琥珀色のルポタージュ




   琥珀色のルポタージュ


 天気予報では、雨が降りそうだった火曜日。
きららカフェへと向かい、家を出る頃には、時折空が明るく輝き、街に陽射しが降り注いでいた。



 二〇一五年の初ライブ。
 地元出身のシンガーソングライターで、今は東京で頑張っている二十歳の若者のライブに花を添える為に、ギターケースを抱える。
 凍てつく一月の風も、気圧の変化で少し寒さが緩んだ黄昏時。
 音楽と共に踏み出す新たな一年が、静かに幕を開けようとしていた。


 車だと大して時間の掛からない距離にある、きららカフェ。
 扉の傍には、本日のライブ予定を知らせる立て看板。
 暮れゆく街並みの中に、暖色の彩りを放ち佇むカフェは、まるで花園に咲く甘い香りを漂わせている花のようだった。



 人は温もりを求め、人生という名の愛の迷路を彷徨う。
 そして音楽は、孤独の森の雲間に覗く月光のように輝く。
 言葉にすることが出来るくらいならば、きっと僕は歌なんて作り歌ったりはしてこなかったのだろう。
 表層意識の中での捉われ人だよ。
 僕らは。


 そして、人はその意識を自分だと思い込み、制限ばかりを覚え込んで大人になっていくのだろう。
 その偏見の眼差しに満ちた、自分の歪んだ観念が現実の壁となる。
 その壁を乗り越えようとする時…


 僕の体内に生まれるリズムに、無意識的なサウンドが被さり、音楽が爆発する。
 それが目覚めの合図だ。
 偏見に歪んだセルフイメージが吹っ飛び、僕は思いがけず、もう一人の僕の横顔を見つける。
 そいつは決まって、僕らしくもない筈なのに、やたらに僕らしくて、繊細でワイルドなんだ。
 そして、僕の体には情熱の炎が突き抜け、天界にまで音楽が響き渡るような冴えた感覚を得る。
 言葉じゃなく、僕はリズムから、もう一人の僕に融合し溶け合う。


 孤独の森で過ごした歳月。
 僕は、リズムと一体になり、やがて奇声に近い発声に言葉が宿り始めた。
 言葉は観念を越え、よりリズム的に、優れた躍動の中で生命を得た。
 僕は、言葉を聴く耳を獲得していった。
 作曲の流れに乗った、言葉の響きを聴く耳。
 それは、もう言葉すら音楽なのだと思うような体験だったと思う。


 僕は、四十年余りの人生を振り返った。
 僕は、ただ音楽になる為だけに、今日まで歩いてきたのだと思った。



 カフェのテーブル席で、コーヒーカップの中を覗き込む。
 ブラックコーヒーにルームライトが射し込み、濃い琥珀色が輝く。
 ぼんやりとした輪郭で、現実を演じている僕の顔が揺れている。
 さっきから、二十歳の青年のリハーサルの音が心地良く、カフェ中に響き渡っている。
 僕から彼に手渡すことの出来るものがあるとすれば、やっぱり歌なのかなと思うから、僕が彼くらいの歳の頃の歌をと思った。
 今日じゃなくても、もしかしたらいつか、彼の知らないもう一人の彼が、彼よりも彼らしく、僕の歌の中に登場する日があるかもしれない。
 歌は、つまり鏡だ。
 人は光と影を持ち、鏡に映る姿に食い入ったり、また目を背けたり。



 人生には、いつもリズムが踊る。
 言葉にならぬ思いと、僕の知らない、もう一人の僕がいる。