THIRTY SEVEN

 二〇一一年が明けた。
 僕は、元旦で三十七歳になり、人生について考え深いものがたくさんあるよ。
 そして、この命で果たすべき使命について、初心に立ち戻りたいと思った。


 僕はこの頃、ふと死について考えていることが度々あった。
 年始から重いテーマに触れるのだが、あえて僕は、この人生の最終地点を見据え生きてみたいと思ったんだ。
 それは、やはり三十七歳を迎え、この限りある命で一体どこまで辿り着けるのか、リアルに覚悟を決めなきゃって、超リアリズムから来る、切なる思いがそうさせていたんだ。


 二十代は、夢見ることばかりだったよ。
 失っていくことよりも、得ることの方が多かったから。
 若さで、闇雲に真実や理想を求め、一人ぼっちで走り続けていた。
 僕の青臭い歌に、まだ優しさなんて必要なかったのかもしれない。
 僕は、とてもたくさんのことに傷つき、そしてたくさんの人を傷つけてきた様な気がする。感受性という名の剣を振り回してさ。
 そしてこれからも、真実なんて誰もくれないこの世界で、自分自身の気持ちに正直にまっすぐ生きていきたい。


 メジャーでも、CDなんて売れはしない時代。
 僕は、ただ自分の中にある確固たる信念だけを頼りに、激動の時代を駆け抜けていく。


 真実を駆け抜けろ!


 そう自分自身を励ましながら。


 たくさんの人間関係が、時の中で失われていく。
 本当に理解し合える相手なんて、人生に一人現れれば、誰にとってもそれで上等なのだと思うよ。
 現代は、デジタル化を遂げ、様々な人と簡単に出会えるけれど、人間って生き物はやっぱり時間を掛けて互いを理解し合わなくては、どちらの長所も短所も理解出来ないことが普通だと思う。
 僕の場合は、現代のこの速いコミュニケーションのリズムに、心が着いていけてなくて、ともすれば自分の気持ちすら見失ってしまいそうさ。
 ファーストフードジェネレーションってやつは、随分人間を横柄にしてしまったと感じる。それはどういうことかというと、最近は直ぐに答えや結果が出ないと苛々して、その時点で物事や人間関係を丸投げし、何かのせいにして機嫌を損ねる性質が強まっているということなんだ。
 それが、僕が現代に対していつも一人取り残されてしまった様な気持ちになってしまう原因だと思う。


 さて、今年はどうしようか。
 まあ、きっと音楽一色の一年になるのだろうけど、皆の力でもっと素晴らしい世界を創造出来るのだということを音楽の力で証明してみせたいんだ。本当の希望の意味を皆が感じられる様に。
 その為に、二〇一一年も頑張りたいと思う。





 街角を行けば、擦れ違う人々が田舎でも挨拶一つ交わさず、凄く妙な猜疑心と恐れを感じながら、自分を守り、苦しさと孤独の中で生きていることが分かるよ。
 この世に対する絶望を多くの人が抱え生きていることを、ある意味その現実は僕に教えてくれたんだ。
 やっぱり、そんな現実に突破口を見い出し、人々が迷いから覚めるには、ある種の過酷な体験から学ぶ必要があるのだろうと、僕はそう思う。人間、辛くなければ何かを強く求めたり、自分の至らなさを省みるということはなかなか出来ない生き物なのだろう。


 音楽でいうと、癒し系というジャンルがブームになったけれど、あれは何かに優しくしてもらうことで、その場しのぎに自分の抱えた問題から逃避したというニュアンスが、僕にはとても強く印象付けられたんだ。つまり、自分の力で本当に何か問題をクリアしたというわけではないから、心の虚しさは相変わらずのままとなっているのだと思う。まあ、それも成長の為に必要なことだったのだと言うことも出来るのかもしれないが、僕にはやはり、かなり微妙なところだったよ。
 この点は、さっき話した、街通りで擦れ違う人々が挨拶を交わさなくなったという現実に直結していることの様に思える。それは、人生の中で何か不味いことが起きたら、それを直視して心の自由を手に入れるのではなくて、物事を全て迂回してかわし、逃げる姿を現している様に思える。


 何も、短絡的に挨拶をしないことが間違いだとかいけないというつもりも、全くないんだ。挨拶をしないこと一つにも、色々なその人の人生の背景が存在しているのだから。物騒な時代に、必死に自分を守っているのはよく理解出来るしさ。全ては時と場合だとも思うよ。僕だって、その場の空気で挨拶をしたりしなかったりだもの。
 ただ、挨拶を決してしない人の特徴として、臨機応変にその場の空気を読むという気配が、足りない様に感じていたよ。つまり、マニュアル人間がとても増えたということだと思う。学校の試験みたいに、決められた答えをただ用意するだけの生き方の様に、僕には思えたんだ。そこには、自分で努力して思考し、哲学的に現実を見つめ生きる姿勢の欠落があらわに揺れていた。


 そして、未成熟な人間の心を支え育むのが、音楽といった芸術だと思う。
 だから、昨今の文化の衰退は、文明社会にとって最終的には多大な不利益を生じさせる結果に繋がるだろう。そして、多くの人々は不幸を感じ続けるだろう。それが、この世界の未来に於いて、僕が一番避けたい事態なんだ。


 だから、僕はそのビジョンとは真逆の世界観を訴え、歌っていきたいと強く願い、この二〇一一年を生きていきたいと思う。



 現代は、情報が溢れ、きっと誰だってある意味神になれる時代なのだと思う。
 IT革命は、それを後押しし決定的にした。
 だからこそ僕は、自分の感覚を更に研ぎ澄まし、真実を見極め生きていかなければと思うよ。


 三十七歳のバースデーも、僕は作曲に取り組み過ごした。
 年末のジャニーズカウントダウンライブを観た影響もあって、僕にしては珍しく、ヒットする為の要素についてかなり意識した曲作りになったと思う。メロディーだけを、いつものように二十曲生み、僕のバースデーは終わっていった。
 そして、才能なんて、人々の為に役立たなければ、何も意味がない様に思える時がある。
 僕に、本当に音楽の才能があるとするならば、きっとそれは人々の為に役立てるように、天から与えられたものだと思う。
 二〇一一年の年始に、僕はそんなことを強く思いながら静かな時を過ごした。
 それにしても、僕には音楽があって本当に良かったと心から思う。だって、僕という人間は音楽以外には、本当に何も出来ない、社会性ゼロの人間だったから。



 さあ、きっと人々も新年への様々な期待や希望を抱き、歩み始めようとしている頃なのだろう。
 今年も、何か一つでも多く、純粋な心で互いの奏でるハーモニーを重ね合えたらいいね。
 そう願って、三十七歳をスタートさせたいと思う。