拝啓 倉富和子先生

日本は今、桜が満開の素晴らしい季節を迎え、また無事に日本人が愛して止まぬ薄紅色の風景にこの身を浸しながら、ささやかに日々訪れる大切な幸せを、一つ一つ数え上げることの出来る我が人生に、感謝を覚えずにはいられません。
そして、あの日まだ若年の未熟さの中で立ち往生していた僕を導き、たくさんの素晴らしき教えを下さった倉富和子先生に、このメッセージを残そうとしています。


懐かしき思い出と共に、笑いと涙を連れて。



僕が倉富先生のヒーリングに出会ったのは、21歳の終わりから22歳始めにかけて辺りだったように記憶しています。
もう16年も前の話になるんですね。


当時、僕はミュージシャンへの夢に挫折し、自分の志はとてもはっきりしているにも関わらず、もう一歩も歩き出せないほど精神的に酷く消耗してしまっていました。


そんなある日、心導ヒーリングとの出会いは訪れました。
僕は、その出会いに直感的に必然性を感じていました。
一言で言うならば心導ヒーリングは、あの頃の傷ついた僕の魂に、とても深い優しさと安らぎを与えてくれていたように思います。


物質的にはとても豊かに育った世代の僕ですが、人肌の温もりや情愛に極度に飢え、魂が瀕死寸前で、酷く苦しみ喘ぎ続けていました。
そんな僕にとって心導ヒーリングは、人生への希望を再び取り戻す為になくてはならない大切な存在へと、次第になっていったように思います。


例えるならば、人生に寄り添い、共に歩いてくれた盲導犬といったイメージでしょうか。
もう一度ちゃんと自分の足で、人生を歩き出せるまでの、心の友と呼べるような愛だったように思います。



僕の音楽が倉富先生のヒーリングによく合うという話は、とても感覚として分かる気がします。
副交感神経優位にも働くロックというのは、僕の音楽に関して、直感的に言えることがあるとするならば、やはりメロディーの持つ波動に答えがあるのかなという気がします。
無意識という心の宇宙に繋がる扉を開き、神の意識に融合することが、僕にとってのロックの役割だと感じて生きてきたような気がします。


音楽って不思議なのですが、同じようにメロディーを生んでも、その旋律の存在する次元や世界の振動数に共鳴するからなのか、曲によって、バンドの音が違って聴こえる現象を、これまで僕は体感する度、その理由について一人考え続けてきました。
一般的にロックは交感神経を刺激するというのが、きっと定説のように思うのですが、瞑想音楽としての要素が感じられ、オーケストレーションの優雅さにも匹敵するバンドサウンドというものは、きっと可能なことのように僕は感じています。


天使の住む世界の泉から湧き出たような、清らかなメロディーを生み出すことが出来れば、きっとその振動数に各楽器の音色は共鳴して、ノイズに塗れたロックのイメージすら、その形を既に変容しているということではないでしょうか。


もし何かの機会があり、いいタイミングがあれば、いつか倉富先生のヒーリングと僕の音楽のコラボで、この悲しみの世界に光を生み出すような仕事が出来たら素敵ですね。



ブログ記事のタイトル「心身で感じる哲学」はとても的を得た表現だなと感じ、思わず感心すると同時に、深く納得してしまいました。


僕は言葉を生む時、頭で考えるのではなくて、体と対話を重ね感じながら書くスタイルを取ってきました。
お腹の底からエネルギーが湧き上がり、全身を駆け巡る感覚のする言葉を選んでいく内に、自然とそんなスタイルが出来上がっていったように思います。

きっと音楽でも何でも、頭で考えると良さが分からなくなってしまうものなのかもしれませんね。
それを例えるならば、とても雄大な自然を前に、頭の中にある観念を持ち出してきて、その創造物の完成度に批評を加えるに等しい行為であると言えるのかもしれません。


そういった意味に於いて、体を通して自己との関係性を見つめ直し、本質に立ち返ろうとする倉富先生のヒーリングと僕のロックは、とてもよく似た共通点を持っているのかもしれませんね。
だからこそ、僕の生み出す作品に対しての先生からの温かく、そして有難い理解の言葉を頂けたということなのかもしれないなと思いました。



これは余談になりますが、先日リサさんとの空港での別れの記事を読み思い出した話をしたいなと思います。
僕の心の中に、今でもとても印象深く刻まれているエピソードです。


当時、倉富先生との最後の別れとなったある日、僕の暮らす家を会場にしたワークも終わり、庭に出ていよいよ先生を見送ろうとした時のことでした。
停まった送迎車の前に立ち、乗り込む直前の先生が、気付くと、ふと無言で僕を見つめていて、優しくも哀愁を帯びたような、黄昏色に染まりゆく澄んだ空を吸い込むかのような、その不思議な瞳に僕は出会いました。
なんと表現したらいいのでしょう。
きっと、時を経た今だから、少しは上手く語ることの出来る話なのだろうと思います。


その繊細な感触のする先生の瞳を、そっと見つめ返すと、何か遠くを見据えるような憂いを含んでさえ見える眼差しで、何かに終止符を打ちなから、一つ一つを納得されているみたいな姿として、僕の目に焼き付き、今でも忘れることが出来ないのです。
きっとそれは、人生の中で生まれるであろう潮さいの歌を聴きながら、何か目に見えざる大きな力に導かれながら、一瞬先生の魂の見せた、僕へのささやかな贈り物だったのかなと、そんな気がしています。
勿論、これは僕から見た一つの現実であったのかもしれません。


菅原君はこれでいい。
自分に出来ることはここまでかな。


と、まるで先生の瞳はお喋りしているようで、何か特別なことを成し遂げたり、志を果たした人間が、気高き情熱の魂を打ち震わせながら、業の終了の宣告を天の声に示されているかのように、僕にはとても不思議な感動のシーンとして目に映り、この胸の奥でバイオリンの音色と共に、題名なき音楽を今も奏で上げているのです。


そして結果的に、本当にそれが先生とお会いした最後でした。
あれが僕にとって、ひとまず心導ヒーリングが必要な期間の終わりだったのだなと、後から実感が込み上げてきたことを覚えています。



今回ブログを通して、今も現役で夢を追い走り続けている倉富先生と縁あって再会させて頂き、その上こんな形で僕への思いまで聞かせてもらい、本当に幸せに思っています。
そのきっかけをくれた高校一年生さんにも、この場を借りてありがとうを伝えさせて下さい。


人生は本当に不思議で素敵なものですね。
こんな感動に出会えるから、色んなことがあったけど、一生懸命に生きてきてよかったと思えるのですよね。


きっと世界には僕のように、心導を傷ついた魂の糧として、絶望の闇から這い上がろうとする魂が存在しているのではないでしょうか。


闇を彷徨う者が救われる世界。
きっと、未来はそうあって欲しいと願っています。



心導ヒーリングには本当に心からの感謝を覚えています。
ありがとう。