歌しているつもりで生きていたけれど、真実なんて何1つ知らされることはない。
コロナワクチンを打って病気にならないようにしようねと飼育員に言われ、真面にその言葉を信じている。
僕がコロナ対応に努めるこの社会に感じているのはこんな所だ。
多くの人はもう十分に洗脳され切っているので、たとえ僕がこんな風に言っても僕の言葉を信じないだろう。
奴隷として育てられ、いつしか奴隷根性と言われるものを持ち奴隷でいることを自ら志願するような暮らしを続けて行く人々。
奴隷でいるとある種の楽さがある筈だった。
その楽さというものが牧草主から与えられる報酬だっただろう。
自立する為にはその楽な世界から抜け出さなければならない。
それを成し遂げられる羊は1部だろう。

この国ではこれ迄偽のコロナ患者が作られて来て実際に感染の危機に遭う確率は低かったかもしれないが、ワクチン接種が実施された以降の暮らしがとても心配だった。
大量に本物のコロナ患者が急増して行く。
人工的に作られたウィルスで免疫系統をやられて行くのだろう。
ただの風邪やインフルエンザをコロナと偽り、そして今度は人工的なウィルスをワクチン接種によってばら撒き感染拡大を図る。
テレビやメディアは益々コロナの恐怖を煽り立て、庶民がワクチン接種を受けるように促す。
ネットの情報に触れていて、まぁこの辺りがこの社会の構造の中で起きている事実ではないかという気がする。

東京五輪だとメディアが騒ぎ立て、アスリートファーストなんて恐ろしい言葉が平然と使われ、いつまでもどこまでも気の狂ったようなジャパニーズスタンダードが日常を覆い尽くしている。
アスリートは一等兵扱いであるかのようだ。
五輪という世界的スポーツの祭典で戦争をしている。
五輪発祥の由来など建前上の理念へときっと落ちぶれた。
軍服からスーツに着替えたような政治家が国会議事堂内でたむろしている。
大日本帝国は続いているのだ。
この社会の根幹にあるのはファシズムなんだ。
死にたくなって当たり前のような日常だ。
嘘の中にどっぷり漬け込まれているから心が苦しんでいるんだ。
時短で夜間営業禁止の飲食店街。
政府が給付金をさっさとばら撒かなかったのは救済する気がなかったからだろう。
口先で言ってることなんて信じることは出来ない。
やっていることこそがその人間の考えに沿った行動である事は明らかだ。
コロナに関する報道を恐ろしく感じる人が多いのではないかと思うが、恐ろしく感じさせようとしているのだろう。
恐ろしく感じさせて自分達の利益を生み目的を果たす為だろう。
本当に報道に愛があるならば、人々を安心させながら事実を優しく伝えようとする報道姿勢を取る筈だ。
だから結局人々を不安がらせてバイアスを掛けようとしている風にしか見えない。

コロナワクチンはたぶん危険だ。
家畜が増え過ぎたから処分しようとしているのかもしれない。
メディアから流れて来るコロナの情報について、疑わしくて胡散臭い内容が感じ取られるようだと僕は思う。
1部の特権階級にいる人々達が得をする為に世界を機能させようとする時、庶民を不安がらせ自分達の思惑通りに躍らせる巧妙なトリックが仕組まれているということを知らなければならない。
メディアはそれを成し遂げる為に使われ機能して来たのだ。
だから公の発表を鵜呑みにしてはいけない。
311の時もそうだし、コロナも自然災害による被害であるかのように報道されているが、これは人類が私利私欲により欲望を満たそうとする時引き起こした戦争による被害だと考えて良いと僕は思う。
常に報道に感じる違和感が僕の中にはあった。
感性を研ぎ澄ませていれば感じることが誰だって出来る筈だ。
資本主義社会はその感性を根こそぎ奪って来た。
そればかりか人間としてまっとうな感性を持たないように、心が真実の情報に触れた時不安がるように様々な価値観を人々の心に植え込んで来た。
様々な情報が混在するネット社会に接触した時、人々の心に巻き起こっている不安とはそのような経緯の中で培われて来たものだ。
感性が生きていれば情報を自分で取捨選択することが可能だが、多くの人々は今それが出来ない状況に陥ってしまっている。
そのことをまず知って欲しい。

社会的に叩かれている人が実は誠実な人で、多くの人々の幸福を願っている人だったということがある。
メディアが善人を悪人に仕立て上げて行く。
ある1部の特権階級の人々の利益の為に行われていることだ。
それが世の常であるということをくどいようだが伝えておきたい。
社会的成功なんて、そんなシステムの中で上手くやったということでしかないと考えることも出来るかもしれない。
だから資本主義社会の中で成功した者が絶対的に優れているということではないということが言えると思う。
実に権威に弱い世間だが、上からのお零れにありつける社会構造は実質終焉している。
過去の社会の中での成功者達の姿を追い求めていても、もう新しい時代を生きて行く為の模範となるような回答は得られないだろう。
何が本当に成功であり素晴らしいのかということの意味が入れ替わって行く。

だが現在僕達が生きているのは紛れもなく資本主義社会である。
そのシステムの中で上手く生きて行かなくてはならないという現実があった。
人の心は弱いから、正しい事が何であるかということよりも社会に 上手く順応し生き残ることを最優先して行く毎日が続いている。
芸能界にいる人気者にしてもそうだ。
大衆の目をたとえ欺き大成出来たとしても、時代を超越した普遍性を勝ち取ることは今ある成功モデルの枠の中では達成出来ない。
そのことをまだ誰も知らない。

コロナワクチン接種が実施され始めたから一安心。
そういった意識が広がっているのが今の日本社会である。
自分達が騙されているのだという視点はその中にはない。
それを疑う行為は世の中から疎ましがられる。
真実へと回帰する流れを食い止めるように思想統制されているから、世の中はそのように働く。
日本社会は非常に同調バイアスの強く働く社会だ。
昭和の長き戦後の平和な時代がそれを培って来た。
戦後の日本を導いたのは誰か。
それは戦争に勝ったアメリカサイドの人々である。
日本は属国で権利も自由もその時奪われてしまったのだ。
だから今ある日本社会の世論を疑ってかからなければならない。
311の時は同調バイアスが人の感性を封じ込め勝った。
資本主義社会が人間らしい営みを制したという形になった。
コロナ時代の今はどうか。

コロナワクチンは誰が開発しどこからやって来ているのか。
いい加減そのことを僕達は1人1人が深く考え見つめなければならない時が来たように思う。
人任せ、政治任せの人生ではいけないということだ。
自分で考え感じ生きる。
ジャパニーズスタンダードがそのような流れへと回帰して行くことを僕は強く望む。


テレビやメディアは洗脳装置だ。
人々を不安がらせ、1部の特権階級にいる人々の富を守る為に働いている。
国のあらゆる省庁からのお達しが狂っているという視点を持つべきだ。
コロナ情報自体がでっち上げだと考えてみるべきだ。
今あるカオスは、資本主義社会の崩壊前夜の一大イベントだと時代を俯瞰して見つめてみて欲しい。
バイアスが強く働いている時代だが、それはつまり資本主義という名の牧草地を囲む家畜を逃がさない為の柵が破られつつあるということでもあると思う。

神風が吹く

そう言って特攻隊員達は零戦に乗り、突撃命令に従い戦場へと向かった。

コロナワクチン接種を受けることとマスクや手洗いをすることと3密を避けることで安全

そう思って資本主義を支える家畜達は、牧草主の思惑など知らずコロナ戦争に駆り出される兵士となり日々を生きていた。


第2次世界大戦。
311。
コロナ。

全てが同じ戦争だと考えて良いように僕は思う。
僕のこの記事を読んでもしも僕の思想を排除したいような気持ちになったとしたならば、それこそがつまりはここで僕が語って来たバイアスというものではないだろうかと考えてみる視点をどうか持ってみて欲しい。


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