RICH

 新年明けましておめでとうございます。
 本年も当ブログ“シュールにROCK決めこんで”を宜しくお願い致します。



 今日の日本社会は、ある種のどん底にあるように感じています。
 倫理観の崩壊は、パラダイムシフトには付き物なのだと思いますが、何をもって新たに時代を人は治めようとしてゆくのか。
 僕は灯火のような愛の歌を心に宿らせることだけに努め、尚一層音楽を愛してゆきたいと思っています。


 本当に待ったなしのことだらけで日常は取り囲まれていたのではないでしょうか。
 今必要なことは、きっと感謝だという気がします。
 感謝と一言で言ってみてもその概念に対する受け取り方は人それぞれであり、宇宙法則に沿ったより自然な感覚を如何に人は得てゆくのかという人間愛を掲げた大きなテーマを、誰にも分かり易く正確に伝える言葉すら存在しないのでしょう。
 毎日は混乱していて様々なトラブルが起き、人が人を傷つけ合っては悲しみや痛みに苦しんでいる姿が見えます。


 二〇一一年三月十一日
 忘れもしないあの日。


 福島第一原発事故は、戦後の復興以後この社会を司って来た僕達の持つ一つの大きな価値観を完全に破壊しました。
 それにより社会の闇に眠っていた不正や不条理が表舞台に引っ張り出される結果となり、正義というものが如何に絡み合った複雑な柵の中にあるものなのか白日の下に曝け出されています。
 そして僕は、その体系を維持して来た資本主義の行方に思いを馳せています。
 毎日の中で気忙しくニュースは流れ、社会的な全ての矛盾について洗い直しが続いています。
 それが現代なのでしょう。
 決してその道のりは平坦ではなく、今は特に大変な時代ですね。


 今年の日本社会は何が何でも乗り越えなくてはならない問題に直面し、古い価値観にはしがみ付けなくなってゆく気がしています。
 自我の崩壊。
 マインドレベルではそういったことが起きていたのでしょう。
 ですが、これは同時にチャンスでもあります。
 崩壊と再生は表裏一体となった一つのプロセスに違いありません。
 もっと根源的な価値を獲得する為の痛みが、今日を埋め尽くしているように思うのです。
 だから災い転じて福となさなくてはなりません。



 感謝の心の発露を邪魔するものは何なのでしょうか。
 おそらく自己否定だと僕は考えました。


 感謝は既に恵まれているものの多さに気付き、豊かさを信頼することのように思うのですが、マイナス思考が不安を煽り事実を見えなくさせてしまいます。
 極端な例え話になりますが、そこにリンゴがあると念じて心から疑わなければ空にリンゴを掴むことすら可能となるといったような説について、概念としては僕にも良く理解出来ます。
 この説を持ち出して伝えたいことは、人間の意識こそが現実を生み出しているということです。
 貧困ですら、きっとそうです。
 貧しさとは、分け合い与えることを学ぶよう諭す人生の師であるのかもしれません。
 そのことにも感謝するということが大きく関わっているような気がしてなりません。
 豊かさへの信頼。
 寛容な仏の心に通じる道がこのことなのでしょう。
 これは苦行を経て辿り着く境地ではないと僕の心はそう叫びます。
 悟りを開くこと。
 話を大きくすれば、現代はそういった局面を迎えていたのでしょう。


 有り難き幸せを感じて生きること。
 慈愛が芽生え、愛の枯渇感も消えて寛容の中に精神は誕生する。
 その時、現実に起きている物事の中に豊かさを実感しているのではないでしょうか。
 それこそが悟りの境地なのかなと、おぼろげなイメージを浮かべています。
 その時、怖れや枯渇感を感じることも許可されている訳で、自由意思によっての選択の時が人生には絶えることなく日々訪れて来ます。
 意識の向け方一つで現実は入れ替わってゆくのでしょう。



 Rich
 既に恵まれているものに手を伸ばすこと。
 ありがとうという感謝の気持ちから生活してゆく心の在り方。
 それを邪魔しているもの。
 それは人の心に取り憑く怖れなのでしょう。


 怖れは社会に分裂を発生させて来ました。
 感謝という名の既にある恵みに気付く能力に対して、怖れが邪魔をして社会的な閉塞の時代を生み出しているような気がしています。
 心と心が本当に繋がるとは一体どういう状況のことなのでしょうか。
 真の豊かさへの問い掛けがここにあります。


 物質的にも精神的にも分け合うことから始まる新しい時代について、理想を思い、調和する術を探しています。
 物質的飽和状態を経験して来たにも関わらず、心が貧しくなって来たのは何故なのでしょうか。
 そこには、さっき話した人の心に根強く取り憑く怖れがあるのでしょう。


 僕達はありがとうと言えるように、まず恵みに気付き心を開かなければなりませんね。
 需要があれど供給が足りぬ世界という訳ではなく、供給される側の心の在り方一つで時代は見事に反転してしまうのではないかと考えていました。
 愛の枯渇感に対しての救済の道は、きっとこの辺りにあるのではないでしょうか。
 ありがとうという思いから見えて来る世界観を旅していました。



 僕に世界は変えられませんが、正しく他者と繋がってゆく心の姿勢を学べば循環型のライフスタイルがきっと手に入る気がしています。
 原発依存大国に育てられ掴んだこの思いを、新年の挨拶へと変えさせて頂きます。