シュールなベール

 僕は、自分の欲望に対して祈る時、心の中で音楽を奏でる。


 誤解を招いてしまった時、誰かを酷く悲しませ、傷つけてしまった時、僕はそれらの全てをこの体で受け止めようとするけれど、それはきっと、欲望をどんな風に愛へと昇華させるのかというテーマについて、僕なりに答えを出そうとしているのだろう。



 音楽は、心のエネルギー質量を示すものの様な気がする。
 そして、メロディーラインはハートビートの中で無限に形を変えながら、時空の旅を続ける。


 僕にとって、メロディーとは魂の共通言語だと認識していた。
 人間が、もしも言語を持っていなかったら、きっと誰かに自分の思いを伝える為に、音楽は現代人が感じているよりももっと、原子的に訴えかけてくる様に思えるのではないだろうか。
 言葉だって音楽だって、元々は感情表現の為であったり、意思の疎通をスムーズにする為にあるものだろうし、そういった本質的な意味合いに於いては、同質のものに違いないのだろう。


 そして、僕は言語という表現に対して、ある種の限界や壁を感じ続け生きてきた様な気がする。
 だから、もっと深い直接的な感情を表現し伝えたくて、音楽を必要としていたのだろう。



 日本語は、とても表現力に富んだ言語だと思う。
 それでも、この世界の中で僕は、凄く言語自体に窮屈な制約を覚えながら暮らしている。


 もっと本当の気持ちを伝えたい。
 そう考えた時、音楽はとても無理のない自然な形で、僕の心にぴったりの入れ物になり、それはある種の完璧さを備えていた様に思う。


 それでも、創作の過程で時に難しく感じるのは、歌である以上詞が必要だということだった。
 作詞はかなり骨の折れる作業になることもしばしばだった。


 限られた言葉の世界。
 心を形にするって、何て難しいのだろう。
 そう思う。


 作詞と作曲とがあったら、僕にとって本質的な表現に近いものは明らかに作曲だった。
 作曲は何て自由なのだろう。
 言葉に対して、メロディーの背負った制約は本当に僅かなものだろう。
 僕にとって作曲という表現は、魂から溢れ出るエネルギーの念写みたいなものだった。


 曲として、心のハーモニーをエネルギー体のまま保存し、伝達出来ることが、僕にとって作曲の醍醐味だったのだろう。



 僕は、言葉の持つコミュニケーション能力に希望を感じ、日々を過ごしてきた様に思う。
 ミュージシャンとしての視点を加えて語るとすれば、それは単に言語だけにフォーカスした話ではなく、魂の言語としての音楽も含めて、そんな風に考えて生きてきたのだろう。


 音楽って意識だ。
 音楽って情熱だ。
 音楽って感情だし、そして思想とも取れるだろう。


 そして、心の念写物としての曲は、誕生した時からある振動数を発散し、それ自体がメッセージなんだ。
 例えば、海外のアーティストの歌を聴いていて、詞の内容も理解していないのに、ふと熱いため息や涙が零れる。
 それは、曲の持つ振動数に心が同調して引き起こされる現象だろうと思う。
 天国から神様が降りてきたとしたら、その振動数を感じた人間は、きっと神様だとすぐに分かるものなんじゃないかなという気がするんだ。
 振動数をダイレクトに心でキャッチすると、たぶん本質が透ける様に伝わってきて、もうそこに理屈などいらなくなる様な気がする。


 アーティストに人々が惚れ込むのは、作品を通してその人のピュアさに触れるからだろう。
 心の壁が少し取っ払われた様な心理状態の中で、アーティスト本人の感受性を人々はまるで自分の心の一部であるかの様に慈しむものなのだろう。
 そして、それは作品を通して何かを受け取った、その人のピュアな心の聖域の存在を示すものに違いない様に思う。


 心の聖域を体感させ、思い出させてくれる可能性を秘めた芸術に、僕はこの世界の真の希望の様なものを感じている。



 僕達人間は、社会性を保つ為に、ともすれば見栄を張り、小さなプライドなんかで毎日傷つけ合ってばかりさ。
 その狂った競争社会のモラルを正すものは一体何だろうと、いつも考えてみるけれど、何度考えても、僕には答えは一つだった。
 勿論、僕にとっての答えであるが。


 その答えとは、人間の持つ本当にピュアなマインドだ。
それはもしかすると、人類共通の正義と呼べる様な性質のものであるのかもしれない。


 そして、音楽は心の入れ物だと思う。
 ピュアな魂が宿った音楽は、振動数としてリスナーの心を捉えるだろう。
 それは、無自覚の場合が殆どなのかもしれないが、海外のアーティストの歌に、歌詞の意味も分からぬまま涙を流す行為の様に、瞬間的でどこか恋に落ちる現象にも似ているかもしれない。


 そして、それは魂の浄化を意味するのだろう。


 音楽家がやるべきことは、ピュアな作品を紡ぎ出し続け、世界に流し続けることに尽きるだろう。
 それこそが真の社会貢献に繋がるのだろうし、きっと人々が自分の心の中にある聖域を発見し、留まる為に一番手助けになることの様に思う。



 音楽とは生命活動そのものだ。
 音楽は理屈じゃない。
 音楽は仮想空間にもなりうるかもしれないが、僕にとって音楽はリアルだ。
 とてもシュール過ぎて、聴き心地のいいものばかりでは決してないかもしれない。
 だけど、それがロックだ。
 ロックは現実であり、日常なのだろう。


 だから、僕はなるべくならば等身大の自分の姿を歌いたいと思う。
 街の風は今日、僕にどんな風に吹きつけたのか。
 そして、その風に対して僕は何と歌い、真実を探ろうとしたのか。



 自分の至らなさや心の弱さも含めて、ロックンロールを決め込んでいたい。