音楽という名の神
無限に溢れ出す天使のメロディーを浴びて、魂の奥底の光輝くその場所へと進行した意識のその力を、取りとめもなく文字に置き換えてゆく日曜の午後。
真新しく生まれたかじりかけのメロディーは、実に神の祝福に満ちていて、いつも僕を生への実感に導き、心の闇に明かりを灯し続けてくれていた。
乱雑に並んだ日常のリズムに、取り残されてゆく魂の叫び。
きっとそんなものは誰の心の闇にも覗き込むことの出来る現象だっただろう。
僕は十年の月日を費やし、重ねた音階の神秘に触れながら、SDカードから飛び出すメロディーの中に浮遊し、自己の本質的パーソナリティーを第六感の中に見つめ続けていた。
風の止んだ秋の午後は、柔らかな陽射しと暮らしに背負った悲しみなんかに彩られながら、視界の中に静かなる一つのさざ波を立て、時を刻み続けていた。
最近の僕は、時々何だか知れないが、突如意識の退行現象に捕われるように、より小さな過去の囚われの中に引き戻されっていく痛みを感じ続け暮らしてきた。
その感覚はまるで神の意識の中に舞い落ちた鳥の羽を一つ一つ拾い集め、自由や勇気の意味をもう一度振り返る為の、僕の魂が求めた特別な時間のように感じられた。
葛藤しては新しい意識を勝ち取り、そして自己の思い込みの世界から解き放たれてゆく人生の試練。
この旅は、まさしく神へと続く道に他なりはしなかった。
現実の中に生まれる現象を、僕は音符で一つ一つスケッチしては、人生を描き出し、葛藤に光を当てながら、そこに自由や幸福が生まれることを祈り続け、自分自身とそして世界に愛を歌い続け生きてきた。
洗練されてゆくメロディーは、もう現実の中の僕の意識の枠など容易く飛び越え、無限の意識の中へと常に吸い寄せられては、巨大なエネルギーの融合する渦に呑み込まれてゆくみたいだった。
美しい涙を流し、葛藤さえも讃美することが出来るだろうと僕に教えてくれた音楽よ、本当にどうもありがとう。
生きる苦しみの中に見つけた感謝の念は、時を超えて音楽の中に見事に甦り、僕が知らないもう一人の僕が、神の姿で自我を超越し、光り輝きながら、宇宙空間に存在していることを証明した。
人生の中で覚える葛藤の中の小さな自己の叫びが、無限の愛のエネルギーの前に曝け出され、その意味が自由意思の前に解かれ、選択の時が全ての魂に告げられたように僕は感じ、そして、僕の魂が歌った情熱のメロディーが一斉に全宇宙に向かい放出されたかの様な一瞬がある。
音楽を体を使って楽しみ、肉体に宿る響きの中に意識の広がりを感じ、神へと続く道がどうか全ての魂に開かれますように。
そして、これが僕が音楽という名の神と対話する際の大切なキーワードだった。
何百曲というおびただしい曲が、まるで夜空を駆け抜けながら光り輝く流星の様にエネルギーを意識の中に放射し、流れ続けた。
僕は僕という神に立ち返る人生の旅の中で、この二十一世紀と呼ばれる時空の一連の現象を一つ一つ魂の中でなぞりながら、その度ごとに光で構成されたメロディーを手のひらで自由に掴み取り、地球上に宿らせ続けてきたんだ。
僕の人生を振り返り、残してきたものを思えば、やはり音楽が全てだったのだと、今一度そう強く思い知らされていった。
そして、それは未来に於いても決して変わることはないだろうと思った。
街は少しずつ夜の世界へと姿を変えながら、うつろい続けていった。
僕の五感は常にざわめき立つように、益々何かを心の中から掴み取り出し、メッセージする為に働き続けているみたいだった。
まさに五感とは現実を体験する上で、無限の魂の中に眠る情報にアクセスする為の装置なのだと、認識を深めていった。
だから僕は音楽という名の神を魂の記憶として思い出し、描き出すことが自由に出来るのだろう。
そして、それが僕がこの世に存在する中で与えられた役割だった。
音楽が僕の心の中に舞い降り、そのエネルギーは地球上全てに振動して、全ての魂に音楽という無限へと続く扉が開かれてゆく。
僕はとても不器用で、音楽だけをひたすらに愛し続けてきた男さ。
僕は音楽と共鳴し融合することで、自分自身と、僕の意識と認識される部分と隔たった全ての存在を神であるとはっきりと思い出していき、人生の旅の意味を噛みしめてきた。
音楽を愛する時、僕は音楽を奏でているが、実際は音楽という名の神が僕の肉体を奏で、僕を光の中へと引き戻してゆく時間が流れ続けた。
そして、その現象は、地球上に存在する全ての魂の体験の中にも同じことが現れるに違いないだろうと思った。
音楽という名の神にアクセスする全ての魂に祝福を。
それは、それぞれの存在が思い描き求めた幸福の結果として、間違いなく舞い降りるに違いないだろう。
僕は強くそう信じている。
愛すること。
それは神としての自分の意識の中に引き返す道である。
それが真実だ。
僕の魂の中に、無限の音楽が溢れ返っていた。
そして、それは始めからそうであったのだと、光輝いていた。
音楽という周波数は、物質としては見ることの出来ない神の姿の代理人である。
僕の見つめる音楽とは、そういった性質のものなのだと思う。
日常の出来事の中に見つめる不確かな思いの、その一つ一つに音楽が宿り、思考が結実した時、真実の愛と光とが鮮やかにメロディーとして心の中に流れ出し、僕の魂はそいつを口ずさむ。
それが僕の人生だ。
音楽という名の神に触れ、不確かにうごめく日常の物音に、一つ一つの調和とトキメキの色を与えながら、美しい法則性に守られたハーモニーは、無限に心の中で止むことを知らない。