カオス

 真夜中の店の前の国道を、まばらに車が行き交う。
ライブハウス“HIDEAWAY”の奥の席側の大きな窓には、その度にヘッドライトやテールランプの光が溢れ、路面を鳴らすタイヤが軋む音が聞こえて来る。


 その夜のステージは終わり、ミュージシャン達の語らいが時を埋め尽くす。
 僕は、マスターであるトクさんに年末の挨拶をしようと店を訪れていた。



 音楽の持つ力を、僕はまだ信じてる。
 だから、雪の舞い落ちる深夜に、寒さに負けず歌い、そして二〇一四年と二〇一五年を思う。
 やれたこと。
 やれなかったこと。
 未来の夢。


 いつ始まり、そしていつ終わるともなく、ずっと続く語らいの話題は、福島についてだった。
 僕もステージでそんな歌ばかり歌っていたような夜で、偶然なのか、成り行きなのか、話題は膨らんでいった。
 ミュージシャンの中の一人の男は、初対面だと思ったが、話の内容では土木関係の仕事をしていて、東日本大震災があってから、ずっと福島で仕事をしてきたとのことだった。
 広島では、もうあの震災のことは過去の話になっていたけれど、僕はそうは思っていなかった。
 ネットをやらない人々には、テレビと新聞なんかが、きっと世の中を知る情報源だったと思う。
 だから、あの震災について深くを語らず、どこか真実を伝えず、目くらまし状態へと導くとしか思えないメディアを信じていたならば、もう震災は過去のことと思っていても当然の状況だった。


 あの日のことを忘れずに歌っているという解釈で、僕に話し掛けて来るトーンに、時折意識の矢が心の中で鋭く刺さることがあった。
 そんな時は、今話したような社会構造が、震災から人々の意識を遠ざけている現実を見つめ、もっと歌わなくちゃっていう気持ちになった。


 福島第一原発メルトダウンし、当時そんなことを口にすると、半ば気違い扱いを受ける世の中だったことは記憶に新しい話だ。
 だけど、随分その話は嫌われ、皆神経質に心を尖らせていたのだろう。
 ぶっちゃけ無かった事にしたい空気で、それは、今度で原発事故から四年目の春に向かっていた今も同じことのようだった。


 総理は繰り返す。
 景気回復をスローガンに、政治戦術で、彼の追い求める獲物へと言葉の矢を放つ。
 そんな総理を頼もしく思う人もいるし、そうじゃない人も当然いる。
 僕が発していたメッセージは、さらば資本主義だった。
 資本主義というシステム自体が時代遅れの社会モデルになってきていて、富を奪い合う意識から、分け合う豊かさへと人類の集合意識が大きくシフトしていく流れを感じていた。
 なるべくは、持てるのであれば畑を所有し、食料を生産し賄うこと。
 高給取りにならなくても、自然と共存し、仲間を作って助け合い生きていく。
 人間本来の自然なライフスタイルへの回帰。
 資本主義というシステムのサイクルを抜け、新しいパラダイムの中で人生を再出発するという道。
 これは、僕の理想でもあった。
 そうすれば、スーパーマーケットの棚に並んだ農薬塗れの野菜や、放射能汚染食品を口にするリスクがなくなる。
 政治や社会は、まだまだお金儲けがしたいのだから、システムに幾ら文句を言っても無駄なことなのは明らかだった。
 そのシステムが都合良く、そして権力を握り、富にありつく古い構造にしがみつく人々。
 だけど、僕の中ではもうそれは終わったサイクルになっていた。
 いや。
 子供の頃から、それは自分にとっては違う生き方だなと感じていたといった方が、より正確だと思う。


 例えば、ロックにしても、ミュージシャンが意識して格好をつけると、逆に凄くダサく感じる僕がいた。
 随分前の僕は、そういった価値観を持っていた頃もあったけれど、いつからだろう。
 格好をつけない方が格好いいなと、自然に思うようになっていた。
 以前は、格好をつけようと意識してやっていたつもりではないのだけれど、自分の中にあるものを一体どんな風に表現することが適切なのかが、まだ分からなかった。
 それを若さというのだろう。
 そんな価値観の入れ替え一つを取ってみても、バリバリにキャリアを積んで生きるエリート的発想とは対極にあり、違った格好良さがあった。


 かつての都会が田舎になり、そして田舎が都会になる。
 何にもないと感じていた田舎は、よく見ると自然の恵みに溢れていて、都会は無機質な巨大建造物ばかりで埋め尽くされ、命の宿った有機物の存在に出会えない。
 原発は都市空間に生きる人間の生活を支えてきたけれど、無機物の中に埋もれ、あくせく競い合う生存競争は限界を迎えていたのだと思う。


 この世界の均衡が崩れ、パラダイムシフトが起こる。
 凄く道に迷ってしまった時には、一度時間を俯瞰して見つめてみることが役立つように思う。
 混沌とした現在だけに意識をフォーカスすると、悲観しがちなことも、全ては大きな流れの一点であるという事実に意識を向ければ、自分が望む未来のビジョンの為に、今やるべきことが見えてき易くなるから、僕はよくそんな風に時代を見つめてみるよう意識することがあった。
 子供が成長する姿を見ていても、何かが出来ないとカンシャクを起こしたような出来事も、大人になる為の大切な一歩だったのだと、時間を俯瞰して見つめれば、その場で慌て、問題意識を変に膨らませることも必要ないと気付くことが出来る。


 政権が続行された十二月。
 勿論、危惧するべきことはたくさんあった。
 特定秘密保護法のことや集団的自衛権のこと等。
 だから、時間をずっと俯瞰して見つめ、現在に対して取るべき行動を理解し、今日を一歩進める。
 僕らが出来ることは、大して大きなことではないけれど、身の周りの小さなことを当たり前にやることって、本当はとても難しいことだなと思う。
 どでかい理想ですら、些細なことの繰り返しで築き上げられていくよ。
 そして、小さな物事を毎日の中で確実にやっていくことこそが、逆に大きな物事を成し遂げる道でもあるのだろう。



 酒が入って、ほろ酔い気分だったのだろう。
 土木関係の仕事をする男は、思いつくままに福島で体験してきたことを話して聞かせている様子だった。
 そして、話はカオス状態に突入し、それ以上に福島を助けることについてのいい案は出ず、ずっと黙って話に耳を傾けていた僕は、先に店を出ることにした。
 窓には、夜の闇の中、スポットライトに浮かび上がるライブハウスの看板と、チラチラと舞い落ちて来る小さな雪のダンスが、印象深くこの胸に残った。