架空のユートピア

 歩道橋の彼方へと広がる空は、青くどこまでも果てしない。


 空って、何となく僕らの想像力に似た形で、佇んで見えた、平日の午後。
 この頃は、太陽の輝きがとても強く、そのエネルギーの変化を肌身で感じていた。
 二極化が進むこの世界で、僕らは今何を信じ生きようと、それぞれが求めるあすを夢見ているのだろう。



 不穏な政治の動き。
 脱原発原発廃炉が多くの民意になっていたけれど、選挙は不正の色濃く、真実は相変わらず、メディアから流れてはこなかった。
 社会の闇に意識をフォーカスすれば、それは底なし沼のようにズブズブと腐敗しきっていて、そこに生まれる僕らの抱く感情は、現代人の心に秘めた恐怖心に直結しているように思った。
 恐怖から逃げ惑う姿として、権力者達は経済活動第一優先主義へと更に傾き、きっとそれは、僕ら国民一人一人にとってみてもまた、社会生活の中で、やっていることは違っていたとしても、どこか重なる共通点が存在しているように僕には思えてならなかった。


 例えば、西日本で福島第一原発の事故のようなことが起これば、日本は終了の危機に陥ることは明らかに違いない。
 今現在でも、精神的には瀕死寸前状態に近く、僕には思える。
 この国の偉い人々は、昭和的繁栄の構図の上に、経済大国をもう一度夢見ているようだった。
 人間としての心を失くし、人の人生を見栄と競争心で埋め尽くしていくような、不安と絶望から織りなす、生存競争の世界。
 左脳的教育から生まれる、分け隔てと自己優越の、どこか狂った価値観。


 僕は、住み慣れた街の歩道を歩きながら、僕らの意識の象徴に思えた、本当に小さな物語にふと遭遇した。







 僕が歩いている歩道とは畑を挟んだ向こうに、別の道があった。
 その道には小学五六年生くらいに見える少年二人が、下校途中の通学路で何かを始めようとする気配を漂わせていた。


 二人は会話をしていたのだけれど、どうやら意見が一致したようで、すぐさま二人は二手の道へと別れ、駆け出した。
 一人は、今まで通りのアスファルト舗装された通学路を、そしてもう一人は、僕の歩く歩道側へと、畑の中の道らしくもないような道を、揃ってあくせく駆けてゆく。


 畑を抜け、僕の歩く歩道の後方に姿を現した少年は、僕の前方に見える歩道橋の方へと、大人びてきている思春期独特の少しモワッとしたような体を揺すり、車道を挟んだ向こう側を通り、僕を追い越していった。
 そうしている内に、もう一人の少年は、綺麗にアスファルトで固められた道を順調に走り続け、どうやらゴール地点に設定していたらしい歩道橋の上に登りつめようとする姿が目に入った。
 その姿を見ていた競争相手の少年は、駆け足を止め、敗北の落胆に肩をガックリと落とし、トボトボと俯き歩き始めた。
 その姿は、何だか訪問販売の営業回りに疲れた背広姿の中年サラリーマンのような雰囲気を滲ませ、もう既に少年の放つべき清々しいオーラは感じられないほど、やつれ果てて見えた。
 友達同士の社会の中で、ほんの小さなレースに勝利した片方の少年は、敗者である友達を歩道橋の上から見下ろし、少しからかい混じりに「ハロー!」と声を掛けている。


 僕は、そんな彼らのやり取りを見ていて、つくづくこれがこの社会の縮図なのだろうと考えていた。
 二人の少年の展開したこの小さな物語は、教育システムの中で互いに競い合うことを覚え、分け合う豊かさをベースにした社会モデルよりも、枯渇感や恐怖心から競い合う生存競争モデルの社会の住人に既に育っていることを僕に伝えた。


 話を拡大解釈してしまうのだけれど、これは戦争へと通じる価値観に色付く信念体系だろうと僕は思う。
 昭和の繁栄は、確かに平和的な社会に見えてはいたが、真にそうだったのだろうか。


 僕は、その問い掛けには、はなはだ強い疑問を覚えてならない。


 現在、エリートと呼ばれる多くの出世した人々は、どんな風に生きているかと考えてみた時、特に3.11以後、その姿は浮き彫りになっているよ。
 社会モデルが、基本的にそういったエリートを育てる為にサイクルを機能させ、日常を成り立たせている訳で、少年の物語が、現代を僕に垣間見せてくれたことから分かる、その意味の重さや大きさを、僕はそっと抱きしめた。


 戦後の昭和は、経済戦争の時代だった。
 闘って、闘って、そうして辿り着いたのが3.11以後の世界だった。


 そして今日、社会は再び経済優先を選択し、瀕死の国に鞭を入れ続けている。
 何だか、根性論で第二次世界大戦を闇雲に突破しようとしたファシズム体制と何ら変わらないように思う。


 そして、僕ら国民はメディア操作されたままの悲しきマリオネット、犠牲者意識の中で、きっとこの狂った日常を今も繰り返しているのだろう。
 経済大国の夢に酔いしれた僕らの心は、随分貧しくなったように思う。
 経済第一主義は、優しさや思いやりの精神を破壊し、人を獣化させてきたように思う。
 もう、答えは出されていると僕はずっとそう思って生きてきた。
 八十年代から既に決定されていたかのような現代を感じている。
 これは、予言でもなんでもなくて、ただのなりゆき予想程度のことだと思う。
 このままの狂った日常を繰り返していたら、こういう結末に辿り着くだろうなと、感性が殺されていなければ、きっと誰にでも推測可能な未来ではないかなという気がする。


 だから、僕にとっては経済大国をもう一度という発想はとても持ち辛いよ。
 それに、きっと短期的持ち直しは見込めたにしても、復活のシナリオはとても描き難いと感じる。
 もう、そういう時代じゃないんだ。


 人が本質的な豊かさへと目覚め、宇宙の真理に沿った生き方を実践していく時代になったなと思う。
 太古の地球に存在した自然の摂理こそが神だと僕は信じている。



 鉄腕アトムに憧れた世代の思い描く未来の世界は、ハイテクノロジーによって巨大都市の営みを支え、物質的繁栄を何よりも人間の幸福だと定義していたと思うけれど、現代の子供達が思い描く未来には自然があるそうだ。
 ハイテクノロジーによって築き上げられた都市に少ない自然。
 自然の摂理こそが真理や神と呼ばれる存在の周波数と共存する為に排除すべきではない、人類を真の幸福へと導く普遍性だろうと僕は思う。
そして、自然こそが生命の根源であり、この物質文明が切り捨ててきた人間に幸福感をもたらす、とても大切な要素だと思う。
 現代のライフスタイルは不自然極まりなく、動物的な本能を退化させ、知性を衰えさせ、自立心を養うことへの弊害を非常に多く生んでいるように思う。


 自然と切り離された人の心は、やはり不安だろうと思う。
 本質から逸れた生き方に生命力は沸き辛く、金が運ぶ流通形態の中で暮らす僕らは、きっとあまりにも感謝知らずになってしまったのだろう。
 感謝なき心に幸福は在らず。


 つまり、幾ら富や権力を手に入れ、他人の頬を札束で叩き、支配しようとも、心に決して平安は訪れないということだと思う。
 経済大国の暮らしは、あまりに自然から切り離され、拝金主義に染まってきた。
 支配者側も支配される側も、老若男女を問わず覚え込んできた経済大国に生きる上での、一つの大きな価値観の共有。


 僕は、通学路で遊ぶ二人の少年の物語に、未来への希望を思った。
 この国に生きる子供達は今、社会から押し付けられた何て小さくてつまらない価値観に縛られ、人が幸福に生きることの本質的営みから遠ざかってしまっているのだろう。
 生存競争のレースに勝ったとしても、そのことで本当に人間的な幸せを感じることは、とても難しいように思う。
 それは、果てしなく続く劣等感や枯渇感との闘いを意味しているのだろう。
 勝利に歓喜し、社会や他人からの称賛を手に入れても、どこまでいっても埋まらない心の空虚さの奴隷のままなのだと思う。



 人類が生み出した大量生産、大量消費のライフスタイルは、地球上の自然の摂理の中では、もはや生き残れないような本質的生き方の時代が到来したような気がする。
 社会の腐敗し切った闇の姿が、日々目の前に浮上し、生き方を誰もが問われている。


 そして、人生は本当は誰にもいつも平等だ。
 肉体と魂とで構成された人間の、もう一つの霊的世界での人生を現世に抱き合わせて考えてこそ、人生に起こる全ての謎を理解することが出来るのだろうと、僕は直感的にそう思うんだ。
 人生で得をしたと思っていたことが、魂の上では損になり、損をしたと嘆いていたことが得だったというようなことだらけなのが、きっと僕ら人間の人生なのだろう。
 経済大国の掟に縛られ、あくせく競い合ってみたところで、それは自然を科学で制圧しようとした人間の、本当に小さな幸福の価値観でしかないんじゃないかな。
 架空のユートピアに辿り着いてみても、束の間の虚栄心を満たすばかりで、自分で設定した幸福の定義が見当たらないよ。
 人間は、自然と共にあってこそ、幸せの意味が分かるものなんじゃないかな。
 それは、環境的にも自分らしさという意味に於いても。



 そろそろ、教室で教わった常識という名の檻を抜け出し、一人一人が真実を直視すべき時のように思う。
 社会という幻想に捉われるのを止め、心に自由を探すんだ。
 豊かさと幸せとは別のものだった。
 その教訓を経済大国は、僕らの心に与え残した。
 ならば、僕らは新しい意識に目覚め、生き始めなくちゃ。


 経済大国が本当に心までも豊かにしてくれていたのだとしたら、現代はもっと優しい筈だ。
 この曝け出された日常に、何を見い出し、僕らは生きるのか。



 歩道橋で再び合流した二人の少年の小さな物語に、経済大国の行き着いた悲しみを拾い、僕は心の中で、そっと言葉を掛けた。