WORDS

 ヘッドホーンから溢れるレコードの音に耳を澄ませ、少年時代を過ごした僕は、限りない夢を見ていた。



 何故、こんなにも僕は安らぎや情熱を感じているのだろう?


 僕は十代になったばかりなのに、どこか老人のように心が疲れ果ててしまっていて、音楽の響きの中に天界や神といった幻を見ては彷徨っていた。
 音楽に恋をしてすぐに、自分でも曲を作りたいという衝動に駆られ始めていた。
 カセットレコーダーに鼻歌でメロディーを吹き込む。
 デタラメな言葉と頭に浮かんだメロディー。
 それが、僕のソングライティングという孤独な闘いの火蓋が落とされた瞬間だった。


 その曲が生まれた時、世界の片隅の小さな部屋の天井を見上げた僕は、天界から舞い降りたメロディーと天使達のような存在を感じていたような気がする。
 生まれてきて本当に良かった。
 僕の心が、勝手にそんな呟きを洩らしたことに気付き、僕は自らのその言葉に驚きを隠せず、そのメッセージの意味を探した。
 まるで、霧に包まれた孤独の森に独り佇んでいるみたいな気持ちだった。



 その日から、随分時が流れ去ろうとしていた。
 あの日生まれた曲は、あの時のまま鼻歌で記憶の中に眠り続けていた。
 楽器は弾けなかったし、メロディーは紡げてもコード理論は当然持ち合わせていなくて、第三者に伝えられる程の形にすら出来ぬままだった。
 僕は中学三年の秋を迎え、大好きだった野球も夏季の総体を最後に引退を迎えていた。
 野球部は市の決勝戦まで勝ち抜いたけれど、その上の壁は破ることが出来なかった。
 個々人の選手の実力は十分その先に進めていてもいいくらいだったと感じてはいたけれど、野球はチームプレイの総合力で、ゲームは時の運に左右されていく。
 何となく少年時代に愛した野球への未練を感じながら、僕は母親の愛用していたヤイリというメーカーのアコースティックギターに手を伸ばしていた。
 そうしている間に、中学の音楽の授業で何か楽器を演奏しなければならなくなり、そんな流れで僕はギターを弾くことにした。
 ギターを初めて弾いてから、確かそんなに期間が空いてなかった気がする。
 僕は、ただ当時大好きだったミュージシャンの曲をコピーして歌おうと思っていただけで、まだそれ以上の活動を思うには至ってはいなかったと思う。
 いや。
 本当は音楽がやりたいことだと魂は知っていたけれど、学校で人気者になるようなタイプの子がやるものだと頭が色々うるさく騒いでいて、自分の望みが分かり辛くなってしまっているような所があったから、その状況を何と説明すればいいのだろう。
 僕は、幼少の頃の記憶を辿ることがとても難しい。
 幼いのだから忘れてしまっても無理もないだろうと言われてしまいそうな話だけれど、何かが極端に欠落してしまっているように思えた。
 そのくせ、魂の記憶みたいなものが不意に浮上してくるというチグハグさすらもあった。
 それは、大人になった今も同じで、子供の頃から変わっていなかった。


 育ちの中に色んな訳があった。
 だけど、それを第三者に理解出来るように伝える術を僕はまだ持ってはいないし、今後も難しいことのような気がする。
 勿論、誰かに理解される必要なんて本当はないのだろうし、僕自身が一人乗り越えていくべき人生の課題だとも思っている。
 そして、そんな人生の課題を乗り越えていく中で大切なもの。
 それが、僕にとっての音楽だった。


 中学での音楽のテスト課題になった楽器演奏。
 短期間の内に頑張って練習した甲斐あって、僕は何とか緊張の舞台を終えていた。
 その曲はボサノバのマニアックな曲で、初心者としては随分難しい曲だった。
 知らぬが仏とはよく言ったもので、曲が短くて簡単そうだからという理由で選んだものの、いきなりハードルの高い挑戦となり、無知は時として偉業を成し遂げる無謀な勇気にとって代わることを自ら思い知った気持ちになった。
 テストの際には、チューニングは合ってるのかと男性教師に尋ねられた。
 ほやほやのギター初心者の僕は、このギターはチューニングしなくちゃ弾けないんだと呆気に取られている内に、その教師がグランドピアノを使って素早くチューニングを済ませ手渡してくれた。
 歌もある曲だったけれど、クラスの仲間の前で気恥かしくて、ギターだけを弾くことにした。
 教室の前で弾き終わり、左隣にいた教師の方を見ると、何と評価していいものかといった顔で、歌はあるのかと尋ねられた。
 あると答えると歌うように言われ、気恥かしさを抱えたまま、またギターを弾き歌い出した。
 歌い終えて、また教師の顔を見る。
 やっぱりよく分からないといった苦々しい表情で採点がなされ、僕の順番は過ぎ、授業での楽器演奏のテストは続いた。
 ギターはそれなりに何とか弾いていたと思う。
 だけど、歌も下手だった上にマニアック路線の曲で、分かりにく過ぎたことは自覚していた。
 それでも、確かまあまあの実技点をもらったんじゃなかっただろうか。


 その頃、音楽の授業では作曲を課題に出されたこともあったけれど、僕は初めて作った曲のことを完全に発表する候補から外していた。
 コードも付いていないし、自分の作ったものへの価値が信じられずに、人前で発表ということは思考の中で思いつかなかった。
 部活を引退した秋。
 僕は、体育会系から文化系へと一気に変貌を遂げ、わんぱく小僧だった頃にはなりを潜めていたセンシティブな面が際立って、表面上強く押し出されるような多感な時期へと差し掛かろうとしていた。
 この頃、また作曲の真似事は始まり、僕はメロディー作りに重点を置き、音楽を心の中に探し続けた。


 ずっと納得のいく曲は出来ないまま時は流れた。
 正確に言えば、曲は作れていたのだけれど、コードを付けることが出来ず、仕上げられなかったから、第三者に聴かせることは愚か、自分でもちゃんと曲になっているのかを確かめることすら出来なかった。
 ちゃんと作れたなと思えたのは、高校二年になってからのこと。
 その曲は繰り返されるコードリフをモチーフにした作品だったから、いつものようにメロディー先行の曲作りというパターンではなくて、初めからあるコードリフの上にメロディーを重ねるというスタイルを取り、コード付きのオリジナルは完成した。


 その頃僕は、とにかく美しいメロディーを作りたいと思っていて、歌詞にはさほど重点を置いて考えてはいなかった。
 作詞はやりたくないからデタラメな言葉でもいいやってくらいの感じだった。
 だけど、誰も自分の曲に詞を書いてくれる人もいないし、仕方なく一筆書きのように詞を作り、曲を作り続けた。









 そんな僕にとって、作詞という一つの世界が重要になってくる。
 それは、青春の苦悩の日々が益々色濃くなり、僕の魂は何かに縛られ、激しい葛藤の嵐に襲われるようになっていってからだったように思う。
 第三者に伝えるというより以前に、救いようのないようなジレンマや孤独を癒す為の捌け口として、ロックに感情的な言葉を乗せ叫び始めていた。
 意味なんて、まだまだなくてもいいような未熟な赤子の叫びに近いものだった気がする。
 悲しくて苦しいから叫んでいる。
 そういった性質のもの。
 芸術などとは程遠い、未完成なロックワールドを彷徨った、僕の青春の日々がある。



 本当に長い時間が経過していた。
 僕の魂が求めたロック。
 昔、青春の頃には時代の対極へと転がり流されていったような僕のミュージシャンとしての運命にも、どうやら何だか追い風が吹き始めているようだった。
 時代が真実を必要とし始めていたのだろう。


 そして僕は、3.11という生まれて初めて遭遇した大きな国難を経験した時期に、作詞という世界に一つの礎を築き上げようとしていた。
 言葉なんて何でも良かったような僕の作詞との関わりも、すっかり様変わりして大人に成長してきていたのだろう。
 感じ思ったことを書き殴ったような稚拙さは卒業してきているようで、人の為に書く詞というものに初めて、ノートの上でボールペンを握る腕の感覚が素直に向いた、そんな感覚を掴んだ一瞬がある。


 作詞って、こういうことだったのかな。


 僕は、その時初めて作詞をするということが何なのか、やっと理解したのかもしれない。
 メロディーに関しての迷いはなかった。
 自分だけのメロディーという線の引き方が、僕の中にはあったから。


 何度も作り、壊しては、辿り着く場所がある。
 それは、幾ら言葉を尽くし伝えても、他人に分かるよう上手くいく性質のものなどではなかったのだろう。
 それでも、平たく言うとすれば、僕は散文詩的に作詞をしてきたってことなのだと思う。
 散文詩と歌詞。
 ここにはとても大きな溝があった。
 時々は上手く作詞をしていたけれど、あくまで無自覚なままでのことだった。
 例えるならば、作詞は映画の映像が過ぎ去るシーンそのもののことであり、散文詩は映画の解説本みたいなものだろう。
 多くの場合は解説をしてしまうのが、作詞の第一歩のように思えた。


 本物の作詞は、文学に通じるものだと思う。
 それ自体で、例えば映画や小説までいかなくとも、ショートムービーや短編小説くらいの質量を持ち兼ねないのが、作詞という世界なのだと改めて実感している。
 そして、そこには書き手としての自分はある種いらない。
 自我を超越したエネルギー体が流れ、物語が人の心へと流れ込めば、それが最高にロックンロールなんだって気がした。
 歌っている僕が、ステージで自分を見せるという意識でショーをすることも違うなと思っている。
 そういう部分でも自我は基本的に邪魔で、本当の意味でのロックの本質とはズレた行為になってしまうように感じているから。



 WORDS
 その先の極みに向かって、僕はまだ歩き出したばかり。