NO MORE FUKUSHIMA
六十七年前の今日、起こったことについて、僕には全てを理解することは出来ない。
だけど、決して忘れてはいけないことだと思う。
八月六日の八時十五分を。
広島は今、本当に様々な正義が入り混じり、季節に抱かれ、日常はうつろい続ける。
バブル崩壊後、約二十年の時が経過したこの街は、理念の捻じ曲げられた社会正義が大手を振って街角を歩く。
ガタゴトと音を立てる路面電車。
あの日の悲しい面影や人の心の中にある教訓という名残りも、何だか時の流れの中で風化していき、虚しさを覚え、百万人都市の平和は、今日もどこか偽善的なものへと傾き、色付いているみたいに僕には思えた。
経済戦争の終焉のドラマさえも、大して意味のないことの様に時代は流れる。
頭上で輝く灼熱の太陽さえも、もうずく秋風のハーモニーに優しく微笑み始めるんだ。
恒久平和の実現への願い。
心の中に育まれていった思い。
僕は広島の子供だから、小学生の頃から八月六日は平和について考え、祈ることが普通になり、そんな風に育ってきた。
体育館に集う全校集会。
ピアノ伴奏を背に、皆で高らかに歌った核廃絶の歌。
戦争をテーマにした映画を観て、そして教室に戻り感想文を毎年書いた。
それらの思い出も、この日を迎えた朝にはそんなに遠い記憶ではなくなる気がするんだ。
そして、大人になった今思うと、あの日体育館で歌った平和への祈りの歌は、美しいラブソングだったことに、ふと気付かされる。
決して難しい話がしたい訳じゃない。
反戦を掲げれば、また幾つもの正義がぶつかり、永遠に足りぬ平和を数え続けている様な、この悲しみの世界で。
きっと、皆そうなのだと思う。
例えば、君のことが好きだというピュアな思い。
きっと、それこそが平和というものの素顔じゃないかなって気がするよ。
そして、その笑顔を僕らは命懸けで守りたいと願うのだろう。
そんな気持ちが、ずっとずっとこの社会の表舞台から姿を消さないで欲しい。
それが、今日の僕の祈りだ。
だから、ラブソングを歌おう。
君の為に、そして僕の為に。
ニュースで見る平和式典には、今年も様々な顔ぶれが揃った様子が映し出されていた。
核の廃絶を叫ぶことが出来ても、原発への危機感の滲む発言に対してはミュートがかかる国なのだと痛感させられるシーンを垣間見た。
その時代の空気を払拭する為に、僕は愛の歌を叫ぶ。
元安川のほとりに、ポツンと小さく肩をすぼめる様にして、あの原爆ドームが建っている。
その何ともみすぼらしい様に、僕は時代を思うんだ。
高層マンションの隣接する街の影に、この頃はすっかり呑み込まれてしまった様な面影がとても悲しく見えた。
僕の青春の日々は、人影もまばらな平和公園でのストリートライブに明け暮れていた。
あの頃の祈りは、今どんな風に僕自身を支え、導いているのだろう。
便利さと物質的豊かさの代償の街を、今思う。
それは福島だって、きっと同じじゃないかな。
誰かが誰かの生活の便利さや、物質的豊かさの代償を背負わされ、この暮らしのリズムはどこまでも続いてゆく様だ。
甘い蜜の味を知ってしまった人間は、他者の権利や幸福というものを排除してまでも暮らしの安定を求める自己欲求を、もう抑えることが出来なくなってしまっているのだろう。
そして、それは同時に現代人の心に抱えた枯渇感を示しているに違いない様に思える。
不幸を感じ、恵まれたものの多さに対して、意識が擦り抜け、通過している。
感謝知らずという悲しみこそが、この競争社会で毎日繰り返されている葛藤という名の、悪循環のサイクルなのだろう。
ストレートに自他を愛す喜びへの目覚め。
それが、終わりなき平和の始まり。
僕にあの時、秋風のハーモニーがそっと、そう囁きかけてくれていた様に思った。
枯れ葉に埋もれた、平和公園での風景が、ふと心に甦ってくる。
与え合い、分け合う幸福へと手を伸ばそう。
微笑むことから、希望へと続く未来の扉をノックしよう。
No More Hiroshima.
No More Nagasaki.
そして、
No More Fukushima.