幻のダイヤ

 SNSを利用しての出会い。
 街の表情は、冷淡さと、そして豊かさとを同時に内包し、未来へと流れ込んでゆくよ。



 僕は、地元の駅の新幹線のプラットホームに佇んでいた。
 ネットで知り合った愛知の高校生の乗った新幹線を。
 彼は修学旅行で、我が街広島を訪れた帰りに、この駅に停車するから、会いに来て欲しいとのことだった。


 彼との出会いのきっかけは、僕の書いた「名もない日常のSTORY」という本からもらい、人生とは不思議な人と人との縁で紡がれ、構成されていると思う。
 たまたま、彼が図書館で手にしたのが、その本だったのだと、僕のブログのコメント欄に、僕の本との出会いのエピソードを書き込み、教えてくれたことを思い出す。
 ニュースでは、SNSで出会い生まれた人間関係がトラぶり、犯罪が絶えない社会でもある。
 だけど、昔ではなかったような人と人との出会いもまた生まれるという、魔法の玩具箱のような側面も併せ持っているよ。


 歌うことでしか人と繋がれなかったような、今日までの僕の人生。
 何を差して普通と仮定するのかは、勿論難しいことだけれど、ありふれた幸せな人間関係の意味を、僕はまだよく理解していないのだと思う。
 だから、歌を作り歌い続けてきたのだろう。
 本は、音楽ではまかない切れない部分の補足担当係みたいなものかな。
 だけど、言葉って本当に難しいよ。
 だって、考え方が皆違うから、例えば同じ一文を読んでも、伝わっていく意味さえ無限のメッセージとなり、僕が思い感じたままの意味合いが、誰かに正確に伝えられるということなど、まずないと言うべきものであるかのようだ。


 本を書いて、読んでくれた人との間に、随分多くの誤解を生んできたような気がする。
 だけど、誤解であるかもしれないことでさえ、受け取る側が与えた言葉への意味を否定する権利など僕にはないのだ。
 価値観が異なれば、言葉に感じる意味さえ、その表情の色を変えていくよ。


 ずっと長い間離れて暮らしている僕の母親が、今度二度目の自伝を出すとの話を思い出した。
 本を書くに当たって、僕の歌詞や一緒に映った写真などの使用許可を求められたけれど、僕は全て断っていた。
 その理由は、僕が家を出たり、本に込めた親の世代へのメッセージに向き合おうとする誠実な姿勢が全く感じられなかったから。
 それはちょうど、原発事故による福島の被害者側の訴えを退ける、国や東電の姿に重なって見えた。
 そして、本を読んだ親の世代の人々から、よくこんな風なニュアンスのことを言われることがあった。
 親不孝者って意味合いの言葉を、投げつけて不愉快さを露骨に滲ませる人の姿が、そこにはあった。
 僕は、ずっと感じ続けていた。
 子供って、親や社会にとっての未来への投資物なんかじゃないのだと。
 だから、僕は社会的権威に対する抵抗の姿勢を崩さず生きてきたように思う。


 そして、その価値観には従わず、自分の人生を取り戻し生きようとする子供達に対する社会的バッシングは、今もまだ激しく続いているよ。
 自分の心を守り生きる子供の姿が、親不孝者だと言われ、叩かれるのならば、それらの批判をこの体で受け止めて、また新たな言葉を探し、歌い出そう。
 愛し合う為に。
 そう思っていた。


 僕の言葉が、もしも純粋な気持ちから生まれたものであったとしたならば、きっといつか時代のふところに潜り込み、真実を訴えることだって出来るかもしれない。
 そんな風な淡い期待みたいなものに、僕はずっと希望を感じて生きてきたような気がする。


 簡単に結論の出る話ではなくって、まるで福一の問題とリンクし、時代はうねりながら、その複雑に絡み合った様々な現実を抱え、世界は葛藤を続けている。



 そして、そんな僕の本にシンパシ―を覚えてくれているように感じる、高校生もまたいる。


 彼が指定してくれていた新幹線のダイヤが見つけられなくて、きっと何かの間違いがあったのだろうと思い、指定時刻付近にやって来る新幹線を待った。


 結論から言えば、彼には上手く会えなくて、僕は久しぶりに佇む、登りのそのホームの風情を楽しんで帰宅の途に着いた。
 指定時刻を挟んで、二本、のぞみ号とこだま号がホームに滑り込んだ。
 その時、修学旅行生らしき子供達の笑顔を見掛けたけれど、スローダウンしながらホームに滑り込む新幹線の小さな窓を、目を凝らし覗き込むと、その一団は小学生のように見えた。


 あの指定時刻に駆け抜けていった幻のダイヤが、僕の心には存在する。
 擦れ違うパラレルリアリティーの狭間で、全ての現実の分岐点を象徴したかのような物語を詰め込んだ、透明な特別急行が、僕の現実に不意に現れ、その疾走する車体を風に唸らせては、名もない日常のストーリーの行く末へと消え去っていった。