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 いよいよ二〇一六年が終わろうとしています。
 いつも当ブログへ訪問して下さる皆様有難うございます。
 皆様にとって、今年はどんな一年になったでしょうか。
 もしもこのブログが何かの助けに少しでもなっていたとしたら、僕にとってこんなに嬉しいことはありません。



 このブログを本格的にスターとさせたのは二〇一二年なのですが、思い入れ一杯に続けて来ました。
 時には思いが強くなり過ぎてしまい、極端な表現やまた的外れなことを書き連ねてしまうこともあったかもしれません。意図せずとも、もしも僕の言葉が傷つけてしまっているようなことがあったとしたならば、どうかまだまだ至らない僕をお許し下さい。


 僕は今、初期の未完のままとなっていたアルバムの制作を進めたり、小説を書くことにも挑戦中の毎日を過ごしています。
 あくまでも音楽主体の活動なのですが、小説という分野はとても素晴らしい表現になりうる可能性を強く感じています。音楽にはない魅力があり、精神に蓄積した賄い切れないものを昇華させてゆくのに適した表現だと感じます。
 小説という名の一本の映画を様々な視点で描き出せたとしたら、本当に豊かな価値を誰かと共に分かち合うことが出来るかもしれません。


 散々散文詩を書いて来て、一つの到達点を迎えた時、その向こう側に広がっていた風景が小説という世界だった気がします。
 物事の上達はやはりやり続けることだなと実感しています。
 分からなかったことが分かるようになり、必要な技術もやがて何処かで何時の間にか体得してゆくから不思議です。初めに出来ないと言ってしまえばもう未来はありませんが、例え一パーセントの可能性でも信じて育めば芽を出し大木に育つこともある。そういった気持ちで生きてゆくことの大切さを思います。
 現代はお前なんかには無理だという親や周囲からの否定から人生が始まっている為に、様々な心の障害を抱え人は生きています。
 そしてそれが他人への捻じれた競争心を育み、嫉妬ややっかみ等へと繋がってゆきます。
 自分を諦めた分だけ、そのように人の心は悲しみから歪んだ方向へと歩き出してゆくのです。


 ネットの世界では上げ足取りや批判の言葉が溢れ、匿名サイトでは日々言いたい放題ですが、実はその言葉は全てそれを吐き捨てた本人の独りごとであり、自分自身の心に呪いを掛けていることと同じ作用を引き起こしてしまっています。
 一時毒を吐いてスッキリした気分になりますが、後で何倍も重たい気分になり、その悪循環から逃れられなくなってしまうのです。
 やはり善なる心で世界を照らし、自分にも他人にも優しくいられるように人は日々努めなくてはなりません。
 幸せに暮らしてゆく為には、まず自分から世界に微笑み掛け心を開けるように、自分を慈しむ術を学んでゆくことが何よりも大切なことのように感じています。
 僕らはそれを知らず大人になりました。
 もう一度、自らの可能性を信じてやること。
 そして自らをまずちゃんと慈しみ、自尊心を踏みにじることなく胸を張って生きてゆけるように。
 そういったことが、今のこの国の真の希望へと繋がる様な気がしています。



 今年も本当に御訪問有難うございました。
 来年が皆様にとって良い一年になりますように。