生の時間

 何て空の青さが眩しいのだろう。


 生きてる。
 そんな当たり前の様な今日がある。



 梅雨も明け、いよいよ夏本番だ。
 不運続きの様なこの国も、また熱い時代がやって来るだろうか。
 僕は、梅雨という季節の中で、昔作った歌の詞を練り直し、もう一度魂を吹き込みながら、僕らの将来に思いを馳せ過ごしてきた。
 そして、また歌い出すことを考え始めている。


 振り返れば、人生には忘れられない心の痛みや悲しみというものは、きっと誰の心の中にも存在するものだろう。
 本当に色んなことを思うよ。
 昔のこと、将来のこと。


 毎日歩くMy Home Townの横顔が、いつも色褪せた日常の中で、退屈な表情を浮かべている様に見えた日々もある。
 そして、僕は僕自身から逃れようとしてきたのかもしれない。



 大好きだった歌。
 僕は、自分の夢をどれだけ愛することが出来ただろうか。
 ロックンロールだ、革命だと理想を語って今日まで生きてきた僕だったけど、まだ何にも歌い出せていない現実があった。


 音楽を愛し、そしてどこか音楽に背を向けて生きてきた様な気がする。
 それは、とても簡単には第三者に説明し難い事柄の様で、僕はそのことで随分無駄に社会との間で誤解を生んでしまってきたのかもしれない。


 もう、難しい話なんていらない。
 そう思う。




 もしも、余命一年を宣告されたとしたら、僕は一体、その限られた時間の中で何をしようとするだろうか。
 そう考えてみた時、やっぱり音楽だと心からそう思った。


 僕は、自分の可能性を自分自身で閉ざす様に生きてきた気がする。
 きっと、誰だってそれは同じじゃないかなと思う。
 きっと、人間はいつも自己矛盾を抱え、愛を求めながらも愛に背を向けて生きているのだろう。


 余命一年。
 例えば、そう考えてみた時、生き方はとてもシンプルで分かり易くなる。


 僕は、自分の心の深い部分から溢れてくる、魂の欲求の声に忠実に耳を傾け、生きることだけを考えた。
 そして、それが今日から僕がやるべきことだと思った。


 何度も何度も躓きながら、やっとここまで辿り着いた気がする。
 それは、果てしなく遠くて長い道のりだった。


 そして、僕はもう一度歌い始めてみようと思う。
 それが、僕が余命一年の内にやろうと考えたことだった。



 僕にとって歌を作り歌うことは、本当の自分の姿を思い出す為になくてはならない行為だった。
 それは、ずっと変わってこなかった。


 きっと、人はそれぞれに何か自分のやりたいことを叶える為に、この世に生まれてきたのだろう。
 だけど、大抵はそれが何だったのかさえ覚えてなくて、そこにたくさんの葛藤が生まれている様に思う。


 僕の場合は、そこは逆だった。
 何をやる為に自分は生まれてきたのか、目的に対して自分の心の中に迷いはなく、とてもはっきりしていた。
 そういった部分での葛藤はなかったけれど、人生とはとても不思議で、その分違った葛藤を山の様に抱え、常に生き辛さを感じ続けていた。


 学生時代には、ごく普通の同級生達が楽しんでいる様な娯楽を、全く楽しむ心の余裕もなく、魂の抱えた悩みの中で青春は燃え尽きていった。


 それはある意味とても贅沢で、幸せな悩みだったのかもしれない。
 世の中では単に暗いと言われ、敬遠されがちな苦労も、精神領域の発達から見れば、それは途轍もなく素晴らしい、スペシャルな体験に他ならないのだろうと思う。
 若い時の苦労は買ってでもすべきといった言葉があるけれど、僕もそれは本当だなと思う。


 時代は今、とても息苦しくなってきている部分が強いと思うけれど、僕の場合は、生まれてから成人になるまでの間がとてもハードな人生だった分、今はとても心が楽になっていた。
 そう考えると、魂の修行を先払いでやったということが言えるのかもしれない。



 生の時間。


 僕にとって、それはステージに立ち歌っている時の様な気がする。
 皆の人生が生の時間に輝くことを心から祈りながら、Oh Rock Starと魂が歓喜し始めるんだ。