意識のピッチ

 最近、不意に自分宛てに今日送った古い小包が届くみたいに、過去に遭遇した。


 過去は新しく今日生まれる。
 僕は、妙にそんな実感を覚え、納得していた。



 過去は確かに変えようのないものだろう。
 だけど、現在は誰にも変更可能で、それによって未来すら形作られていくのが人生だ。
 僕らは多大なる自分の過去の出来事から影響を受け、自由を失っているような今日を生きていることが多い気がする。
 そして、人間にとってもしかすると一番盲点になっているのが、過去は現在に同時に存在するという概念なのかもしれない。
 それは、決して学校や社会では教えられない、不思議な法則に違いない。
 だけどこの頃、僕を取り巻く日常はそんな魔法のようなシナリオを僕に垣間見せ、僕の意識はまるで氷が溶け出すように広がっていくようだ。



 きっと、僕らは心のピッチに共鳴する過去を体験しているのだろう。
 僕は、それが真実だって気がするよ。


 自分が変われば、過去に対して自分が与えていた意味が書き換えられ、そのことで同じ過去から今までとは違った情報をキャッチすることが、きっと可能になるのだろう。
 そうすることで、過去は現在生まれるものだということを、僕は感覚の中で覚えているようだ。


 ふと思うんだ。
 自分の過去には無限の横顔や可能性が秘められていて、未来を創造する原理と似た感覚で、日々現在に引き寄せ続けているのだということを。


 そして、自由とは何だろうと考える。
 それは、きっと自分の思い通りに現実を作ることではなくて、どんな現実にも対応して生きていけるような生命力の別名のことなのかもしれない。
 自由へのより正確なイメージが心に備われば備わるほど、人生の中で体験する思い通りにならないことに対する受容能力が高まり、そのことで硬いイメージのしていた、運命を変えることがとても困難に思えたような現実が、逆に柔らかい粘土のように形が変わり易くなって、現在と同時に進行しているように思える過去や未来との素敵な接点に遭遇し易くなるのだろう。



 ある朝目覚めると、心の世界の庭にあるポストの中に、古い小包を見つけるように過去が訪れた。
 僕の意識が変わったから、過去に付けていた条件や意味が変わり、僕の知らなかった過去が、新しい真実として今日に生まれたのだろう。


 そうすることで、凄く幸せな便りが過去からの贈り物として届くこともあるかもしれない。
 そんな風に想像を膨らませていくと、今日をもっと素敵に彩りたくなってもくるよ。
 自分の心のピッチが高くなったことで、不意に過去から恵まれた幸が、今度は未来に跳ね返るように、人生は可能性の光を強めていくようだ。


 誰もの人生に良い過去が訪れますように。



 現在に対して、過去と未来はどうやら同時に進行しているようだ。
 未来には過去があり、そしてそれらの全てを体験させてくれる意識のピッチがもたらした真実との出会いの物語が、ここに存在する。