HAPPY BIRTHDAY
北風に抱かれた季節。
ライブハウス「HIDEAWAY」の壁に掛かった時計の針が、テンポ良く進み、マスターであるトクさんへの僕の個人的な還暦祝いの夜が、もうすっかり夜明けの訪れを待つばかりの時刻に辿り着いていた。
数日前である誕生日当日。
僕はその日のHIDEAWAYでのトクさんの還暦祝いのライブには顔を出せず、いや本当を言うと出さなかった。
僕は集団に入って行くのが苦手で、その日は花束だけを簡単なメッセージカードを添え届けた。
当日のライブの様子を知ったのは、ネットを通じてだった。
フェイスブックで、ふと見つけた。
どうやら仲間が主催してくれたようだった。
トクさんを慕う多くの地元アマチュアミュージシャン達が集っていて、写真には知ってる顔が並んでいた。
その他にも色んな立場でその場にやって来ていた人もいたのかなと、トクさんを取り巻く人間模様の一端に思いを馳せる。
トクさん。
その音楽と共に過ごした、あなたの人生にハッピーバースデー。
店を出る時、抱きしめ合い、互いの心を確かめ合ったこと。
それぞれの人生が重なり、僕らの心の夏は、きっと、まだまだ終わることなどないのでしょう。
それは、互いの心に音楽への飽くなき欲求や愛情を感じているからだと思います。
少し、あなたの人生に道草した冬。
その物語の中で聞いた、小さな小さな憧れの足音をここに刻んで。
飛び入りNIGHTと題された夜。
店は貸し切り状態だった。
いつもは、店の一番後ろの席を陣取る僕だけど、トクさんのリクエストでカウンターに並び、古いライブ映像を観る。
三十歳の頃のトクさんが、地元のホールのステージにバンドを引き連れ立ち、歌っていた。
僕の知らないトクさんだ。
三十年前。
若き日のトクさんの歌は、情熱に満ち、とてもロックだった。
この街を離れられないというフレーズが、とても印象的に耳に残る。
MCでの言葉だ。
トクさんの生き様や在り方といったものの根幹を成す要素。
僕は、その一点を深く見つめていた。
映像は、カット割りなど、事細かにとても上手く編集されていた。
バンドの音も良く、照明の効果もあり、音楽の表現している世界がより良く伝わってきた。
演奏中にバンドメンバーに笑い掛ける仕草や、客席へと投げ掛けられるその言葉に、とてもトクさんの人間臭さが滲んでいて、改めて愛すべき人だなと感じた。
結局、資本主義に背を向けて、地方のライフハウスでマスターとして生きてきた。
とてもザックリとした切り口だけれど、トクさんのミュージシャンとしての人生に対して、大きく方向性を分別して言えば、そうかなと思った。
それは、以前からずっと感じてきたことでもあるのだが。
僕は、トクさんという一人のミュージシャンに自分自身を重ね、人間としてこの世に生を受け生まれ、一体何を思い生きることが一番大切なことなのかということだけを考えていたかった。
トクさんはその昔、デビューの話を貰ったが、バンドメンバーは上手いミュージシャンが一杯いるのでいらないという、いわば業界のお決まりの台詞にげんなりしたといったエピソードを聞かせてくれた。
それで、その話は止めにしたとのことだった。
勿論、ミュージシャンとしてデビューしても本当に生き残れるのは極々僅かだが、それ以前に心が社会に対して躓いてしまっていたのだろう。
現代は、本当の意味で自身の思想を社会に伝え、主張するロックなミュージシャンがほぼいないかのようさ。
主張なき音楽は、せいぜい仲間内くらいにしか響いていかないって気がしていた。
勿論、過去の映像として残る、テレビの中の三十歳の頃のトクさんのその歌が、それならば社会に響いたのかと言われたならば、話がややこしくなってしまうのだけれど。
だけど、本質的には僕はその昔のトクさんの映像として残る歌の進む方向性を支持したいと思った。
音楽としてのクオリティーの話をしているのではなくて、もっと大切な部分に繋がる話だと僕は考えていた。
インディーズシーンは、メジャーの模倣を繰り返し続けていた。
全ては、資本主義的な価値の枠の中で展開し、その事実を意識しているミュージシャン自体が絶滅危惧種であるかのようだ。
ロックって一体何なのさ。
主張なきロックに、永続的リスナーの介入エリアなど存在しないと僕は自らに問い掛けてみる。
メジャーもインディーズも、もはや学芸会ノリで、伝えようとする魂が感じられなかった。
それは、とてもサラリーマン的な生き方のように思えた。
サラリーマンがいけないという話では勿論ない。
そうではなくて、より良い方向性への提示がなければ、音楽なんて本当は存在する意味がないんだって話なんだ。
そこに、現代音楽がビジネスに食われ腐敗していった悲しみがあり、僕ら人間のおごりや怠惰さがあるのだろう。
ミュージシャンの多くは、自らの魂の抱えた葛藤の浄化すら、手をこまねき、自己愛を叫ぶ道具に音楽を使っている現実があるように僕には思えてならなかった。
それは、とてもアマチュアな世界の話だと思ったし、社会にとって助けになる音楽とは言い難い性質のものであったのだろう。
それは、例えば大学の軽音楽部での活動と同等レベルの話に違いないと思った。
永遠のアマチュア。
それが、資本主義社会の中でアーティストと呼ばれている人達でさえ、この世界を牛耳っている悲しみの掟に呑み込まれてしまい、自らが無意識的に抱えている、解放されることのない人生の問題のように、僕は以前からずっと感じ続けていた。
プロフェッショナルとは何かと突き詰めて考えていくと、そこにはある種の自己犠牲の精神が宿った魂の闘いの姿が存在しているように僕には思えた。
そして、その領域に自らが立つ為には、自己の抱えている葛藤を、まず解放していくプロセスを通過する必要を感じていた。
だから、主張なき音楽がアマチュアの領域を抜けないという事実が存在しているって思えたんだ。
自己犠牲って、やっぱり感謝の気持ちの体現なのだと思っていたし、ただ単に自らの煩悩的な満足を求めた音楽の在り方では、決して辿り着くことの出来ない地点なのだと感じていた。
永遠に得られることのない枯渇感の埋め合わせのゲームこそが、僕の思う資本主義の姿だ。
きっと、トクさんは無意識的かもしれないけれど、そのことを直感していたミュージシャンと呼べるのかなと僕は思った。
三十歳の頃のステージで歌うトクさんの瞳が、キラキラと輝き、資本主義社会に対して物を言っているように感じられた。
僕は、そのことがとても幸せなことに思えて、とても嬉しかったんだ。
ファッション形態としてのロックを、僕らはロックだと信じ込まされ大人になった。
ビジュアル面やサウンドや、それに詞の世界。
そのどれもが虚勢され、人間の生きる本能的なリアリティーを失っている。
そして、そのことへの葛藤すら感じていないから、自己完結型の循環の中で、革命的匂いのするようなロックは死んでいったように僕は思うんだ。
ドギツイ照明やメイクも、そういった意味での主張から、どことなく逸脱していき、人の心の欲望の泥沼に沈み込んでいった感が否めないと僕は感じていた。
そういったことを改めて考えさせてくれるトクさんの昔の映像だった。
それから、何といっても僕が受けた傑作は、ステージでのトクさんのバック転する映像を観せてもらったことだった。
歳は確か二十三四と言っていただろうか。
若くて、体つきも今よりずっと細身のトクさんが、その肉体を躍動させ、シャウトしては動き回り、情熱を発散させていた。
体操部だったことを聞き、僕の持つイメージとのギャップに吹き出した。
それらの映像を観ていて、僕の今まで知っていたトクさんの姿が、更に全体像として、不意に浮かび上がってきたかのような、少し神秘掛かった体験をした。
人は死んだ時、自らの一生を早送りの映像で振り返るという話を聞くが、まるでそのプチ体験だなと思った。
KAYAというバンドと共に生み出していた僕の知らない曲達。
当時のそれらの歌は、僕の歌と思想的にとても近いものだと感じた。
それで、僕は思い当たった。
トクさんがよく、自分と菅原君は似てるといったフレーズを、会話の途中で口にしていた。
なるほどなと、当時のリアルな映像を観ると、今まで以上にその思いが迫り、僕の胸を何かが締めつけるような、切ない程の痛みを覚える気がした。
そのことの意味を、きっと僕らはまた探し、歌い続けていく宿命なのだと強く感じていたように思う。
そんな風に愛しきHIDEAWAYでの時間は過ぎていった。
そして、僕は自分の曲の譜面を手にした。
ギターを持たずに店に立ち寄っていた僕は、備え付けのギターを借りて歌おうと思っていた。
メーカーはモーリスで、とてもナチュラルな澄んだ綺麗なサウンドが特徴的なギターだった。
チューニングすら狂ったままだったけれど、トクさんへハッピーバースデーの気持ちを一曲まず伝え歌う。
歌い終わって顔を挙げると、トクさんのクリクリとした瞳から大粒の涙が零れていた。
色んな人生の中での葛藤が、きっとそうさせたんだろうなって思った。
この曲は、昨年出会ったカフェの一周年に捧げる曲をと思い作ったものだったのだけれど、色んな経緯から、こういったHIDEAWAYでの初演という運びになった。
曲って、一曲一曲運命を背負い、まるで僕ら人間と同じように、この世にその生を受けていることを感じてきた。
この曲の使命を思うと、なかなか楽しみな一曲になるのかもしれないと今思っている。
誕生日は誰にもある訳で、コンセプトとしてまず分かり易くて、歌の世界に入るのがとても楽なんじゃないかなと思う。
この歌を歌い出す前に、トクさんは嬉しそうな顔をしてくれて、酒を用意するからちょっと待ってと笑わせてくれた。
その後は、パーティー気分で暫く盛り上がり、マイクを通すこともなく、カウンター席に固まり、究極のアコースティックライブは続いた。
トクさんは上機嫌で、ずっとタンバリンやコーラスで演奏に加わり、随分楽しそうだった。
僕にギターを弾かせ、自分の曲を含め、トクさんが敬愛して止まないボブ・マーリーの曲と、併せて数曲を歌ってくれた。
今年一月に亡くなったトクさんのバンド、KAYAのメンバーの話もたくさん聞かせてくれた。
彼はドラマ―で、トクさんの三つ上だったそうだ。
バンドをやっていく上で、詞についての解釈の説明をそのドラマ―に昔求められ、それを理解した上でドラムを叩くという彼の考えが、当時のトクさんにはとてもカルチャーショックだったようで、特に印象深く僕の心に焼き付くエピソードとなった。
トクさんは、そういったことを彼から学んだと熱く語っていた。
今後は、その彼の分まで生きていきたいと思うようになった様子だった。
自分が生きている限り、その人は自分の中で生きてる。
そんな風に失った仲間への思いを口にするトクさん自身が、きっと還暦祝いへと誕生日当日に用意された、あの日のライブに駆け付けた多くの人達にとって、そのドラマ―の彼みたいな存在なのかもしれないと思った。
ただ、感動的な話の腰を折るようだが、苦愚痴を言わせてもらえれば、地方のライブハウスの現状も、原発利権社会同様に村社会だと僕は思っていた。
まるで学校のクラスで成績順をせせこましく争っているような側面が、多かれ少なかれあることを、ずっと目の当たりにしてきた。
自分達のルールに従わない人間は、暗黙の内にその輪から省き無視するような空気。
こいつは上手いと思うと、いじめ体質が働き、この社会の醜さや卑劣さというのもを、僕は幾度となくライブハウスという場所で現実に体験してきた。
そういった意識の中で調和や真の平和を生み出すことは、とても至難なことだと思うけれど、ミュージシャンのような連中が社会の先頭に立ち、改革しようとする意識に立たなくて、何がロックだ!、ブルースだ!と僕はずっと言いたい気持ちを抑え歌ってきた。
だけど、もうそんな遠慮をしている場合じゃないって、最近は時代への緊張感をいい意味で、ポジティブな行動を起こしていく為の起爆剤として使っていこうと考えていた。
ライブハウスという村社会に、より成熟した幸せの輪を希望して止まないような心境を、トクさんが還暦を迎えたことをきっかけに、より強く抱え始めていたのかもしれない。
皆が幸せになる為には、やっぱりまず他人を尊重しなくちゃ始まらないし、結果的に自らすらも傷つけてしまうことは自然な成り行きだと、いつも思っていた。
ライブハウスでのそういったドロドロとした現実について考えることは、社会全体を良くすることと同じだから、ズバッと本音が言える人間がやっぱり一番偉大な器の人間ってことなのかなと、よく考えてみることがあった。
怒りの発散や他者への攻撃性とは別次元の、清らかなる精神を持つ一人の人間としての誠実さや率直さ、素直さ。
きっと、そういったものが本当の人間の優しさのようなものに近いのかもしれないって考えることがあった。
社会的によく言われる優しさって、本当かい?
本当の仲間って、一体どういうものなのかな。
ライブハウスで日々繰り返されてきた友情のドラマに、僕は体当たりのロックンロールを心の中で叫んだ。
トクさんは、僕のそういった性格までちゃんと分かった上で、僕の歌を愛してくれていると感じてきた。
だから、僕はHIDEAWAYからずっと離れられなかったのだろう。
僕の仲間という感覚について伝えるとすれば、例えば激しく弾丸の飛び交う戦地で、互いを信頼し共に闘い抜くことの出来るような存在のことかなと思い生きてきた。
平和ボケの国で、愛する音楽すら互いの優劣を計る為の道具にし、表面上は上手く取り繕いながら、腹の底では、結構クールに競い合っている。
それが、僕の見つめてきたライブハウスという日常だった。
近年はインターネットのSNSがあるから、人の心の本音がよく分かるし、趣味で音楽をやっているだけというスタンスでいるアマチュアミュージシャンだって、殆どの場合、本心は意外とそうでもないことを窺い知るような場面に、頻繁に遭遇することがあった。
そんな時は、思わずこの世界って、かなりのパーセンテージに於いて、体裁を繕い、本音を心の底に隠したままのゲームを続けているのかなという思いに捕らわれていくようだった。
そのゲームの主導権を奪い合う人のエゴが、日常に悲しく散乱したガラス片のように尖り、人々は互いに深く傷つけ合い、葛藤を続けている。
そして、その現実はトクさんが若き日に闘ってきた社会の矛盾にも繋がるものだと、僕は思った。
トクさんはきっと、社会や時代に立ち向かった自らの青春の日々の中で、何かに敗北したり、また葛藤しながら、どうにか今日の自分の音楽スタイルみたいなものを守り抜いてきたのではなかったか。
世の中に時に染まり、妥協し、矛盾を一つ一つその胸に呑み込みながら、それでも人を愛そうとしてきたのではなかったか。
そんな風に、僕の主観で切り取った広島の片田舎のインディーズ事情を、想い出の中で、必死に手繰り寄せていた。
僕が心から皆に伝えたかったことは、音楽が趣味だとか、アマチュアなんだからとか、プロフェッショナルとはとか、そんなことではなくて、本当は、人とは何をする時にも誠実な心を込めなくちゃならないのではないかということだった。
そうでなければ、きっと人は謙虚になれないと思ったから。
例えば、音楽をやっている以上、どんなスタンスであれ、本気で愛を自分の音楽に捧げ祈ること。
そうすれば、きっと他人との比較や争いの心は消えると僕は信じていた。
今、この社会にはそういった物事への敬いと、生きていることへの感謝が希薄過ぎるから、全てがドロドロとして、日常がとても退屈で不幸そうな顔をしているように思えるなんて考えていた。
例えば、SNSで原発関連の話題を仲間が振ると、無反応を決め込む様子を窺うことが多かった。
皆、周囲の視線を気にして、自分の思いを表明することを避けているのか、とても不可解な光景に僕には思えてならなかった。
原発や放射能のことでこれだけ引いている訳だから、絶対弾丸の飛び交うような戦場なんかで、仲間として誰も援護射撃なんかしてくれず、見捨てられるんだろうなって、そんな想像を膨らませてしまう僕がいた。
勿論、人間は弱き側面を持った生き物だと思うし、僕だって、そんな戦地のような所で仲間に本当に背を向けずいられるか自信はないなと考えていた。
だけど、きっと僕ら人間が意識し続け、心を磨き続けなければならないのは、日常的にどんなことにも情熱を持ち、取り組む姿勢なのだと僕は信じていたいと思った。
ミュージシャンであれば、プロ指向やアマや趣味といったそれぞれのスタンスの中で、行動の原点に存在すべき誠意を、絶対に失ってはならないのだと僕は思い続けていたんだ。
それは、自分の些細や気持ちや願いを大切にして、いい加減にして誤魔化してしまわないということ。
誤魔化しの心は、全てを堕落させてしまうように思えた。
嫉妬や妬みや競争心。
それは、自分の心を偽り、見捨ててきたことの反射として起こる、自分自身への嘆きと失望の叫びであるかのように感じていた。
その負のスパイラルから抜ける道は、ただ一つ。
本気で生きることだと思っていた。
自分に優しくしなくちゃ、誰もこの社会では愛の手を差し伸べてくれる者はないに違いない。
だから、まず自分を救ってやらなければ。
それが僕の思う、自分の気持ちを誤魔化さず生きることの大切さの訳だろうと考えていた。
時代も区切り目。
トクさんも還暦で、僕の魂は解放のリズムに乗り、ロックンロールを歌いたがっているように感じられた。
だから、今夜は少し生意気を言わせておくれよ。
ミュージシャンも自分の居場所作りの方に忙しくしていて、自分の音楽を信じ、まっすぐに取り組んでいる姿はあまり見ないように思う。
勿論、皆一生懸命だ。
だが、もっともっとまっすぐな心で、音楽と向き合うことから、この腐敗した社会を音楽の持つ温もりで温め、立て直していかなくちゃって、正直に言うと、僕はそういった周囲との隔たりや温度差をずっと感じやって来た。
それは、メジャーでもアマチュアでも立場は全く関係なく、人の生きることへの誠実さへと繋がる大切な話だ。
音楽家は資本主義の奴隷として使え、その代償に、自らの体内から吐き出されるリズムが社会と抱き合うことで、何だか悪魔的リズムに生まれ変わり、才能までも蝕まれているよ。
医療の現場では、薬という名の猛毒で人の命までもが金にすり替えられ、闇に葬り去られているし、警察は権力の飼い犬だ。
フード産業は、食い物でないものを加工食品に変え、政治は政治をしないし、教育は社会的洗脳マシーンに成り下がっているよ。
さあ。
これから俺達、この国をどうしていく?
この夜の物語は、僕らの個人的な話だが、全てはきっと繋がっている。
誰にとっても、何か日常的な風景に新しい価値を少しでも見つけ出す為の助けになれたらいいなと思い、僕はノートパソコンのキーボードを弾き、この思いを伝えている。
HIDEAWAY トクさんの還暦祝いに