イエスマン




   イエスマン


 頭上に掲げられている巨大看板を見上げた時、小鳥の群れが風のタクトに合わせるように次々と看板から飛び立っていた。
 当たり前に広がった風景には、無限のハーモニーが響き合っているようだった。


 住み慣れた街は、段々黄昏に染まろうとしていた。
 歩く路上を遠く振り返ると、西の空が美しく黄金に輝き、果てしなく広がっていた。







 前日の、丁度同じ時間帯頃のこと。
 僕は、黄昏の迫る原爆ドームを見つめ、平和公園のベンチに佇んでいた。


 外国人の姿も目立ち、川沿いにある店先は何となく異国情緒を感じさせて、様々な文化の混在する近代文明の歩みに、意識の歩幅を合わせてみた。
 リバーサイドにはサックスの音色が似合っていて、僕は心の中に響く音楽に酔いしれていくような高揚感を覚えた。
 空には鳩の群れが飛び、街角でカメラを持ち歩く観光客や学生等が、少し温かく、雲の広がる十二月の広島の黄昏時の風景を彩る配役を勤め上げていた。
 そして、僕はとても懐かしい風景に、想い出を辿る一人旅を始めていた。


 僕はその日、これから始まろうとしていたコンサートまでの時間、路面電車の行き交う広島の街をぼんやりと眺め、取りとめのない思いに浸った。
 もう随分昔のことだ。
 そのベンチの置かれた付近で、ストリートライブを幾度となく重ねていた想い出が、心の中に鮮やかに蘇る。
 とても広々とした平和公園には、いつも観光客の姿や市民が憩い、誰が聴くという訳でもなかったけれど、僕は広島の街に音楽を奏で暮らしていた。
 大抵僕が歌う指定席に選んだベンチがあった場所は、今はもうすっかり風景が変わり、新しく資料館が建設されていた。
 ある日、その場所から新たに遺骨が発見されたというニュースが流れて来た。
 僕なんかが歌っていたからといって、それが何の弔いの意味になり、魂の助けになるのか分からなかったけれど、あの場所で歌っていて良かったと僕は思った。



 僕は、広島の夜奏でられた、あの歌の意味を心に深く刻み込もうとしていた。
 普段通りの毎日に戻り、そして僕は僕の音楽と共に暮らし、人生の中で様々に育んできた思いの一つ一つを音楽という名の神に捧げなくてはならないと感じていた。
 彼は、祈りの言葉を音楽に乗せ歌った。
 その歌は、あの悲しみの長崎を歌った曲だった。
 彼は長崎出身のシンガーソングライターだった。
 叔母さんがその歌で歌われていた、あの長崎に起こってしまった人類史上最悪の悲劇を生きぬいて来た一人の主人公だった。


 一九四五年の八月九日。
 そういって、すぐに何の日かが分かる日本人の割合がとても少なくなっていると、彼はMCの中で触れていた。
 彼は、自分にとってあの日の長崎での出来事を歌うことを義務だと感じていると、過去に何度も話していて、それは僕にとってもまた、同じ意味を持ち、心に響く言葉の一つだった。
 僕は広島出身で、広島を伝える責任を背負い生きるべきだと感じて生きていた。
 だから、彼の言う言葉の意味は、僕の心に等身大で響いていたのだと思う。
 人は何かと自分なんかがと、事ある毎に謙虚さのつもりだとは思うが、そんな風に口にしがちな生き物だと感じてきた。
 だけど、それは本当は謙虚さなんかじゃないと僕は思う。
 それは、本当は自分の背負うべき重い義務から目を背け、逃げているってことを示していたように僕には思えてならなかった。
 僕は、広島県人だから、執拗に広島と長崎にこだわりを持っている訳ではなくて、広島に生まれ育った人間としての義務をまっとうしたいと願っていたのだと思う。











 一体、いつからこの国は、人が背負うべき義務を忘れ、幸せや平和を守る為の力仕事が日々僕らに課せられているということの大切さについて見失ってしまったのだろう。
 長崎生まれの彼は、あの長崎の悲劇を歌った。
 それは、偏った思想や押し付けがましい正義感からではなく、故郷への感謝とか、そして義務だったような気がした。
 ロックって、青白い顔で髪を逆立てて、怒声を効かせ、世の中に反抗してみせることなどをいうのではないだろう。
 可笑しいなと感じることに対して、自分の感性を開き、発言する勇気や責任みたいなもの。
 そういうものをロックというのだと思う。
 そこには、人間が果たすべき義務の存在が感じられる。
 それは、幸せや平和を守り続けることへの努力と献身に繋がる生きる姿勢を指しているように思う。
 だから、自分なんかがと引いてしまっては駄目だ。
 自分には何が出来るかとか、義務を果たしたいという思いを持つことから、僕らの力仕事で、ようやく平和は築き上げられ、守られていくのだろう。


 そして、この話は、3.11という現実にも直結していた。
 僕らが当たり前に恵まれてきた豊かさや便利さ。
 それらは全て、戦後苦労して汗水垂らし働いてくれた先輩達からの贈り物で、僕らが勝ち取って来た幸せなどではない。
 与えられてきたものだろう。
 だから、僕達はある意味皆我がままだ。
 苦労知らずの坊ちゃん嬢ちゃんばかりで、平和をいかに築き上げ、守っていくべきか、思考の仕方さえ分からなくなってしまっているような在り様だ。
 そして、それは国家という名の幻想の下に与えられてきた不自由さについて物語っているのだと思う。



 十二月。
 特定秘密保護法案の施行。
 この国は、偽物の民主主義の仮面を脱ぎ捨てたばかり。


 個人が自分の義務を果たそうとはしない幼い国家は、社会不安に狂っていく。
 火事になったら、誰かが火を消すまで事態が収拾しないのは考えれば当然で、だけどその当然が通用しないのが現代だ。
 それは、世の中からロックが絶滅していたという現実へと跳ね返り、僕の心の奥深くに悲しく突き刺さっていた。


 一体、この国を司って来たボスって誰なの。
 僕らは一つの答えを出すように行儀良く躾けられてきたイエスマンだから、同調バイアスという名の狂った現実から、いまだに逃れられもしない。
 社会的に抹殺されることに過度に脅え、政界から始まり、どこからどこまでイエスマンばかりの偏った資本主義の国だよ。
 それは、敗戦の年からずっと、意味付けられてきた現実に沿って育まれて来た風潮であり、共同幻想と呼んでいいものだろう。
 その現実に反旗を翻す者は叩かれ、排除されてゆくが、やがては時代すら姿を変え、人々は真実に気付くだろう。
 政治が政治の機能を果たさず、搾取ばかりに染まってゆくような現実の中で。


 この国や世界を回す原理について、目覚め始めてゆく頃。