崩れゆく女神



   崩れゆく女神


 崩れゆきながら、ひび割れ泣いている中世ヨーロッパの女神像。
 何だかその姿を見つめているかのような錯覚の中で、僕は時代に立ち向かう一人の女性の姿を固唾を呑み見つめていた。



 心に衣服を纏わぬ女性には、時に罵声が浴びせ掛けられる。
 彼女は因習の鎖を引き千切り偽りの倫理の掟を破った。
 その行為は世の中の称賛と非難の対象となり、それぞれの存在にとっての一つの価値を失わせたり与えたりしてゆく。
 社会的パワーバランスが今、その根底からくつがえされようとしていた。


 パワハラ。セクハラ。ソジハラ。
 陰湿な暴力。
 宗教も政治もある意味一緒だ。
 不安や怖れを預け管理してもらう場所としての位置付けに於いては。
 やがて何時しか国境は消えてゆくよ。
 そして宗教という垣根も消滅する。
 勿論、国家や宗教という組織が何も悪い訳ではない。
 ただ一つの仲間意識の誕生は、既に差別意識を同時に内包している。
 それがあらゆる争い事の種となっている。
 最終的には地球という国家となり、宗教は自然解体の道を辿る。
 全ての制限を乗り越えた人が自分の外側に神を持ち、恐怖心をベースに国際競争を展開する世界観にイマジネーションがもはや留まっていられる筈もない気がする。
 もっとロスなく省エネで効率良く愛を世界の果てへと循環させることに興味を持つに違いない。
 一つの愛の名の下に自他を隔てるボーダーラインは必ずなくなってゆく性質を帯びている。
 真の統合とはそういうことなのではないかな。
 勿論、まだまだ現段階では理想論の域の話で現実性に乏しい世界観だったのだろうとは思う。
 だが、きっと何時の日か夢なんかじゃなくなる日が必ずやって来る。
 そんな世界を感じている者達が、毎日の営みの中で本当に些細なことを行動へと結び付け弛まぬ努力と献身とを世界へと捧げ祈っている姿が見える。
 この世界はまだまだ捨てたもんじゃない。
 そう思わせてくれる勇気に出会うことがある。
 この話は僕にとってそんな風な痛ましくも素敵な話だった。


 社会的権力。
 その構図に異論を唱える者が魔女狩りに遭い、長き歴史の中で犠牲になり続けた。
 女子供は言うまでもなく、社会的弱者を徹底的に踏みつける権力構造に疑問の叫びが挙がる。
 衣服を纏わぬ血を流す純潔の魂。
 人は人から過ちの果てに大切な何かを奪い去り、そして朽ち果ててゆくばかりのような儚く狂気に満ちた欲望を更に燃え上がらせてゆくんだ。
 勘違いな女だといわんばかりに訝し気に思う者。
 そんな目に遭ったのは自分にも非があったのではと避難の言葉すら溢れているようだった。
 ヌードの心に人の心の欲望が吠えている。
 しなやかなラインを描く柔肌が神聖な光を放つ。
 人の心の闇深くにまで届き照らすその輝きが、天使達の歌声に導かれてどうか真実の元へと辿り着きますように。



 今年も梅雨空を仰ぎながら、また六月八日を迎えた。
 秋葉原無差別殺傷事件
 近代史に刻まれた無類稀な凶悪事件の記憶が甦って来る。


 乗り捨てられた凶器の自動車とダガーナイフ。
 ほとばしる狂気と血に染まった路上での悲しみの惨劇。
 事件を思い出すことすら苦しい人もいたのだろうと思う。
 それぞれの立場、境遇によって様々な思いを想起させるに違いない怪事件だ。
 加害者はとても冷酷でクレイジーだが、それは時代性の中で僕の魂の抱えていた葛藤と切り離しては考えられないものでもあり、彼は確かに僕でもあった気がする。
 言葉の表面だけをなぞり取って、誤解されると困るけれど、狂気を暴力へと昇華させて行った彼とロックへと昇華させて行った僕。
 違いは実に紙一重だったと思う。
 彼は社会の底辺に押しやられ、この世の悲しみに君臨した第一の被害者だったことを僕は知っている。
 彼はペット以下の底辺に埋もれていた筈だと思った。
 そのことに社会の意識というものが向かうことは、残念ながら皆無に等しいことだった。
 自由。
 平和。
 そして愛。
 時代はどんどんと治安を良くしてゆくという流れにあり、だが、だからこそ暴君の意味を感じ取り辛い環境的、精神的状況の派生に、次の時代への危惧が既に同時に発生している気がしていた。
 地下鉄サリン事件秋葉原での無差別殺傷事件。
 テロ的事件はそれ以外には大きく目立ったものはほぼなく、震災が発生しても列を作り黙って耐えるというような平和的国民性が時代を彩っていた。
 平和過ぎて、マイナー調の音階の進行に違和感を感じている僕がいた。
 メジャースケール進行の中で感情の起伏が生まれては死に、転調的に影を楽曲に色付けしてゆくようなロックンロールが自然と聴こえて来た。
 マイナースケールの中で悲劇を告白する時代じゃもはやなかったということなのかなと思っていた。
 僕らの意識はそれだけ高くなっていたということが言えるのかもしれない。
 だけど、一つ平和な暮らしの落とし穴や罠について思うことがあった。


 恵まれ過ぎたり幸せ過ぎたりして、悲しみの色の深さに思い至らない希薄な感情が、水で薄めたカルピスゾーダみたいに情動の濃度を下げて、情熱の温度を冷ましてゆくよ。
 幸せとはつまり感情の発散であり、感情の濃度を外界へ向けて薄めて拡散状態にあるということ。
 いいとか悪いではなくて、物理的現象についての話さ。
 僕がダークサイドを描くのは、より多くの人の暮らしの幸せを願う欲張り者だからだ。
 全ての創造物は闇の中で命を授かりやがて誕生する。
 訴えるということの意味について、深く考えている。


 表現の世界とは臆病者程適役だ。
 より細やかな振動を肉体レベルでキャッチして体現出来る者こそ、表現者としての資質に富んでいると思う。
 なるべく不幸を知っていて悲しい程に、より洗練された美意識が追求可能となる部分は往々にしてあったのだろう。
 天国を知る為には地獄を知らないと描き出せはしない。
 どんな色で出来ていて、どんな感覚の中で色彩がハートへと融合し、涙の重みや質量や純度にまで神経が張り巡らされ熟知していなければ大作は生めない。
 純度の高い一滴の涙。
 その波動数に共鳴した意識の上昇を共に実現する。
 それが感動だ。
 波動域の上昇。



 白昼の秋葉でのあの悲劇は、この社会に一体何をもたらしたというのだろうか。
 悲しみをどちら側の世界に投じるのか。
 神がいつも見ている。


 都会の満員電車での話だっただろうか。
 痴漢扱いを受け疑われた男性が、線路を逃走中に電車にはねられるとういニュースを耳にした。
 冤罪なんて御免だと逃走へと踏み切るケースがあり、世の中本当のことは何かなんて表面上からは想像がとても及ばない。
 何もしてなくても痴漢扱いされて駅の事務室へ連れて行かれたら、事情徴収なんて抜きで犯人に仕立て上げられている社会だよ。
 全くシステムが狂っていて息苦しい世の中だ。
 これは昔の話だったかもしれないが、警察へ行って否認すれば必ず二十日以上も拘留されていたらしい。
 今は二日位だったかな。
 起訴されたら有罪立証の自信ありだなと裁判官も思っていて、有罪の方向で話が進んで行くのだとか。
 密室で取り調べて、これ言ったよなって具合に調書が纏め上げられてゆくみたいだ。
 警察の作った調書を認めて来たという一連の流れがあり、それが現実のようだ。
 そしてその調書が証拠となる。
 だから、その場に留まって弁護士を呼ぶことが一番いいらしい。
 どちらにしても街は狂ったシステム仕掛けで回り続けている。
 裁判官自体がこの可笑しなシステムに取り込まれているのだから、権力が正義を示せない今のこの国は土台からやり直さなくちゃならないよ。
 何を言っても誰も自分の言う事を信じてくれないという制度に日常は監視されているよ。
 そこに人権を守ってくれる最後の砦はない。
 その上共謀罪強行採決で成立させられて、これからこの国はどうなってゆくのだろうか。
 誰の為の正義なのか?
 総理の謝罪会見は謝罪になどなっていないという怒り爆発の御時世だよ。
 いい加減にせんかいって大人しい国民も流石に、もう黙っていられなくなって来ていたのだろう。


 満員電車は人間の尊厳を奪う。
 分からなければ何をしてもいいという論理がそうさせてしまうのか。
 日本社会独特のラッシュアワーが今日も果てしなく生存競争を過酷にしてゆくよ。



 そんな日々の中で、ある一人の女性の性暴力を訴える記者会見の模様がマスコミからセンセーショナルに取り沙汰され話題となっていた。
 実名顔出しのレイプ被害者の登場に、世の中は様々に反応を見せた。
 政治的スキャンダルや汚職事件の連なる日常は欲望の泥沼となり、そんな社会の中に凛とした蓮の花のような姿勢を正した汚された女神が突如現れた瞬間だった。
 事件の真相はベールに包まれたまま、僕の視界の先に一点の希望の光が灯る。
 軍国の時代から一番人間の醜くて独裁的且侮辱的な姿。
 だけど、人間は人間としてこの世に誕生したのではなくて、人間になる為に修行を積みにここに来ているのだとすれば、獣性との格闘は世の常だとも言えたのかもしれない。
 金品強奪。
 侵略。
 そしてレイプの果てに殺める。
 欲望が最悪の形で表現された世界。
 一人の女性は、実名と顔を曝してまでも時代性に対峙していた。
 レイプ被害届け出率4・3%。
 内閣府の調査結果が残る。
 75%が知り合いからとのこと。
 身近な人を犯罪者にすることのハードルの高さ。
 被害者が悪いのだという日本社会の風潮。
 周りに相談することも出来ず、ましてや警察へなど駆け込めもしないという図式があった。
 周囲にレイプ被害という事実を知られることで、今いるコミュニティーでの居場所がなくなってゆき生きてゆけなくなるという話もあり、被害者が全てを抱え込んでゆくサイクルが存在していた。


 実名顔出しの女神は、ジャーナリストスピリットに満ちて見えた。
 周りからは随分反対されていたようで、周りは好奇心だけで来るとかあなたが傷つくだけだとか忠告が入っていたようだった。
 言論の自由を訴えることに繋がってくれればとの思いだったみたいだ。
 結局、スキャンダル的報道はエンターテイメント性に向かって行った。
 そのことを残念に思っている彼女の姿があった。


 行き着く先は社会システムの矛盾点だった。
 まず被害にあった後に向かう病院にホットラインを設ける等、全てが受け皿にならないと法律だけを変えても何もならないということ。
 警察へ行けば、何故抵抗しなかったかとかどんな服装をしていたかとか、どんな性交渉を今までに持ったかなんて関係のないことまで聞かれる。
 セカンドレイプの始まりだった。
 裁判でもまた同じ質問の繰り返しだ。
 プロセスが可笑しくて余りに配慮に欠けていた。
 結局、刑法学者はいても審議に当事者レベルの痛みが抜け落ちてしまっていて、そのマジョリティーに押し切られる形で世の中が回ってしまっていた。
 上司、先生、親、兄弟。
 加害者が自分の将来を左右する立場の人物のケースが多く存在していたようで、居場所がなくなってゆくと思うと抵抗出来なくなるという心理に陥ってゆくようだった。
 突然訳の分からないシチュエーションに巻き込まれると、心身がフリーズしてしまうのはみな同じだったように思う。
 余程場馴れしてでもいないと瞬発的に反応するなんて難しいことに違いなかった。
 ましてや女性にとって腕力では適わない男の暴力との不意の遭遇は、回避することがどれ程困難だろうと想像してみる。
 抵抗すれば更に何をされるか分からないという危険リスクが増して行く。


 コーヒーに異物を混入されて気付けばホテルにいたという被害者もいて、時が幾ら経過しても心に負った傷は癒えず、人を恨むようになったという話もあった。


 女神は語った。
 愛する人であったらと想像を促す。
 抜け殻のゴーストのようになるのだと言葉は続く。
 そして、それは魂の殺人であると結論付けていた。
 その肉声は微かに震え、彼女が悲劇の果てに垣間見ていたであろう人間の凄惨な姿として繰り広げられていた筈の性暴力に対する訴えは、自らの尊厳を守り抜き生き抜こうとする壮絶さに揺らめいているように思えていた。
 心の中で何かを打ち破ろうとしている。
 社会的なバイアスに抵抗したり、自らすら痛めつけてしまうような深く傷ついていた筈の自尊感情の破綻のようなものの中で格闘する魂。
 その姿にエールを送る者もいればセカンドレイプを行いなじる者もいた。
 僕は彼女の闘いが一過性のスキャンダルに留まらないで欲しいと願った。
 会見にはリクルートスーツで来ないとと何に配慮せよと言わんとしているのか、僕もそのことを聞いた時に心に引っ掛かりを覚える意見を言われたり、被害者としての立場に彼女を押し留めようとして働く日常的バイアスを感じていたようだった。
 被害者としての在り様までも強要されてゆくような状況に疑問を持った彼女は普段通りにしていた。
 その構造こそがこの訴えを生んだものに違いなかったのだろう。
 それらの腐敗した社会的カオスを絶対に見過ごしてはならない。
 それがつまりはレイプの本質であるからだ。
 そのバイアスを跳ね除けて長き闘いに身を投じるより他には、こういったダークな社会問題を乗り越えてゆく道はなかった。
 少女の頃に、プールで買ってもらったビキニを着ていると後ろから体中を触られたこともあったと話す。
 後でそのことを話すと、友達のお母さんからはそういうビキニを着ているからだよと言われたそうだ。
 加害者が絶対的に悪い話な訳だけど、聞いていてこれが今の社会の解釈なのだなと痛感させられる思いになったエピソードだった。
 それを言った友達のお母さん自身が世の中のバイアスに屈して取り込まれている状況なんだ。
 その間違った心理的負のスパイラルに取り込まれ、打ち負かされて泣き寝入りしてしまってはいけない。
 勿論、第三者が口で言う程簡単なことではないように思っている。
 だから、そういったことさえも社会の表舞台で正々堂々と語り合える空気を共に作って行かなければと僕自身が自分に対して鼓舞している。
 汚された女神の頬を伝う涙の美しさに、真実の光が一瞬宿り煌めいた気がしていた。


 彼女が反日だと言う意見もあったようだ。
 この国を想うから、良くしたいからといったようなことを語る彼女の言葉が何だか儚く響いた気がした。
 そして、それと同時にとてもしなやかに凛と上を見上げ咲いた蓮の花の姿に重なって見える気がした。
 自分のことは例に過ぎないのだという点について丁寧に説明を加えてゆく。
 現場で起きていることを考えるきっかけにして欲しかったという思いが語られていた。
 感情を抑えた声のトーンからは、これまでに考え抜きこの性暴力という彼女の心をズタズタに引き裂いたであろう問題に向き合って来た時間の重みが感じられるようだった。
 このセンセーショナルなトピックを一過性のエンターテイメントの餌食として終わらせてしまうことのないように、時折心のポケットから大切に取り出しては僕らの暮らしの現在位置を確かめる為のコンパスとして持ち歩いていたいと思う。


 レイプ事件揉み消しに現首相が関与していた疑いもネット内で流れる。
 日本社会の闇の中枢へと向かう性暴力問題。
 この問題は、歪んだ権力欲や支配欲というものと政権のトップに座る総理という存在との因果関係さえも告発しながら露呈している可能性があった。
 劇場型の政治に支配された街では、大犯罪ですらひと時世間を騒がせるトピックとしてショ―仕立てで目まぐるしく流れ去ってゆく。
 テレビも雑誌も数字を競い合い、飽きっぽい大衆は常に刺激を求め続けるような側面がやはりあったのだろうと思う。
 新しいものも一週間もすれば古びたものになってゆくようで、何だか怖いものがあるって思えてならなかった。
 これでは人の神経がまともでいられる筈もない程に、全てが刹那的快楽や打算的欲望の為に消費されてしまっているかのようだ。
 権力構造のトップへと日常の偽善性というようなものを暴くかもしれない問題が突き付けられた日本社会。
 この時、体制は時代の逆風の中で地に落ちて何か極まった感があるように思えていた。



 崩れゆく女神。
 僕らは彼女という対象を前に欲望の帰結すべき世界を探し彷徨っていた。
 像を破壊しようとする力もあれば、かばう姿もある。
 女神の告発が真実だとすれば、哀れむべきは像を崩した者に他ならないということだけは疑いようもない。
 彼女が偽りなく女神であることを法はまだ公に認めてはいない。
 だがその告発の全てがもしも真実ならば、女神像を破壊しようとする全ての思想や権力は失墜する運命に取り込まれるだろう。
 魔女狩りの街で、彼女の純潔の魂を証明する為のその闘いはまだ始まったばかりなのかもしれない。


 一番大切なこと。
 それは、僕ら一人一人が社会制度の矛盾によって今酷く侮辱を受けているという事実について気付くことだと思う。
 政治。エンターテイメント。日常を取り巻く全ての当たり前と思って来たことの全てに偽善性を感じ取る能力を育て直さなくては。
 ファクトする力が必要だった。
 それはただ誰かの悪口や物事への不満を口にすることではなくて、物事の本質を見極める為の行為だろうと思う。
 この国に生きる多くの人が、物事に対して手放しで無批判な姿勢を協調的であるかのように誤解しているように思う。
 それはただ単にバイアスに取り込まれての反応だと自覚しなければならない。
 格好だけの法律が僕らを守ってくれているという幻想は完全に消え去った。
 手放しでいて平和が保障されることはもうない。
 協調という名の嘘の作り笑顔の仮面は剥がれ落ち、差別意識や権力欲が路上の人影を無差別に打ち抜く機関銃の弾丸と化している。
 崩され傷ついた女神像の破片を、僕は戒律なき路上から拾い上げると心のポケットへと大切にしまった。
 雑踏に埋もれて来たその心からは、無限のハートビートが鳴り響いているようだった。
 その温もりを僕は信じていたい。