十六のモンタージュ

 あれは十六歳の時のことだ。
 西暦でいうと一九九〇年で、湾岸戦争の記憶が僕の灰色の青春に悲しい影を落とした、そんな年の話だ。


 
 当時、親に普通に高校に通わせてもらっていたけれど、僕の精神は瀕死の危機を彷徨っている真っ只中で、あの頃自分の部屋に閉じこもり、ギターを弾いて歌うことだけが傷ついた魂の見つけた自由だった気がする。
 僕は、湾岸戦争の残していく世界の闇に支配されていく様な暮らしの中で、本格的にソングライティングを生きる糧にしようと足掻いていた。
 そして、その年やっと納得のいくオリジナル第一号は誕生した。
 タイトルを「残酷なニュース」と名付けた。


 僕は、既に自分の感情をなくし、廃人の様に精神が衰弱し切ってしまっていたんだ。
 作曲は、記憶の喪失を埋め合わせる手段であり、僕は感情の欠落を取り戻す様に音楽の能力を一つずつ身に付けていったのだと思う。


 僕の音楽との関わり方の中心には、常に衝動が存在していて、その支配の中で歌は生命を授かっているみたいだった。
 原子的リズムを嗅ぎ、そして意識の彷徨う次元から喉元を突き上げる様にして感情の波は唇を零れ落ちては結晶化し、メロディーは形作られていった。


 僕ら人間は、社会生活を営む中で様々に感情を抑圧し、歪に歪んだ思考形態の中に自らを閉じ込めながら、人格を築き上げているのだろう。
 そして、その人格とはありのままの本質的自己イメージからはあまりにも遠くかけ離れてしまっているケースもきっと多く、自己内部では相当に激しい葛藤の繰り返される危機的分裂症状を招いてしまっているのだろう。
 かつて少年の僕がそうだった。
 そんな自己喪失体験から這い上がる中で、僕は芸術を日常的に覚え、体現せざるを得ない境遇の中に生かされていたんだ。


 自己の本質へと回帰する旅。
 それが、僕が天から授かった芸術という名の使命だったのだろう。



 僕は未熟な精神を補いながら芸術と日々辛辣な闘いを続けた。
 その姿が美しいものであったのかどうかは、僕には定かではない。
 ただ、僕を否定する様に感じるものに対して、幾らか有効な意思の疎通ツールであることは間違いがない様で、僕はどんどんと険しくなっていく一方の茨の道を、愛の面影に向かい夢中で駆け上ろうとしていたのだと思う。
 僕には、あの無謀なまでに過酷な一本道を駆け上ることでしか、生き続けることが許されていなかった気がする。
 生きるか死ぬか。未来か地獄かのどっちかしか選択肢はなかったのだろう。



 僕にとってロックとはまさに宗教だったのかもしれない。
 絶望を乗り越える為に導いてくれるカリスマ不在の自分宗教信者とでも呼べばいいのだろうか。
 そして、ビートは絶望の闇が深いほど、熱く強烈なパッションを欲し、僕は音楽に神の意識が宿るまで更に感覚を磨き、自分にとっての真実に誠実に跪き、心の限りに叫ぼうとしていた。


 生きたい。
 ただそれだけの為に。

 僕はありふれた幸福の意味が分からず、いつも酷く脅えていた。
 自分を取り囲むもの全てが、何だか嘘に見えてしまっていたし、そして僕自身にも、何故そんな風に感じているのか、理由なんて全く掴めぬまま、まるで青春を真っ逆さまに転げ落ちていく様な壮絶さに見張られる思いだった。



 でも、僕には音楽があった。
 ただそれだけで、一瞬でも純粋に幸せだと感じられたことが心の救いだった。


 そして、生み出した一曲一曲の歌は、僕ではない僕との決別の儀式であり、本当の自分を取り戻す為の祈りだった様に思う。


 きっと、人間は生まれながらにして人間なのではない。
 人間は、人間性を獲得する為に人生の試練や歓びの全てを通し、意識を拡大させ、幸福になるべく生まれてきたのだろう。
 そしてロックという芸術は、純粋な人間性に立ち返る為の表現媒体に他ならないというのが、僕がこの人生で得た最大の思想哲学だった気がする。


 僕は生まれながらに僕であって僕ではない。
 それが、僕がロックという表現媒体に対して存在欲求を突きつけた思想の原点に違いなかった。
 そして、僕にとってロックだけがその様々に自己矛盾をはらんだ人間という存在への問い掛けに対処しうる代物だったのだと思う。



 僕にとって、ロックは聴いてただ気持ちよくなる為の道具ではなかったということが、芸術に立ち向かう挑戦者としての資格を僕に授けたのかもしれない。
 リスナーとしての延長から、きっと誰もがミューズに使える者となるのだろう。
 そして、芸術と向き合い日常的に闘わなければ生きることがもはや許されぬ精神領域に転がり侵入した存在が、この世のものではない孤独とその痛切な精神の悲劇の中で神の愛により授けられるのだろうと僕は感じ続けていた。


 幸せな境遇に生まれついた人間には、きっと究極的には芸術と向き合い、日常的に心の内なる神と対話し、その能力を持たざるを得ぬ必然性は生じないのだろう。
 芸術は、この世の中で神にしかすがれなくなった人間の不幸というものを救済する手段として、神の下した措置方法の一つである気がしていた。



 誰もが目を背け避けて通る物の中に物事の本質を探していた。
 自分自身ですら受け入れることの出来ない様な心の痛みに、真実を掴み取りたかった。


 世の中からその意味を教えられたことを疑い、自分の本心を解き明かそうと一人情熱の炎を燃え上がらせていた。
 全ては、精神の高揚の中で研ぎ澄まされ、肉体すらも浄化していくバイブレーションが音楽として苦悩の上に降り注いでくる様に感じていた。


 きっと人間の細胞の中に眠る原子は、自らが求める答えを初めから知っているのかもしれない。


 例えば、心の中に広がる宇宙で繰り返されるビッグバン。
 それが破壊と創造の狭間に生まれる音楽なのだと僕は思う。


 心の中の宇宙に生まれる孤独の闇に充満した心理的エネルギーが、極度に圧縮され、そして一気に爆発を起こす。
 その時、きっと一つの現実は崩れ、もう一つの新しいリアリティーを獲得する様にロックは誕生するのだろう。
 これが、ロックが本質=自然に立ち返る道として僕の本能を刺激し魅了し続けた、十六歳の真実だった気がする。


 ロックとは、精神に付着した全てのもはや無駄となった感情と思考を削ぎ落とさせ、純化に至らせる、自然回帰現象のことだろう。
 芸術とは、欠落した人間の精神に神の意識エネルギーを注ぐ為の器なのだと思う。



 十六歳の凍えた僕の魂が転げ落ちていった孤独音域世界に、無数に散乱しているモンタージュ写真が、今も闇を彷徨い、静かに眠り続けている。