PEACE

 世界の平和。
 途轍もなくスケールの大きな話だ。



 僕は毎日自己矛盾を抱えているし、昨日握りしめた筈の真実すらも打ち消され、他人を困らせる正義だって時には掲げ、争いを生んでいるのかもしれない。


 この世界で大切なこと。
 戦争なんてまっぴらだと思ってるけど、多くの人が望む平和の大切さを口にすれば、何だか偽善めいて響くような毎日だ。
 平和を口にすれば、理屈っぽくなるようで、詩を曲に乗せて歌うことにしか、僕には希望がないような気がしていた。
 思想はとても大切なものだけれど、スポーツのルールブック上の論議のようで、リアリティーに乏しく感じることもあるかもしれない。
 愛が大切だけど、資本主義の国に生まれ育ち、生活を抱えて、人は何をもって純粋さや夢を守り生き抜いていくのだろう。


 歌のメッセージとして大切なのは、そういった想いの交錯する人生の中でもシーンを歌い、真実を射抜くことかなと考えていた。



 掻き鳴らすアコースティックギターのコードストロークが静まり、エンディングの余韻に想いを馳せた。
 テーブルのアイスコーヒーのグラスのストローを啜る。


 七月最後の木曜日。
 きららカフェにて、アコースティックユニット、フレンチトーストのセッションが続く。
 マスターのカホンをバックに、来月九日のライブで歌う曲等を演奏する。
 本番を間近に控え、練習にも熱が籠ってきた頃。









 ミュージシャンはまず自分の心に誠実に向き合い、歌い奏でれば、きっとそれで十分に合格だと個人的にはそう思う。
 必要な歌ならば、時を経て必ず生き残っていくものだと信じているし、まず自分が社会に本当にそれだけの伝えたい想いがあるのか、ないのかが一番大切なことだ。
 ないのであれば、社会に生かされるべき歌は生み出せないのだろうし、自分の為に歌うというだけでも、音楽には存在価値は十分過ぎるほどあるように思う。
 僕は、自分に今日やれる精一杯のことをして歌っていくというスタンスが一番心地良くて好きだ。
 たかが自分さえも大切にし切れていない僕だから、世界平和なんて話は、本当に大きなテーマに違いないって思う。
 だけど、ただ純粋に歌を愛し生きてきたってことだけには、胸を張り、誇りを持っていられた。
 そして、それが僕にとっての平和を実現する為の道だと思っていた。


 音楽はあくまで手段なんだと思っている。
 自分や世界を愛し、自分が成長する為に必要なもの。
 だけど、そうじゃないのならば、手段としての音楽は目的を失い、意味のない娯楽程度のものになってしまうように思う。
 目的なき手段は、とても空虚そうだ。
 社会は、はっきりとした目的の為に営まれているかな?


 ズバリ、そこが一番大切なことだと思う。
 就職する時、社長の掲げる企業理念に対して、人は何を感じ、社会に立ち向かっているのだろうか。
 そこが抜けていたとしたら、その社会や時代というものは、結果的にとても不幸なものとなるように思う。
 そういったことが、とても大切なんじゃないかと思う。
 僕は今、無名ミュージシャンだけど、目的に向かってロックンロールすることが出来ているから虚しさは感じてないように思う。
 勿論、人に聴いてもらえたら、こんなにミュージシャンとして幸せなことはないのだけれど、そのことを目的に歌うのは、僕は嫌いだった。
 あくまでも自己の成長の為のロックなのだし、その目的を果たす手段なのだと思っている。



 世界平和はあまりにも大きなテーマだ。
 だけど、目的と手段とを混同していない限り、やがて真実は訪れるだろう。


 僕の横でカホンを叩くカフェのマスターの目が、キラキラと少年のように輝く。
 例えば、こんなシーンの中で、僕は本当に恵まれた人生を送っていることにふと気付く。


 何者かになる為に音楽をやっているのではない。
 僕は、僕との対話の為に音楽が必要だっただけなんだ。
 音楽へと向かった情熱の原点は、きっとその一点のみに違いなかった筈。
 そのことをまだ忘れていないと思うから、恵まれてるなと感じられる今日に生かされているということなのかもしれない。
 そして、それがきっと世界平和という壮大なビジョンにすら通じる道だ。



 音楽の中で君に会いたい。
 僕は心の中で、そう願った。