未来へのFLIGHT
僕は、ふと道の駅でのドラマロケに遭遇した。
晴天に恵まれた、三月最後の一日。
現場の空気を体感しながら、ジクゾーパズルの一齣を入れ替えるように続く、カット割りされたドラマのシーンの撮り直しを見学していた。
誰もが自分の人生の中では主人公を演じ、僕らは生きる。
誰かの人生の脇役を努めている人の人生も、カメラをその人生に向けてみれば、全ての配役には等しく大切な役割が存在しているに違いない。
全ての存在が支え合い、様々な人生のドラマが織り重なり合って、どんな視点でワンシーンを抜き取り解釈するかで、物語の側面は無限にその表情を変え、真実があらゆる角度から、少しずつ姿を現していくようだ。
停車したタクシーの前で演じられていくドラマ。
ドラマ撮影現場を見学している、駐車場に佇むパラパラとしたギャラリーの一団に紛れ、昔上京した時に見た、渋谷でのテレビのクイズ番組の収録を見た時のことを思い出していた。
何かを表現し生み出す現場の空気は、嫌いではないけれど、業界臭さは苦手だなとか、色んなことを考えていた。
僕の立っていたすぐ近くには、ロケバンが停まり、開け放たれた後ろの荷台にはロケ弁らしきものが乗せられていた。
スタッフが大勢佇み、田舎の空気やテンポとは明らかに違った雰囲気を、僕に感じさせていた。
役者に光を反射させているスタッフ。
通行車両であるバスに、謝りながらエンジンを切って、その場で静かに待機してもらうスタッフや音声を拾うスタッフ。
やがて、パトカーが用意され、何か事件発生というドラマのシーンに流れ込んでいくことが見ていて分かってきた。
穏やかな三月の優しい陽射し。
僕の休日は、緩やかな時間に運ばれ、過ぎていった。
翌日。
月が改まり、いよいよ春本番の四月。
僕は、広島空港へと出掛けた。
ストレッチクラスでお世話になっていた先生が、僕の地元でのワークを終え、東京に一度向かった後、今度はアメリカへと出国するので、見送りに出向いたという訳だ。
空港のカフェで色んな話をした。
僕が先生のストレッチに出会うまでの経緯や、3.11に関係した社会問題等について。
それらは僕にとって、未来の希望を手探りするような話だったように思う。
搭乗口から旅立つ先生の姿を見送り、やがて滑走路を飛行機が飛び立つフライトの瞬間までの時が、静かに流れ去っていった。
滑走路を疾走する機体が唸りを挙げて、力強く大空へと駆け上るフライトは、実に不思議な先生の人生を回想してみせる瞬間へと、僕の心を遠く誘っていった。
旅への船出は、時空を一度隔て、まるで整理していくかのような感覚をもたらすものだって気が、その時していた。
先生の魂が経験してきた感動の集大成を、飛行機が離陸する瞬間感じ取り、拾い上げるかのように、理屈を超えたロマンへの旅へ僕も出掛け、その旅の中で僕自身の人生と先生の人生とが、やがて幻想を纏うようにシンクロし、近付いては、また遠く離れていくような気持ちになった。
先生。
お元気で。
大空へと舞い上がり、青空の彼方へと遠く飛び立った飛行機を、いつまでも見つめながら、僕もまた、自分自身の人生を再び歩き始めようとしていた。
広島空港からホームタウンに戻り、国道を車で走っていると、昨日のロケで見たあのタクシーが偶然横を走っているのを見掛け、驚いた。
何というシンクロだろう。
ほんの僅かな時間のズレで擦れ違うこともない筈のドラマのロケ班が、どうやら撮影を終えたらしく、東京方面に向かっている様子だった。
辺りを見渡すと、黒塗りのガラスのバン等、数台のそれらしい車が一緒に走っていた。
その頃、先生を乗せた便は、もう東京に着いていただろうか。
グッドラック。
それぞれの物語の続くこの世界が、どうか調和に満ちていきますように。
僕は、胸の中でそう小さく祈りを捧げた。