2011
年の瀬の迫る夕暮れの街並みは、去年の姿と大して変わらない様に流れ続ける。
クリスマスの夜に、子供達はサンタクロースに何を願い眠りに就いたのだろう。
玩具屋で手に入れることの出来るものだったら、きっとその子は今幸せに暮らしていると言っていいのだろう。
ニュースで流れる外国の少女の物語を思い出す。
父親が兵士として遠い場所に行ってしまい、とても寂しがっていた。
そして、サンタクロースに願ったプレゼントが、父親が家に帰って来てくれることだった。
ちょこんとサンタクロースの膝の上に座り、願いを告げる少女に、サンタクロースに扮した父親が応え、秘密にしておいた正体を明かした。
親子の感動の再会がニュースに流れた。
僕はそんな話を思い出しながら、今年もそっと一年を振り返ってみる。
政府発表の福島原発の冷温停止宣言。
沖縄の辺野古では、環境アセスメントの書類の件で揉めていた。
僕らは、一体何に従い生きているのだろうか。
今年ほど、この社会の常識について深く考えさせられた年はなかった。
僕の目の前に広がるリアリティーは、一年前と大して違っていない様だけれど。
確かに、福島からは遠く離れた街だから、呑気でいられたのかもしれない。
だけど、ただそれだけじゃなかった気がする。
政府の言う原発の冷温停止宣言の向かおうとしていたところとか、世の中の殺伐としたままの原発問題への無関心さとか、全てが正常バイアスに捕らわれている様だった。
人は、突如大きな恐怖に遭遇した時、何も出来なくなってしまうとの調査結果がある。
3.11以後の日本社会がまさにそうだったのだろう。
思わぬ事故や災害を目の前にして、思考や体がフリーズしてしまい、ごく当たり前の適切な判断と行動がままならなくなってしまう。
その事態に対して、日頃のシュミレーションが役立つそうだ。
次に何をすべきかを理解しておくことで、回避出来る危険がある。
そして、僕らのこの社会の平和とは、実に脆いものだった。
地球上に溢れ返る人類の中で、ほんの一握りの人々だけが富を得ることの出来るこの社会。
加速度を次第に早めながら、社会の闇も真実も、その一つ一つが明かされてゆく。
原発の安全神話崩壊のストーリーは、僕らの生き方や価値観の全てを浮き彫りにしていった。
そして、ほんの些細な優しい嘘すらも、何かこの頃は人と人を遠ざける様に反応しているみたいだ。
僕個人の話をすれば、他人の心が以前よりもより細かな波動として伝わってきた。
例えば、街通りの向こうにふと姿を現した人影を一瞬見ただけで、擦れ違う時、一体僕にどう反応するタイプの人間か直感がより冴え出していた。
人間って、その内言葉なくしてコミュニケーション出来てしまえるほど、直感的な触れ合いは増えていくのだろうと感じる。
僕にとってみれば、それはより音楽的な日常世界の到来を意味していた。
とにかく、この世界は嘘がつけなくなっているのだろう。
隠し事が出来ない何かの力が、強く働いている様だ。
政府にしても、色々な嘘の発表を重ねてきたけれど、人々は段々と3.11以後の正常バイアスから解放されつつあるみたいだ。
僕も、紛れもなくその一人に違いなかっただろう。
色々な葛藤が社会に充満した一年。
3.11はアメリカの仕組んだ人工地震だったという話も耳にする。
訳の分からない狂気の罠の中で、日本のおめでた過ぎた様な平和は幻想から嫌がおうでも目を覚まさざるを得ない現実を突きつけられた。
インターネットを通して、世界の闇に眠り続けてきた色んな嘘がバレ始め、意識の高い人々は目覚め始めていた。
これがジョン・レノンやマイケル・ジャクソンが命を懸けて闘ってきた闇の権力だったんだと改めてそう思う。
そんな年の暮れだ。
ミュージシャンとしての僕はというと、歌詞や散文がとても書き辛く感じた一年だった。
いや。書くには今まで通り書けるのだが、心の中で行き詰ってしまう。
そんな闘いをずっとしていたんだ。
結局、完成度の低い散文をブログにアップすることは減り、とにかくより納得のいく言葉を求めて作詞に膨大な時間を注いだ。
その甲斐あって、かなり満足のいく新しい歌を作ることが出来たと思う。
こうしている間にも、福島や東北の大地は冬の大寒波に覆われてゆく。
本当は、安全な場所へ保障付きで国や東電が疎開したい人全員を移住させてあげるべきだと、ずっと考えてる。
問題が解決なされない理由は、皆がもう知っている金。
古い体制は、もう滅びのスパイラルの中だ。
だから、僕らに出来ることは、それぞれの望むリアリティーを得る為に新しいコミュニティーの輪を作り広げていけばいいのだと思う。
そして、忘れてはならないこと。
それは、人生に何が起ころうとも、乗り越えられないことは起こらないし、何かを理解し、より成長を遂げ幸せになる為に色々な出来事が存在しているということ。