GATE





 店の前に飾られたガーデニングの花束は、四月の静かな午後を彩り、とても綺麗だ。


 何気ない幸せって、こんな感じかな。
 僕は、心満ち足りてゆくような気持ちになりながら、二週間程前ライブをさせてもらったきららカフェへとやって来ていた。



 二〇一四年 春


 資本主義にさらばと手を振って歩き出した僕は、ギターによる弾き語りを続け歌っていた。
 ビートルズのようになって武道館を目指すこととも違い、矢沢永吉のように成り上がることとも違う。
 僕は、今迄の成功スタイルすらひっくり返すような、もっと別な価値観によるライブ形態自体を探し始めていたのかもしれない。
 誰もまだ価値を見い出していないものの中に、本物の匂いのするような新パラダイムは、きっと生まれていくだろう。
 武道館も素敵だが、固定化され過ぎた成功モデルが、既に僕には何だか退屈に思えて、資本主義の枠から脱したロックミュージックの在り方を掴み取りたかった。


 このカフェの奥の部屋での、この間のライブの感覚はなかなか良かったと僕自身そう思えたことを振り返る時間が、毎日の中で時々顔を出し、流れ去っていった。
 ギターを弾いて歌うことを覚えた中学三年の頃から、スタイルは寧ろ何も変わった訳じゃなかったけれど、何か新しさを僕は感じているようだった。
 それは、本当はライブのスタイルにあるのではなく、心の自由さにこそあったのかもしれない。


 カフェの奥の部屋は、本当に自室の空間みたいな感じで、PAも使わず、それが特に自然でいいなと感じていた。
 街のコンサートホールでのメジャーアーティストの圧巻のライブパフォーマンスを人々は聴いて来た訳だから、僕のようなインディーズにはインディーズの違った何か魅力があった方がいいって、何となくそう思っていたんだ。
 だから、これまでのミュージシャン達の辿って来たであろう上昇志向の中での発想とは別の道へと進む流れの中で、僕は自分だけの歌を自分だけのスタイルで、自由に楽しみ始めていたのだろう。


 ちゃんといい曲を作って歌えば、そこに循環型社会のひな型となるような調和が生まれる。
 僕の直感はそう囁いているようだった。


 僕のライブで体現したいのは、例えば脱原発というマインドだったり、果てしなき生存競争の無限ループの輪を逸脱していくような、真実のリズムを奏で歌うことだろう。
 ライブにはきっと、CD等の音楽の記録媒体からは感じ切れないような何かがあると思うから、だから今はこんな風に歌ってみようか。
 僕は、今という時間の歩幅に心のチューニングを合わせ、一つの現実から、また別の現実の中へと旅をして生きている。
 心の中で続く一人二人称の僕と僕の会話は、どこまでも。







 店に着いて、それ程時間は経過していなかった。
 カフェの奥の部屋とを仕切っている扉のガラスの向こうには、モンパルナスの絵が飾られていた。
 モンパルナスというのは、この店のある団地付近に住む絵描き集団の名前だった。
 この日、僕はその絵を鑑賞させて貰った。


 ライブ当日にも、既に奥のライブ会場となった部屋の壁に飾られていたのだけれど、僕は自分のライブのことで、絵を見る余裕等なかった。
 年始の挨拶を兼ねてカフェに顔を出した際、ライブの話をマスターから貰い、モンパルナスの集いの為に用意したものだった。
 絵の放つ色彩美にうっとりしたり、画家の意識波動の転写物としてのキャンバスに宿ったメッセージに同調したり、絵画の世界も音楽と同じで、とても好きだ。
 画家は絵でその人生を語り、音楽家もまた、曲が生き様を伝えてゆく。


 この間のライブ当日にはなかったドラムセットが置かれ、壁の絵の下には一本のアコースティックギターも置かれていた。
 店を経営するマスター御夫妻の娘さんが、社会人になってからギターを弾きたいと言われた際に、マスターが買って来たとのエピソードを、マスター自身が話して聞かせてくれた。
 何度か挑戦はしたけれど、今は弾かないからとのことで御夫妻が引き取り、ここにある経緯を知る。
 僕は、このギターを手に取ると、暫くポロンポロンと奏で時を過ごした。
 メーカーはモーリスだった。
 弾いていると、やっぱりモーリスの音だなあっと、しみじみ心に沁み渡るような、特徴ある澄んだ響きを感じていた。


 この間のライブのことを振り返ったり、今後またこんなライブをと、色々に話に花が咲く。
 縦社会の崩壊した世界。
 コミュニティーの持つ力が、きっとこの国を建て直すきっかけになるんじゃないかなって考えていた。
 ライブを聴いてくれた特に女性の力は凄いものがあると感じた。
 いいと思ったものは、すぐに友達に話して広げていくのが女性の特徴だし、理屈抜きの感覚で現実が造られていくことを感じていた。
 マスコミが腐っていた時代。
 本当のことが伝えられるようなコミュニティーが大切だと、僕にはそんな風に思えていた。



 3.11が起こって以降、国は内乱状態に陥っていた。
 だけど、その実態は何だろうか。
 僕は、人の在り方を正すことでしか、真にこの混乱を治めることは出来ないだろうと思っている。
 それは、一人一人の選択だと思うし、他人が代わりに背負ったり、かばったり出来るものでは勿論ないだろう。
 壊れてしまった社会のレールを降りて、自分の心に素直になり生き始めること。
 自分を理屈で縛ってしまわないで、心の愛に忠実になる純粋さを取り戻していくこと。
 僕にとっては、そういったものこそが、この人生の中での本物の価値だと感じている。


 社会の価値に従っていれば上手くいく時代は終わった。
 音楽の世界でも、かつての成功モデルは意味を失くしているが、その終わったサイクルの中でまだロックは行く当てを探し出せないでいる。


 僕は、その終焉したサイクルの破れた次元の裂け目から、足を一歩踏み出すように、ギターを抱え、歌い始めたばかり。



 人の心が、どうか安らかでありますように。
 愛と調和の世界へとシフトするゲートをまるでかい潜るように、この胸のハートビートが無限のロックを奏でている。