SHOUT

 木曜日のきららカフェに顔を出すのは、どちらかというと少し珍しい。
 僕は奥の部屋で、マスターとのユニットで歌う。


 五月最後の木曜日。
 部屋は蒸し暑く、段々真夏が近付いて来ることを肌身で感じている。



 歌い出して間もなく、額から汗が吹き出している。
 何だか、学生の軽音楽部の夕練の風景のようで、爽やかな気分だ。
 この所酷使してきた喉が、小さく悲鳴を挙げた。
 歌い終える度、机の譜面の脇に置いてあるコップの水を勢いよく飲み干す。


 社会は、どんどんと変化し続けている。
 僕の周りの人間関係だって、例外ではない。
 何だかこの頃は、腹の底に人々が隠しておいた感情や思いが、スケルトンみたいに透けて見えているみたいだ。
 嘘や誤魔化しの効かなくなった、超リアルワールドの到来。
 どっちみち全て真実なのだから、受け止め、受け流し、愛していきたい。
 だから、僕は思わずシャウトする。
 ああ、愛したいってさ。
 そして、またシャウトするんだ。
 ああ、愛せはしないって、真逆の思いに捉われ、矛盾した感情の狭間でロックンロールを歌っているよ。



 東京電力の中の人の誠意ある言動が伝わって来た。
 こんな報道が流れ出した五月。


 僕は純粋に、ただ音楽に汗と情熱の全てを費やしていたいだけだった。
 世界はやがてひっくり返るだろう。
 生き辛く感じていた世界の様子が違ってきている。
 僕にとっては、随分自分らしさを受け入れてもらい易いような時代の空気に、感謝や歓びを覚えることが多くなったと思う。
 世界は幾層にも織り重ねられたパラレルワールドに違いないのだろう。
 皆、自分の信念を人生の王様にして生きる、神のような存在だ。
 僕や君がイエスと言ったり、またノ―と言ったことがリアリティーを持ち、それぞれの現実を休むことなく生み出し続けている。


 僕は、核なき世界を望む。
 平和利用も危なっかしくて、もう時代遅れだと思うんだ。
 安全神話の消えた世界だもの。
 何故、社会は進んで新しいシステムの構築の為に、夢にリスクを支払いチャレンジする冒険の旅に出ないで、尻込みばかりし続けているのだろう。
 その方が、きっと誰にとっても豊かで、生き生きとした世界に繋がっているに決まっているのに。


 もっと楽しもう。
 もっと人生冒険してみたいんだ。
 ノ―リスクの安定型を望んできたエリートが、路頭を彷徨い、壊れたレールの彼方を頼りない眼差しで見つめ、突っ立っているよ。
 憲法九条の解釈についても色々な考えがある。
 だけど、軍備増強とか言っても、原発事故後の政府の対応の全てを見る限り、憲法解釈の変更には信頼し託す気になれない。
 それに、戦争って言ったって近代戦だ。
 昔の戦争のイメージじゃなくって、本気になればボタン一つで人類滅亡のシナリオさえ描くことの出来るハイテクノロジーを持っている。
 戦争はもはやイメージの産物であり、実際の話、僕らは誰も近代戦を語れもしない。
 政府の主張の多くにリアリティーがなくってさ。
 独り相撲を続ける、自己中人間の妄想みたいで、世界に対して格好悪くて情けないような気分になっちまう。


 本当のことを知った人々は、自ら立ち上がり、壊れたレールを降りて、心から望む人生を取り戻そうと再び歩き出しているのだろう。
 それは僕も同じこと。
 世界は変わる。
 僕が一つシャウトする毎に、現実が入れ替わっていくのを僕は感じているんだ。