秋葉通り魔殺傷事件を追い
はじめに
スラム化していく街角の路上に一吹きの時代の風が吹きつけ、男は徹底的に社会の戒律を破壊し、反逆しようとした。
バーチャルな視覚映像に魂を浸け込まれている様な、苛立ちとため息の入り混じった不埒な日常のリズムに、精神がいかれちまった連中がまた、悲しみの奴隷と化し、模造の世界の見えない悪意に心を潰されながら、必死に嫌悪と脅えとを胸の奥に呑み込んで闇の世界の魔力に吸い込まれていくんだ。
一見現実逃避の様でありながら、逆に世の中の実態を摑もうとする行為にも似ていて、その表情はとても矛盾に満ちた真理を謎めいて湛え、複雑に色づいていた。
バランスを失った世界は恐怖に歪みながら、全ての輪郭をなぞるだけの優しさがどっちを向いてもどこにも見当たりはしなかった。
そして俺は、あの日を支点にとても無表情で凶暴な時代に、シーソーゲームを仕掛けようと決意を固めたんだ。
そいつが全ての始まりだった。
【True piece1】
仮想空間に迷い込んだかの様な、ほんのちょっぴりのスリルと偽物の自由とを人々は胸に宿す憧れに心奪われてゆくよ。
現実の壁という名の神の愛すらも、退屈に色褪せて見える映画のシーンの様に、群集心理に打ちのめされ欲望によってレイプされた日常の汚物と化し、社会ではいつも厄介払いされてゆくんだ。
とりとめもなく歌った靴底のトキメキの美しさで街角を歩行すれば、文明の先端で行き過ぎてしまった欲望の屍が腐敗して辺りに蠢く様に散乱し、僕らの抱えた鈍く歪んだ暮らしの肩を叩く様に、そっと語り掛けてくる囁き声の飽和に出会い、真実の破片を目の当たりにするだろう。
【True piece2】
街は今日も欲望を鈍感に吐き出し続け、燃え上がっているよ。
【True piece3】
梅雨空がとても狂おしく泣き叫んでいるから、きっと疾走を続ける時代の先端が歪んだ時空のレールのおうとつに跳ね上がり、僕らはまるで何かに脅えた子供みたいに当てのない暮らしの中で、心の虚しさと孤独を抱え、悲しみにずぶ濡れのまま立ち尽くし、震えているんだ。
【True piece4】
事件発生の第一報を耳にした時、僕の意識は深い霧に覆われ、思考はあっと言う間に不調和な理屈の山を生み出し、現実の壁を叩き続けていたんだ。
暫くの時が過ぎ去ると、僕の葛藤する意識も調和を取り戻し、次第に霧が晴れていった。
そして、その時初めに思ったことは、資本主義社会の犠牲者としての彼の姿についてだった気がする。
事件に対する世の中の反応は二極化している様に強く感じられた。
善意も悪意も働いていたことは言うまでもない。
そして僕が一番意識していたことは、社会現象として、まるで事件に何かの形で加担した人間の数だけの様々な批判の言葉の銃弾が、世の中全体に無秩序に飛び交い交錯していた点についてだった。
そして僕は気がつくと衝動的にそっと目を閉じ、自分の胸に手を当てて、事件の謎を解き明かす為の鍵を心のポケットに探し出そうとしていた。
【True piece5】
彼が必ずそこに存在して欲しいと切望していたもの。
そして、そんなものは決して存在しないのだと絶望していたもの。
自分がどんな過ちを犯してしまったとしても、必ず振り向き見守っていてくれる筈の母性という名の愛。
【True piece6】
劣悪な労働環境だとか、自分の抱えたコンプレックスだとか、そんなことは本当は大して重要なことではない気がしていた。
彼は止まった時間の中で過去に捉われもがいていたのだと僕は思う。
そして彼はそこで味わった孤独の重圧を払拭し、自分にのしかかった権力を殺そうと考えたのだと思う。
彼はその日、止まった時間の向こうの風景を訪ねる旅に出掛ける為に、犯罪者へと豹変した。
そして覚悟を決めて、時代の闇の扉を破った。
壊した扉の向こうで彼は、自らの発した狂気の描き出す生き地獄と、そして幼い日に置き去りになった幼稚過ぎる惨めな自分の姿をまざまざと目撃したのだと僕は推測する。
【True piece7】
彼はその日、絶望と悲しみの標高何千メートルの山頂の頂に登りつめた。
世界の全てを呪い、そして世界の全てに呪われながら。
その登頂は決して許されるべきものではなく、そして社会にとっては、その行為は決して排除すべきものではなかった。
【True piece8】
狂気の翼で自由な空へと舞い上がろうとしたお前は、痛烈に痛ましい無差別殺人鬼という名の決して愛された記憶を持たぬ、矛盾するこの世界の暴力の踏み台として君臨してきた悲しみの奴隷だった。
【True piece9】
壊され散乱した闇の扉が、時代に真実を突きつけている。
落書き未満のドラマ
一瞬、心に突き刺さる様な鋭い視線に睨まれ、彼は思わず歩調のリズムを狂わせた。
そして次の瞬間、街の狭い路地裏の壁に無数に刻み込まれた落書きの一つ一つが、自分に向かって降り注いでくるかの様なイメージに捉われ、時間の進行速度さえも乱され始めた。
一体今の感覚は何だったのだろう…。
次の瞬間にはまた日常の時間軸の上に自分の意識が存在していて、冷静に現実に感じたことを分析している自分を彼は意識していた。
そして、壁の落書きを見つめながらゆっくりとその場に足を止めた。
すると今度は壁に刻み込まれた落書きの様々な主張が、急速に進行し続けていた格差社会に対して、悲鳴を挙げるかの様に一斉に真実を洩らし語り始めるざわめきへと姿を変えて、辺りにとどろき渡った。
彼はそれらの飢えた凶暴な主張に呑み込まれまいと神経を尖らせて、冷めた無表情な時代の空気とは裏腹に、信念の発する無限の圧力をかざし、日常に曝け出された人間の心の闇の中に蠢く乱雑な唸りと、対等に渡り合う体勢を整えた。
一体何を俺に伝えようとしているのだろう…。
たとえ小さな一粒の雨が彼の足もとで弾けたとしても、そこに日常を彩る音楽としての要素は与えられていなかったのであろう。
その時、壁の落書きと彼以外の全ての存在が進入することを遮断された時空間が、そこに存在している様であった。
彼は、落書きの放つ鋭角な主張のその一つ一つに、自分の感受性のアンテナの全てを張り巡らせようと努め、時代の表情のうつろいの変化のどんな些細な意味さえも取り零したくないと強く思った。
無意味な記号の羅列にだって生命は宿っているのだ。
壁一面に広がったモノトーンな色彩の中に、時折原色の毒々しさが混ざり、不調和な陰鬱さに似合ったバランスの中で揺らめく欲望の炎を彼は黙って見つめていた。
落書きに宿ったありとあらゆる情報が、エネルギー体として彼の全感覚を通過し、駆け抜けていった。
何かが急速に進行しつつある。
彼は直感的本能で時代の変化を感じ取っていた。
一体どれ程の人が街の落書きの発する声なき声に心の耳を傾けるのだろうと、彼は同時に考えていた。
思考力の貧弱化に伴う、他人を裁く一方通行な自己愛が、とても冷たく理不尽な社会規範となって下流社会へと降り注ぎ、愛の飢餓の中で社会は既に根底から腐敗し切っていた。
そして、差別社会の権力は更に残酷な無差別意識を気づかぬうちに内包し、狂気によって全てが分裂していくシナリオを日々綴り続けていた。
全てはほんの束の間の出来事であった。
何かの吸引力が作用する様に、再び現実世界に目覚めた彼は、一瞬前に覚醒していた筈の感覚の鋭さを失い、それでも魂に息づく強烈な情熱の向かうべき方向性を確実に胸のうちに捉え、新たなる思考体系を止めることなく形成し続けていた。
そして、路地裏から表通りへと歩き始めた。
表通りから鳴り響いてくる街の喧騒が幾ら思考の配列に割り込む様に耳に飛び込んでこようとも、彼が目撃した路地裏の落書きの告白が伝えた社会のリアリティーの前では、全てが表面的な現象の様にしか感じられず、意識は少しもブレて揺れることはなかった。
前方を見定めたままのポーズで、取りとめもなく日常を歌い続ける靴底のトキメキの清らかさに意識を傾け歩行していると、冷静で中立な意識が発生させる強力な磁力を感じ、真実の破片に一瞬手が届いた様な辛辣さを彼は覚えた。
そして彼の瞳は、時代を射抜く様なとても鋭い知性の光を放っていた。
落書き未満のドラマ。
彼は胸のうちで、そっとそう小さく呟いた。
そして、路地裏の落書きの告白に対して意識に浮上してきたその題名を、また大切に胸の奥にしまい込み、梅雨の中休みの空を心が擦り切れてしまう程の情熱の温度を抱え見上げた。
六月の湿った空気の描き出すハーモニーを心の五線紙に書き加えながら、スラム化していく一方の社会の中で、本物の幸福や豊かさの意味を強く心に求め続ける彼の葛藤の悲鳴がハートビートと溶け合って、いつまでも熱くロックンロールを奏でていた。
I AM SINGER SONG WRITER
日常に降り注ぐ一瞬たりとも止まることなき時間の流れの中で、益々殺伐と錆びれてゆくばかりに見える商店街。
アーケードに掲げられた通りの名前も、どことなく昭和浪漫への片思いに色づき、セピア色の思い出を辿る旅への入り口の様にポッカリとその口を開け、彼の瞳にはとても退屈でいて魅力に溢れた風景に見えて仕方なかった。
歩道を飾る街路樹が時折風と戯れ、閉塞して病んだ時代の空虚さを悲しむ様に葉音をざわめかせた。
路地裏を抜け、表通りを希望の未来へと進行する意識の歩調で歩く彼は、街の奏でる無限のハーモニーに真実の物語を感じ続けていた。
平成が機能不全に陥った社会システムを抱え、人々の抱える暮らしは益々窮屈さの中で野生的感覚能力を退化させていった。
野性的感覚能力とは、人間の持つ生存本能を社会生活の中で知性と共に、強く、鋭く、鍛え、磨き上げていくべき資質のことであると彼はいつも考えていた。
孤独に裏打ちされたプラトニックなヒューマニズムへの自然回帰。
彼は、真の意味に於ける人間的強さについて、様々なアングルで自分自身の思考形態を分析し、胸にこの世の真理を求め続けてきたのだ。
もっと高く。
そんな風に彼は、激しい祈りと共に、世界の腐敗した思考形態が生じさせていた意識の重力にあらがう様に、澄み渡った意識の高みへと手を伸ばし、魂が砕け散らんばかりに情熱の炎を燃え上がらせ続けてきた。
平成がとても色褪せた無機質な時代に感じられ、昭和浪漫の放つ吸引力が勝り、社会は未来のビジョンを過去の追体験の中に観念的に摑み取ろうとしているかの様に彼は思った。
だが、もはや全ては崩れ去り、すがりつくことの出来るパターン化された成功モデルは存在せず、人々の意識によって新たなる世界の価値観が創造され、獲得に至るまでには時間が必要であった。
そして、その心理的不安定さが意味することの核心について、いかに自分の言葉を紡ぎ出すことが出来るかが、彼にとっての最大の課題となっていた。
未来に希望を見い出すことが出来ない象徴としての猟奇的事件の多発。
心の虚無感を埋め合わせる為の、人々の刹那的快楽への逃避行動。
心の葛藤を迂回し、情緒的脆さを直視する痛みを遠ざけ続けるばかりの低俗なエンターテイメントの蔓延。
不都合な真実を切り捨てることばかりに躍起になり、過去の繁栄の時代の代償を支払い続ける倫理なき権力は、社会正義を喪失した世界を牛耳る欲望の番人と化し、野蛮な社会構造を正そうとするもの全てに凶暴な牙を剥いた。
ドラッグとポルノパラダイス。
ほんの束の間の快楽と興奮。
人が心の中に燃焼させるべき、人生哲学という名の生命を謳歌させる本質的な魂の糧に気付ず、忘れ去ってしまった世界。
互いの存在の幸せを願い、祈る心の清らかさがあれば、本当は必要なものなんて何一つないのだと、彼は天を仰ぎ、嘆き跪いた。
同質の性質で共鳴する存在のみにしか心届かぬ世界で、もはや賢者は悲しみばかりを拾い集める砂漠の巡礼者の様だと、彼は街に吹く風に囁き掛ける様に小さなため息を洩らした。
彼は、人知れず真実の歌を紡ぎ続けた。
全ての魂がいつか安らぎの中で、自己の存在の正当性を思い出す日の為に、世界の悲しみに祈り、平和への誓いを胸の奥深くに大切に守りながら。
彼の名は常盤恭。
年齢三十四歳。
無名ミュージシャンであった。
その存在を確定する正式名称を彼はこう歌ってみせた。
I AM SINGER SONG WRITER
【True piece10】
涙が零れ落ちて止まらないんだ。
ああ、この胸は張り裂けてしまいそうに痛み、日常の苛立った空気に僕は、全てを抹殺されてゆく様だ。
全てが滅亡してしまえばいいと叫ぶ悪魔が、心の中で暴れている。
この世界はあまりにも理不尽過ぎるから、僕は時に自分自身の心を自己破滅へと追い込んでしまいそうな狂気に苦悩し、己の醜さと格闘しなければ生きてさえゆけないんだ。
ああ…。
誰のせいでもない。
本当は誰がいけないというわけでもないのかもしれない。
だから僕は、自分の抱え込んできた苦悩、孤独、この世界を呪う心の全てを愛に委ねたいと心から願う。
君の悲しみの全てを、このちっぽけな自分の心で受け止め切れるまで、いつまでも一人ぼっちで街の冷たい風に歌い続けていてもいい。
きっと僕はそうやってこれから先も、自慢にもならない自分の暮らしに、ささやかな希望の明かりを灯し歌い続けていくのだろう。
【True piece11】
なあ、俺はこの世界に愛のユートピア、ROCK PARADISEを創造したいんだ。
君の手を貸してくれるかい。