壊れたレールの彼方

 昨年暮れ頃から僕が始めていた、サロン感覚のアコースティックライブ。
 嘘の生まれようのない距離感で、限りなく純粋に音楽の持つバイブレーションが伝えられるような空間。


 今年に入ってからも、そのスタイルで身近な人に生の音楽を届けていた。



 現実と虚構。
 音楽が奏でる世界は、きっとそんな狭間を行き来するものだろう。
 だけど、僕の求める音楽的世界は超リアル主義である。
 3.11以後は特にそうだ。
 虚構では救い難い現実が、この腐敗し切った社会にはあった。
 僕は、ブログタイトルをシュールにROCK決めこんでと名付けていたが、これは二〇〇七年に出した本とツインで制作していたアルバムの中の一曲のタイトルをもらったものだった。
 全ては直感の命じるままに流れ、辿り着いた結果だった。
 シュールってキーワードに隠されていると感じ続けていた、スピリチュアルメッセージに僕はいつも耳を傾けるように、感覚を頼りに手探りの日常は続いてきたのだろう。
 名もない日常のSTORYというアルバムから飛び出した、シュールにROCK決めこんでという曲のリズムが、まだ僕に何かを歌えとエールを送ってくれているかのような気持ちでいた。



 僕は、ミュージシャンとしてギター一本の弾き語りスタイルで、二〇一四年現在を歌い続けていた。


 昨年出会った近所のカフェ。
 その店の奥様のバースデー祝いにと、僕はギターケースを持ち、店に顔を出した。
 そして、その場で数曲歌う。








 歌の届け方としては、そんな感じでライブを僕自身がまず楽しむことにしていた。
 CD等とライブの音は、似ていて別なものであるように感じられると昔からそう思ってきた。
 データとして音楽を記録媒体に保存してはいるが、ライブでの倍音は再生されない。
 倍音は次元を更新するように広がり、天界へと駆け上る人類の祈りそのものだと、僕は長年音楽を続けてきて、そんな風に感じていた。
 どんな倍音を持つかで、天に通じることの出来る祈りとしての音楽に化けるかどうかの分かれ目を決定していくもののように思ってきた。
 人間の肉体も超物質的側面とオ―ラのようなエナジーとしてのバイブレーションにまで、人間という存在は形を変え、多次元的だと僕は感じてきた。
 そして、また音楽もそういった要素で成り立っていたのだろう。


 ミュージシャンがやっていることは、音というバイブレーションを使って、天界に祈りを捧げ、聴いている人の魂を非日常的世界へと連れて行くようなことだと思っていた。
 チャンネルを切り替えて、スピリットへと感覚を直結させること。
 その為に、ロックは益々シュールに燃え上がっていくことで、物事の本質を見極めていくプロセスを辿る。
 だから、アコースティックの持つ意味もまた、僕には音楽にとって欠かすことの出来ないような重要要素だと感じ続けてきたのだろう。
 エフェクターで作るエレキギターの音は、虚構的だとも言えるだろうか。
 アコースティックサウンドが常に核にあり、そのデッサンに色彩を与える役割としてのエレクトリックワールドというものが、僕にとって一番魅力的なものに思えていた。



 それらの話を踏まえた上で、今のライブのスタイルの面白さを暫く味わってみようと思っていた。


 カフェにはオーガニック食材にこだわったパスタランチや焼き立てパンが売られていて、こちらもまた、アコースティック的世界観を土台に、人が本来的なライフスタイルを持ち続けることの大切さみたいなものへと回帰する流れを、僕に感じさせてくれていた。
 歌で誰かの人生の一ページに縁をもらえるような経験をさせてもらえていることに、歓びを感じながら、ギターケースとの僕のこの人生の旅は続いている。











 そして、その翌日はオーロラという曲をプレゼントしていた縄文心導の倉富先生の開いた、僕の地元である広島でのワークに参加し、ライブを少しさせてもらった。
 一曲目にオーロラを先生本人の前で、初披露することが出来た。
 ワークに参加されていた人達にとっても、少しでも楽しんでもらえていたとしたら、僕にとってこれ以上嬉しいことはない話かなと思う。
 ワーク自体も僕にとって、とても久しぶりの体験となり、新しいストレッチの世界も日常の中で、コンピューターワーク等のストレスや疲労の多い現代人にとって、すぐに役に立ってくれる、とても嬉しいものだと実感する思いで過ごした。









 今回のワークには関東エリアから参加した人の姿もあり、本当に色んなことを感じ、考えてみる、僕にとってのいいきっかけになるような時間となっていた。
 先生やワーク参加者の方との記念撮影も済ませ、いい想い出になったことを感謝したい。


 先生とは約一年ぶりの対面となり、SNSで拝見させてもらっていた関東からの参加となった後藤さんと三人で写真に納まった。
 綿引さんという女性も後藤さん同様に関東からの参加で、僕の方は、二人共SNSで見たことのある顔だったので、初対面という意識は少し薄いまま、一緒に写真を撮らせてもらった。
 綿引さんとは、ほんの少しだけだが話をさせてもらって、SNSで見て受けた印象と同じく、明るいフレンドリーなパーソナリティーを持った方だなと思った。
 彼女は縄文心導で頑張っているのを知っていたので、東京で先生はいいサポートをしてくれる人に恵まれたなと思ったといった内容の話を、とても簡単にだけれど伝えさせてもらった。
 写真を撮っている時に、お母さんの足元で少し愚図りながらも、それでも大人のやり取りに付き合ってくれていた娘さんは、遠出で大人に気を遣い、疲れていたかもしれないけれど、出会ってくれてどうもありがとう。
 その他にもSNSで見たことのある顔が多かった。
 歌っただけで、会話もないままだったけれど、出会いという人の縁に感謝し、最近の話を伝えてみたいと思う。