十八の夏

 十八の夏。


 僕は、プロミュージシャンへの憧れを胸に上京し、渋谷ハチ公前のスクランブル交差点で信号待ちをしていた。



 入り口はあっても出口の見当たらない世界。
 僕はあの頃、見る人によっては、アウトロー気取りの生意気な青臭さを雰囲気に纏い、社会の中でトラブルメーカーとしての位置づけに置かれることが多かったのかもしれない。


 自分の心の中にある何かを成し遂げる為の闘いを続けているつもりだった。
 そして、いつも決まって街の欲望に呑み込まれ、次第に自分が求める愛や自由なんて何一つ見つけられなくなっていく様な、焦る気持ちを感じていた。
 何故か、不意に自分が気不味い存在であるかの様に感じてみたり、社会的矛盾に言い様のない怒りが込み上げてきたり。


 頭上で照りつける灼熱の太陽を見上げれば、一瞬、この世の不条理を呪う自らの思いに、僕は捕まり、延々と果てしなき格闘を繰り返している様な緊張感を覚えた。



 巨大産業と虚像の街。


 信号が赤から青に変わると、車の流れは途切れ、あっという間にスクランブル交差点は歩行者天国と化した。
 そして、僕は群衆の流れに溺れ、脅えと目眩を隠す様に、前かがみになって囚人の様な気持ちで、焦げつくアスファルトを踏み鳴らし歩いた。
 社会の実像なんて、世間知らずの僕にはまだ掴めもせず、だけど無性に自分の感覚の中でキャッチする街のあらゆる情報の渦が、熱く燃え上がる情熱と絶えず衝突を繰り返していた。


 時は一九九二年。
 バブル崩壊前夜の、僕の青ざめた青春の日々がある。



 渋谷は、僕にとって特別な街だった。
 何故、僕は渋谷という街にあんなにも情熱を感じていたのだろう。
 そう考える時、何となく一番初めに咄嗟に思いつく言葉は、何か目に見えない不思議な力に導かれている様に感じていたということかもしれない。
 流行やファッション、時代や文明の全体像が掴み易い街だった気がする。


 そして、僕は繰り返しこの街にやって来ては、野良犬みたいにそこら中を徘徊し、真実を求めていたのだと思う。


 ロックセレブレティーに憧れてなかったと言えば、きっと嘘になる。
 だけど、自分が見定めていたものと現実との温度差が百八十度違っている様で、本来本質的なものであるべきロックは、あの街ではことごとく見せかけのエンターテイメントなのだと感じ始めていたんだ。
 僕が求めるスターだとか、ロックンロールだとか、そんなものは僕の思い上がったひとりよがりでしかない。
 少なくとも、僕の名前すら誰も知らない、とても騒がしいあの街の中では、それが唯一の現実だった。



 僕は、ハチ公前のスクランブル交差点を渡る時、ある一つのイメージがよく心の中に浮かび上がった。
 それはどんなものかというと、音のしないモノクロの様なスローモーションで進行する街の風景の中を、無数の魂が、霊界を彷徨っている様な感覚で目に映り、スクランブル交差点を行き交う群衆の姿がとても無機質に、何処かへ流れていくみたいに感じていた。
とても毒々しい原色の彩りで、人の欲望が常に露骨な牙を剥き、人々は何かに支配されていて、だけど、その現実に誰も気付かず、思考停止している社会の忠実な奴隷の様だった。
 そして、交差点を渡っている間、僕は心に無数の傷を負う様な気持ちになり、何故自分がそんな風に感じているのか、上手く理解出来ず、足掻き続けていた。


 高卒で上京して以来、管理教育の束縛を逃れ、新たに自由を勝ち取るべく歩き始めていたけれど、心のざわめきは益々耳触りなノイズの様に反響し、そいつが街の生み出す日常のリズムの上で、絶えることのない熱いロックンロールを奏で続けている様だった。
 僕は心のアクセルを吹かし、全ての束縛から逃れようとしていたのかもしれない。
 日常は頭のイカレタ分からず屋で、決して辿り着くことのない問答を強要されている様な暮らしが、僕にはとてもうざったいものに思えて仕方がなかった。


 心を削り取られていくばかりの様な狂ったモラル。


 感受性を無視し、感情を抑圧することが成人になる為の儀式だと言わんばかりの社会正義が、右にも左にも監視体制を整えたまま、とてもルーズで生意気な顔で僕を見下している様な気持ちに絶えずいじめられていた。
 そして、そんな僕は何処へ行っても、いつも場違いな勘違い人間だと蔑まれ、厄介払いを受けている様な幻想を抱いた。


 勿論、誰もそんなこと思っていなかったのかもしれない。
 だけど、僕にはこの社会の闇の中に眠る、もう一つのリアリティーが存在している様に思えて仕方がなかった。
 そして、そんな思いは決まって誰に理解されることもなく、僕にとっての現実に向き合う日々の中で、孤独でいることを愛する様になっていったのかもしれない。



 故郷を捨てる様に飛び出して、夢だけを頼りに生きた。


 高度経済成長の恩恵を受けて育った僕は、いわゆるハングリー世代ではなく、精神的豊かさや真の自由、魂の解放を強く求めた世代ではなかったかと思う。
 社会規範に従い、大人に引かれたレールの上を踏み外さず生きてさえいれば、ある程度の物質的豊かさが保障されていた時代。
 僕は、そんな日本社会の姿を、自分の知る全ての常識や現実として認識しながら大人になろうとしていた。


 だけど、僕はいつも何かに脅え、激しいフラストレーションを絶えず抱え込んでしまっていた。


 「何かが違う」


 そう感じ続けていた僕は、親の期待を裏切る様に自分の求める愛や理想の為に、この世界の真実を探し、社会に既に根付いていた幸福論に異議を唱え、青春を情熱に任せ走り出していたんだ。
 ロックンロールとセンチメンタル。
 それだけが、あの頃僕の心の友だった。



 そんな生き方だったから、当然ぶつかるものは多く、誤解が誤解を生む形で、自分の意思とは無関係であったとしても、もしかしたら随分人を深く傷つけてしまったこともあっただろうと思う。
 そのことに関しては、思いを巡らせれば、今でももっと思いやりのある方法はなかったかなって思う時もある。
 言い訳はしたくないけれど、あの頃僕は、それが自分の知る限り精一杯の誠意のつもりだった。
 誠実さの本当の意味なんて、今から思えば、分かっていないのに、若さ故に自分の信じるものに一直線だったのだと思う。



 僕の生まれた年は、戦後最大のベビーブームで、日本が経済戦争に勝ち続け、バブル黄金時代のとても贅沢で華やかな世の中の空気に囲まれて育った。
 だから、上昇志向は親の世代の人々と比べると、とても低いのだと思う。


 初めから恵まれた物に、人は悲しくも段々感謝を忘れ、退屈を覚える様になるのだろうと思う。
 そして、自分らしさや精神的充足感へと意識は自然に向かい、それが親の人生の価値観と大きな隔たりを生んでいた。
 自分の感覚に従い生きようとしていた僕は、当然社会との摩擦は激しくなる一方で、生意気だと叩かれては権力をかざされることが多かった。


 常識に立ち向かう者には、社会の集合意識は、常に排除すべき存在として働き、正義は振りかざされる。
 それは、いつの世も同じことだろう。
 だけど、僕は時代に反逆しようとしていた。


 その理由は、時代が危険な流れを生み出し続けている様に感じていたからだ。
 偉そうに何かを人様に対して語れるほど立派でもなかっただろうけど、人の心を当たり前の顔をして踏みつける社会の在り方やその狂気や矛盾に対して、目を伏せ生きるということが、どうしても僕には自分自身、許せなかったということなのだと思う。



 あの頃、社会はやっぱり平和だったのだと思う。


 物質文明は天然資源を恐ろしい速度で使い潰し、そして衣食住に困る生活を強いられる人々は、社会的表面上皆無に等しかった。
 文明人の知性は、物質的飽和の中で衰退していく様に感じていた。
 その原因を一言で言うならば、怠惰さだった様に思う。


 形式と体裁ばかりに切り取られていく日常の嘘が、僕らの精神を限りなく蝕んでいた。
 そして、調和という名の平均的無能力を押し付けてくる社会統制の中で、誰もが次第に自己の本質から分離してしまい、平和は幻想へとすり替わっていったのだと思う。



 人間の本当のリアリティーは、きっと精神の属する世界にある様な気がする。


 抑圧された感情がそのバランスを失い、本質に立ち戻ることの出来ない精神が歪に腐り、日常の中で二次的に、様々ないがみ合いとして表出し、それは益々社会に混乱と憎悪の狂った連鎖を次々に生み出していった。


 それは、平和という戦後に誕生したと思われた一つのリアリティーの本質に突き当たるまで続く、絶えることなき文明人の抱えた葛藤だったのだろう。



 僕は、渋谷の街に掲げられたタレントの巨大な看板を見上げる度、何だかむしずが走る感覚を覚え、堪らない吐き気がした。
 何だか言葉に仕様のない悪魔的支配のリズムが、社会的にまだ何の力も持っていない青二才の僕を、時代の傍観者側へと弾き飛ばし、情熱の口を権力を持って塞がれ、虚しく虚勢されていく現実にぶち当たっていたのだと思う。


 あの時に覚えた壮絶な挫折感と、社会の中であまりにもちっぽけに思えた自分の存在に対する惨めさや悔しさというものは、きっと、資本主義社会の中でのエンターテイメントの中に根付く、世の中に対しての白々しさへの、僕が初めて自覚した嫌悪の象徴だった気がする。
 そして、自分は芸能界というその得体の知れぬ世界に飛び込もうとしているのかと、大きな自己矛盾を抱え、正確に言えば、理想の向かうべき未来のビジョンは僕の心の中で、その瞬間に消滅してしまっていたのだと思う。


 その体験は、少年だった僕の心に絶望の影を色濃くし始めている様だった。
 僕は、そうして自分の夢を一度心の中で失ったのだと思う。



 いい音楽を生めば、当たり前に評価されるものだと信じて疑わない様な少年時代。
 それは、あのバブル崩壊前夜に、僕がただ自分勝手に見ていた夢屑として、宇宙の闇に呑み込まれ、気が付けば、跡形もなく消え去ってしまっていたということなのかもしれない。


 社会に与えられていた夢って一体何だったのだろう…


 そう自分自身への問い掛けの中に生まれた時、僕は本当の自分の気持ちに初めて触れた気がした。



 十八の夏が、今でも心の中で青春に燃え上がっているんだ。
 見せかけの自由を逃れ、何ものにも支配されない真実をただ知りたいが故に。