条件反射

 三次元世界の中で、常に自分を取り囲む情報の波に条件反射し続ける思考。
 僕が僕ではなく、他者から与えられた価値観により条件付けされた思考形態の中で、休むことなく日々様々な回答を出し続けている。


 消し去ることの出来ぬ過去の痛みを手放すまで、人間はいつまでも似たような日常への回答を計算し、弾き出す生きものみたいさ。
 そんな時は、幾ら知恵を絞って理屈で世界を割り切ろうと足掻いてみた所で、人生に突破口は見い出せず、その先に進めもせず、立ち往生してしまうのがおちだろう。
 そんな時、僕は出来るだけ自分の心の中に眠る感情の声に耳を傾けるよう努めてみるんだ。
 その感情は、過去の悲しい体験の中で味わった筈の痛みの色をしているだろうから。
 そして、痛みという、この世界ではネガティブな要素に満ち満ちたそのエネルギー体である感情は、完全なる自分のパーソナリティーを知らせる大切な情報である。

 僕は実に葛藤多き人生を歩んできた。
 フラストレーションといえば僕の専門分野といっても、もはや過言ではないように思う。
 そして、人生の中で一番乗り越え難き心の問題は、自分で自分を裁き続けることを止められないということではないかと思うんだ。
 ネガティブと呼ばれる感情を持った自分を自らで裁き、認めてやれないということが、物事への葛藤の中に眠る問題の本質なのだと悟ったんだ。
 あるがままの自分を認め、許し、受容すること。
 それがパーソナリティーに目覚め、パワー溢れる自己を甦らせる為の大切なプロセスだと思う。
 自分の本質的パーソナリティー、生命力の根源を探る時、もつれた感情の糸を手繰り寄せ、理屈じゃなく、あるがままの感情の声に耳を傾けるんだ。
 ネガティブな感覚の体験は、ポジティブな感覚と常に背中合わせに存在しているように感じる。

 例えば感情が酷く落ち込んでいる時、大抵あるがままの自己を自らが否定しているんじゃないかなと思う。
 怒りが湧き上がってきているのに、その感情に蓋をして、存在に気が付かない振りをする。
 これがパワーダウンのメカニズムだと思う。
 そして、それは過去に誰かから教え、叩き込まれた価値観や思考に条件反射的に自動で反応を示しているのだと思う。