SPECIAL DAYS
カフェの扉から店内へ入り、マスター御夫妻に挨拶をする。
一週間ぶりに顔を出す、きららカフェ。
水曜日の午後。
カウンターに並んだ、オーガニックで出来た焼き立てパンに微笑む。
何気ない毎日は、本当に恵まれたものの多さに驚く程だけれど、まだ何かが足りないような気持ちにせかされ続けている僕ら現代人には、有難みが分かり辛くなっているって、いつもそう思うんだ。
カフェテラスには、いつもスズメが餌をねだりやって来るのだと、マスター御夫妻が目を細めるように、その愛しさについて話して聞かせてくれることがあった。
きっと、人の暮らしの幸せって、そういうことなのかなって、僕はその話を聞いて、現代人の忘れもののような幸福感について、時に思いを巡らせながら、このカフェとの付き合いを続けさせてもらっていた。
安部政権の不穏な動きについて、何か発言するならば、経済が底打ちした暮らしが傾き続け、悪足掻きする断末魔を見ているようだと、僕はそんな風に感じていた。
国が貧しくなると、戦争で儲ける。
二十世紀的で随分古臭い、陰気なやり方に違いないって思う。
このカフェでの日常と政治家の考える現実への解釈には、恐ろしいくらいの温度差による隔たりがあるって思うんだ。
庶民感覚を少し勉強して欲しいな。
とても生意気なことを言うのだけれど、国民的にはこのピンチの時代に、戦争なんかよりも、もっと皆が幸せになれるような政策って、案が一杯ある筈なんだ。
エリートによる、エリートの為の政治。
九十九パーセントを奴隷にして、一部が富を得るなんて、二十一世紀になって久しいこの世界には、何だか時代劇が街に突然現れ、もう死んだ社会規範の中で、屁理屈満載のルールによる正義を押し付けられているかのような気分になり、げんなりしてしまいそうさ。
そんなことよりも、僕らはもっと、子供達の純真に輝く澄んだ瞳に希望を見たいし、人と人が愛し合い、助け合うような毎日に感動を覚えたいよ。
きっと、多くの国民の心の奥に眠っているであろう平和への叫びって、こんな風じゃないのかな。
人生、悲観すればきっと切りのないものなのだろうなって、四十歳になった今、僕はそう思うんだ。
この社会の正義なんて、本当に様々に存在していると思うし、複雑過ぎるけれど、真の平和を僕らが望むのなら、最初に踏むステップはシンプルなんじゃないかな。
まず、自分の心が穏やかになる生き方をすること。
それは、心の中にいる自分の神様に嘘をつかず、正直に生きることなんだと思う。
今は、ズルくても上手くやればいいって社会だから、お天道様に顔向けが出来ないなんて発想自体が壊滅状態だよ。
でも、逆にそれが人の世の不幸の始まりってものなんだと僕は思う。
良心が痛まないのだから、人生がポジティブになる筈ないさ。
自分にも他人にも優しい発想の中に、調和は生まれ、まず与えなければ、受け取るものは自分の自惚れと傲慢さとが生み出した、不調和な現実でしかなくなってしまうのが、この世の摂理なのだろうという気がするよ。
そして、本当はその不調和な現実でさえ、僕ら一人一人の心の中にいる神様からの大切な贈り物なんだ。
僕は、カフェの奥の部屋へと進む。
部屋に入ると、この辺りに住む画家集団、モンパルナスの絵が、荒んだ日常に慰めの色彩を放ち、壁に飾られたままで、ついさっきまでの人間には秘密の会話を慌てて止めたことによる、余韻を引きずるような時が流れる。
壁に立て掛けられているアコースティックギターと会うのは、先週やって来た時から数えて二度目のこと。
早速ギターを手に取り、マスター御夫妻を相手に数曲のミニライブを始める。
ライブハウスじゃ、音楽をやる人間ばかりで、聴きたいってニーズもさほどないから、カフェで歌うのが楽しい、この頃の僕なんだ。
そして、僕が歌っているこの祈りの先にいる、僕の内在神。
歌って、僕にとっては内在神との語らいのようなものでもあるのだと思う。
自分をまず幸せにしてやれるように、良心に向き合い、悲しみなんかに絶対負けてしまわないように愛を叫ぶんだ。
目に映るものに対する、全ての疑いという名の幻想よ、解けよってね。
僕達人間が、それぞれの人生に背負う悲しみや抱えている葛藤を乗り越え、成長する度に、疑いという名の幻想は解け、真実は生まれるだろう。
だから人はいつしか、人生に訪れた悲しみにさえ、ありがとうと言えるような心の強さと優しさに、自ら出会う時を迎えるのだと思うんだ。
不調和な現実の痛みさえも、本当の自分を照らし出す為の鏡となり、内在神からの呼び掛けに、人はいつしか応え、心の自由を知る。
そういうことが、きっと愛と呼ばれているものの性質に近いのかもしれない。
何かを疑い、怖れ、否定するよりも、もっと自由で幸福へと向かう、真実へと続く道がきっとある。
政治家の人に言いたいな。
何故、ミサイルよりも先に、人々が幸せになるようなアイデアで世界を輝かせようとしないのですかと。
平和や幸せを築こうと思えば、今すぐにでも出来る、素敵な外交だって幾らでもある筈。
向こうがそうしないからは、大人のルールではありませんよ。
愛が欲しいのならば、いつだって、まずは自分から歩み寄る勇気と知恵がなくては、この世界はいつまで経っても、戦争や悲劇や悲しみのオンパレードで、最後には誰一人幸せになどなれないに決まっているって、僕は思う。
だから、僕は心に永遠の九条。
悲しくたって、微笑みを忘れぬように。
誰かの笑顔を守る為に、僕はいつまでもいつまでも歌っていたい。
ただ願いはそれだけなんだ。
人生に訪れた歓びも悲しみも、きっと全ては贈り物。
正しさも過ちも一杯詰まった、それぞれへのスペシャルプレゼントのようだ。
僕は、カフェに備え付けのアコースティックギターを掻き鳴らし、永遠の九条のイントロのコード進行を奏で、歌い出した。