序章




 初夏というには、まだ気が早いようだけど、それでも五月の快晴の空は高くなりつつあり、遠く入道雲のようなたくましい雲が出始めていた。
 国道を走る車の窓から、マイホームタウンを眺め、東へ向かった。



 雑用を済ませ、今度はきららカフェへと向かう。
 この日、僕はろくに寝ないで、明け方まで曲を作っていた。
 唐突に始めることになったユニットに、自分がいつもやってる曲だけじゃあもったいない気がして、折角だからと思い立ち、ICレコーダーに鼻歌で数曲吹き込むと、少し纏まった睡眠をとった。
 最近は、何かときららカフェに厄介になることが多くなっていた。
 御近所のコミュニティーとしての役割を果たし始めようとしているように思えた、このカフェには、様々な人の思いが集結し始めていた。
 そして、僕もその中の一人だったという訳だ。


 その日午前中に通っているクリニックで、診察の際、不意に院長先生がボソリと洩らした言葉を思い出していた。
 コミュニティーも段々大きくなると、対立が必ず生まれる。
 そんな風な内容の話だった。


 人に自分の純粋な思いを伝えることって、何て難しいのだろうと、社会に揉まれながら暮らしていると、よくそんな風な思いをする出来事に出くわすのは確かなことだった。
 葛藤多き日常には、誤解と偏見、そして果てしなき人の心の欲望が吹き溜まり、ギクシャクとした不協和音の嵐だって、時には吹き荒れる。
 善意が善意として伝わるとも限らないし、逆に誰かの陰謀であったにしても、大衆文化の中でいとも容易く正義として根付いてしまうことだってある。
 そんな世界が、二十四時間クルクルと自転する地球の上に毎日繰り返され、僕らは真実を目隠しされたまま、それぞれの立場から、答えが一体どこにあるのか、手探りしているみたいだ。
 本当に、人の心とはとてもデリケートで複雑なものだなって思う。
 それぞれの人生の経験を通し学んだことを、価値観のモノサシとして、この世界の全てに善悪をジャッジメントしているみたいだ。
 僕も、そんなちっぽけな人間をやっている訳で、真実なんて本当は誰にも分からず、神のみが御存じのもののようでもある。
 人を愛すことって、きっとその人の純粋な部分に触れることだったり、そんなものを感じることから始まる、一種の恋みたいなものなのかもしれない。
 そして、その人の持つ純粋さって、自分自身の心の中にもある透明な澄んだ思いなんだと思う。


 コミュニティーの持つ意味って、きっとそんな風な人間の素朴な心の営みにアクセスしていくような文化的色合いの強いものなのだろう。
 多様な価値観の共有が出来るように成熟するまで、その文化交流は様々な葛藤を時に抱え、未来へと歩んでいくのだろう。


 僕は、そんな風にきららカフェ的な文化の広がりに思いを馳せた。



 店に顔を出すのは、その日二度目の事だった。
 マスターが用事で外出したので、一端用を済ませ、再度店へ行くことにしていた。
 店は綺麗な丘の上にあり、そこは団地だった。
 マスターがここへ越して来た時、団地の高台に輝く夜の星がとても印象的で、きららって店のネーミングになる一つの理由になったとのことだった。
 団地の坂道は、街路樹や春の陽射し、そして輝いた爽やかな風に彩られた風景画のようで、何だかとても素敵に見えた。


 店に着くと、その日の目的へと一目散に進んだ。
 奥の部屋へ行き、壁にもたれ掛けてあるアコースティックギターを借りて、マスターとの新ユニットによる練習タイムへと流れ込んでいった。
 店には、色んな思いで人が集まって来るから、もしかすると、こんな風に僕がギターを弾いたり、歌ったりしていることを良く思わない人だっているかもしれない。
 例えば、壁に飾られている絵の前で軽音楽なんか歌うなって思うような絵画愛好家だっているかもしれないから、その辺は少し難しい所でもあるのかな。
 最近、この店で歌わせてもらってみて、大抵の場合はお客さんの反応が好意的に思えていた。
 そんな風に笑顔が増えるような時が、歌っていて一番嬉しいことだなと感じていた。
 僕の歌を聴いて喜んでくれる人に出会うようになったのは、このカフェで歌わせてもらうようになってからだった。
 それまでのライブハウスでの活動は、大体がいつも何か腹の底を探り合っているかのような、すっきりとしない空気の中続いてきた。
 互いに人は、自尊心を踏みにじりながら傷つけ合ったり、それなりの付き合いを続けていたり、そんな印象だったように思う。
勿論、いい仲間で集い盛り上がっていた人もいただろうし、ネガティブにばかり状況を見てきた訳じゃなかった。
ただ、僕が感じていたことは、もっと大きな時代的な流れの中での、この暮らしの持つ意味や社会的価値観の偏りみたいなものだったように思う。
それらについて感じていたことを伝え歌うこと。
それが僕の人生の意味だって、僕はそういう思いを持っていたんだ。
そして、その思いを伝えていく為の窓口として、突如きららカフェが僕の人生に現れた。
人や物事の出会いや縁について思う。
必然性の中で人生が運ばれていくような、はっきりとした瞬間もある。
このカフェとの出会いは、どちらかというと、そういった流れに近い感じかもしれない。
何でだか僕にも理由は分からないのだけれど、ここで歌い出すべき時だって、心の中で神様がそう言っているような気がした。


 一体、この話がどこへ流れ、辿り着こうとしているのか分からないけれど、マスターとのユニット等楽しみながら、この過ぎゆく春を満喫したいと思う。