羽衣よ舞い
時折、ふらりと訪れたくなる町の一つに鞆の浦がある。
五月の春陽気に歓迎されて、今日は人生初の鯛網を見物にやって来た。
昔は都会に憧れていた、資本主義社会に育てられた僕も、高度なテクノロジーによってピカピカに輝くものよりも、自然に囲まれた文化の匂いのするものが愛おしくなってきているのか、ホッとすることやリラックス出来るものが、とても大切に思える。
きっと、文明社会の中に生き、生存競争の中で置き忘れてきた何かを取り戻したいのかもしれない。
ともかく、どこか遠い場所ではなくて、故郷が一番大切に感じているということだけは確かなことのようだ。
昼食を摂ってなかったので、よく行く豆腐屋の親父さんの作る豆腐アイスを食べることにした。
潮風の匂い。
見慣れた筈の港町が、今日も眩しくてとてもフレッシュに輝いて見える。
僕の頭はいつも音楽のことで一杯で、こんな風に豆腐屋の一角のテーブル席に佇んでいても、目に映る風景の全てが音楽になっていく。
豆腐屋の親父さんは、人の良さそうな顔をして、地元の雑誌に店が紹介されたのだと、テーブルに置かれていたその本の紹介ページを嬉しそうに教えてくれている。
窓の外は初夏の訪れさえ既に感じさせ、穏やかで陽気な鞆の浦に出会えた今日が、とても満ち足りた時間を僕に与えてくれている。
平凡なるこんな一日が、本当は奇跡なのだと分かる、そんな温かい気持ちだ。
夏になれば、若者や家族連れなどの観光客で賑わい、海の向こうに浮かぶ仙酔島にフェリーで渡る人は、ビーチで海水浴を楽しんだり、釣り人もいる。
坂本竜馬の船が海に沈み、歴史ロマンを追う人もいれば、古き伝統的な町並みやお寺などを観光目的にした人もいるだろう。
本土からすぐ目前の海に浮かぶ仙酔島の間には、弁天島という小島もあり、神秘的な雰囲気漂う風景が望める。
何となく成り行きで始まったプチ旅行の、静かなるオープニング。
店を出て、すぐ近くのフェリー乗り場の横の堤防から鯛網の様子を見学し始める。
陽射しがキツく、海の向こうの島影に浮かんだ漁をするであろう何隻かの船を待つ時間が長く感じられる。
傍に居る老夫婦の会話は、まるで駄々をこねる少年と、それをなだめる母親のようなニュアンスに歪む、陽射しに溶けかけの飴のようだ。
妻の名を呼び、もう帰りたいという旨を伝えている。
天空にはトンビが一羽、獲物を狙い旋回している。
島影に浮かぶ船が動くのを確認すると同時に、暫く時の進行がスローダウンしたかのように感じていた時間から解き放たれ、爽やかな空気を胸の奥に吸い込む僕がいる。
船が穏やかな瀬戸内海にしぶきを挙げ、大量を祈る舟歌が辺りに響き渡る。
録音されたものではあるが、生で漁へと出掛ける船を観ながら聴いていると、とても感動的で素晴らしい。
何だか、競馬のレースの第四コーナーを抜けた各馬のデットヒートを真近で目撃しているみたいだ。
一隻の船の先頭部分に立つ美しい羽衣を身に纏った女性は、伝統的な神への祈りの儀式を捧げているのだろう。
進行するセレモニーの中で、風に舞う羽衣が、天女としての存在である彼女を一際際立たせている。
観光客を乗せたフェリーが共に走り過ぎてゆく。
遠ざかる船を見送っていると、近くで観ていた中年女性が、これはショーで、鯛網は沖に出てから本番を迎えることを、観光客に伝えている。
どうやら、付近の観光施設か何かの人であるようだ。
老夫婦の夫で駄々をこねていた男性も、一時の鯛網のショーに心を和ませ、笑顔をその表情に取り戻している。
船が走り去っていく時、岸辺に集った観光客に船員らが大きく手を振り、僕らもそれに応えていたシーンが何となく印象的に心の中に留まっていることを感じながら、僕は帰り支度をする観光客の一団に紛れ、堤防を後に歩き始めた。