美しく、可愛い花達を愛さぬ女性は、ほぼいないみたいだ。



 日曜日の午後。
 真新しいガーデンハウスには、様々な人が出入りし賑わう。
 めでたくオープン日を迎え、晴れやかな天候に恵まれ、一月下旬だけど温かかった。


 フラワーショップ“Rin”と名付けられた店を開いたのは、僕が昨年結成したバンド、フレンチトーストにもピアノで参加してくれていた女性だった。


 小高い丘の上にある団地。
 集合住宅で、洗練されたモダンアートのようなとても美しい街並み。
 彼女は、そんな街に暮らしながらピアノ教室を開いていた。
 教室には飼い猫の姿もあり、今度、また新たにフラワーショップをオープンさせたのは、きっと彼女の愛する美への憧れや夢に手を伸ばしたってことだったのかなと想像してみる。
 ピアノと猫と花。
 何となく彼女の人柄が、そんなキーワードからふと浮かび上がって来るような印象を受けた。
 ガーデンハウスの設計を引き受けたのは、きららカフェのマスターで、マスターは本業の腕を発揮し、ピアノの彼女の新しい人生の門出に十分な花を添えたのではないかなと思う。
 住宅の庭の一角に、上手くスペースを利用して佇む可愛いショップは、マスターのアイデアの詰まった宝石箱のようで素敵だった。
 店の中に飾り付けられた小物にも、オーナーの彼女の感性やセンスが光っているようだった。


 人生を愛するもので埋め尽くすなんて、とても素敵なことだと思うんだ。
 晴れた一月の午後には、ピアノと猫と花があって、そして彼女を取り巻く人々が集っていた。
 きららカフェのマスターの知り合いだと聞いた男性が、庭で石焼きピザを販売してくれていて、この日の門出を祝い、盛り上げてくれていた。



 花はなんて優雅なのだろう。
 女性性の象徴のようであり、様々な色彩を身に纏い、神秘的に光り輝いている。
 まるで、恋をした時のように、可憐な花々を見つめると心が躍るような生命の躍動を覚える。


 一瞬に燃え尽きる命。
 花は、今を生きることのベテランのようで、可憐な姿と表裏一体で、しなやかなたくましさを併せ持つ、まるで聖人みたいだ。
 妖精といった方がイメージに合う気がするけれど、どっみち邪念がなくて清らかだ。
 その心を、きっと人は見つめているのかもしれない。
 風に吹かれていたとしても、いつも凛と美しく。
 潔くて、儚くて。



 愛の性質みたいな花々に、人の心がどうか癒されて欲しい。
 青空から燦々と降り注ぐ陽射しに、燃えるような眩しい色彩の踊った、花々の微笑み。