アンチテーゼ

 空梅雨にダムの貯水率低下が懸念されたある日、ようやく纏まった雨が降った。
 しとしとと雨音が、何だか日常の抱える歓びや悲しみの全てを歌い上げていくかのような時間が流れる。



 夜、ネットでニュース動画を観ていると、子宮頸がんワクチン接種の副作用に苦しむ少女の痛ましいニュースが目に飛び込んだ。
 ネットの世界では、もうずっと問題視され騒がれていたニュースだったけれど、被害者側の訴えにより、ようやく少し社会の闇に光が差し込んだかのような印象を、その時僕は感じていた。
だけど、世の中の裏の裏を知れば知るほど、一つの真実だと思わされていた事柄も、ただの作り上げられたシナリオだったということなんて腐るほど転がっている話だ。
 日中降り続いていた雨も、夕方にはすっかり上がり、晴れ間さえ覗く空へと変わって、空梅雨はどこまで続くのだろうと考えていた僕は、3.11という国難を追い、レポートし続ける市民記者のように、日常の囁きに常に心の耳を澄ませ生活していた。



 数日前のライブの空気を、まだ忘れてはいなかった。
 ちょっとばかり賑やかな夜で、僕は昔の自分のステージを思い出すように、真実を探していたんだ。
 何か問題があった訳ではなかった。
 ただ、一つの切り取った風景の中に、昔抱えていた痛みに繋がる何かが眠っていてさ。


 今年作った新しい歌は、一体どんな風に社会に響くのだろうか。
 僕の心の夏は、新たに燃え上がる青春の蝉しぐれのように人生を歌い上げているようだった。


 人の暮らしの幸せって何だろう。


 ワクチンの話にしたって、ネットで調べていくと可笑しな話ばかりさ。
 医療マフィアだの闇の支配者だの、ブラック企業の話も含めて、ダークなネタなら、この世界尽きることがないみたいだ。
 そういうのって本当につまらないなって思うよ。
人を陥れてまでも欲しい自分の人生の幸せって、一体何なのだろうか。
限りある人生の時間をどんな風に豊かに過ごすべきか、心の教育が失われた世界で、僕は時代にそっぽを向き、ひたすらにロックンロールを奏で続けていた。


 ライブハウスで見続けてきた現実も、相当にブラックな物語に違いなかった。
 自分より上手いか下手かの競い合い。
才能があるかないかの虚しい優劣の世界は、果てしない架空のゴールへと疾走する孤独なランナー達の心情を想像しているみたいな気持ちになり、指先でそっと、その一つ一つの思いをなぞるような感覚を僕にもたらした。
 そして、僕は疑心暗鬼に取り憑かれてしまい、誰とも心を開くことが難しくなってしまっていたのだろう。
 青春の日々を振り返ると、そんな無数の想い出が蘇り、心の旅は永遠に巡り続け始めるというパターンが、いつものことだった。


 今年の春は、PMに黄砂、放射能という大気汚染のオンパレードだった。
 とはいっても、PMについては何だか怪しい筋の話に思えた。
 勿論、本当のことだと思っていたけれど、放射能の問題から国民の意識を反らす為のお取り的な扱いとして、僕にはニュースが危険を察知する臭覚に引っ掛かって仕方がなかった。
 放射能汚染の世界に住んでいるのに、いまさらPMがどうしたこうしたでもないように思えた。
 大気汚染問題なんて、昔の日本を含め、いつの時代から続いている話なのだろうって、冷めた気持ちになる僕が可笑しいのか。
それがこの国の現実として、何かの力によって描かれ、大衆の意識はいとも簡単にその先導に従わされていく。そんな印象だった。


 僕が向き合っていたのは原発問題だった。
 毎日を彩る安全キャンペーン。
 食べて応援は、資本主義社会の選んだ生き残りを懸けた道だったと思うけれど、その選択には本当に未来があったのだろうか。
 絆という言葉が流行り、同調バイアスが社会に仕組まれていく。
 僕はそう感じていた。


 この国は今、最も食の安全を確保しなければ未来がない筈なのに、いつもいつも資本主義に平和が崩され続けているという思いを胸に、僕はアルバム作りに取り組み、春を過ごした。
 きっと、世の中にすればどうでもいいようなアルバムなのだろう。
 だけど、僕にとってみれば、この時代を自分がどう生きたのかを未来に伝える為の、たった一つの大切な手段だったんだ。
 TPP導入で農業がやられてしまったら、いまだに福島第一原発から毎日大気中に拡散され続けている放射能の被害から逃れた土地で生産される安全な食べものの確保さえ危ぶまれること等、国民の安全や健康を守る上で問題が生じるのは明らかだった。
 だけど、社会全体の意識はといえば、そういった意識にはまるでなってはいなかったのだろう。
 3.11以後、随分分の悪い日本は、世界の核の最終処分所として、相当に暗いシナリオを思い描かずにはいられないような立場に追いやられてしまう危機の真っ只中で、何だか投げやりなルーズさに、社会全体が覆い尽くされてしまっているみたいだった。
 死んでしまえば人生は終わりだと考えている人々は、今も尚、自分の利益だけを求め、国難が生んだ社会の皺寄せの全てを、子供達に押し付けようとしていることは、もはや明確な事実だと僕は思った。
 だけど、全ては一つという視点から見ると、それは明らかに自らの魂を汚し、傷つける生き方だったのだろう。
 僕はいつも思うんだ。
 人生なんて、あの世への試験みたいなもので、僕ら人間の本質的生命が続くのは寧ろ、あの世と呼ばれる世界なのだろうと。
 どちらにしても、多くの現代人は、自分自身の魂をまるで侮辱しているかのような心の在り方に落ちぶれてしまっていると思った。


 だけど、これら全ての話は、今考え得る限りの思考の中での話でもあるのだろう。
 厳しい現実がある時こそ、いつも物事を俯瞰し見つめ、世界がより良くなっていく為のプロセスとして捉えることで、負をプラスに転じる発想すら生まれ易くなるように思う。
 そして、一番大切なことは、僕ら大衆が危険を意識し、自らの意思を社会に示し立ち上がることだろうと思う。










 春の青空はケムトレイルだらけだった2013年。
 ケムトレイル陰謀論だとの意見もある。
 真相は庶民には分からないことだけど、僕の立場は、ヤバそうな話には一応警戒し行動する方が無難だろうというものだった。
 本当に陰謀論ならば、それに越したことはないんだけどなって思っていた。
 その他の例も数限りなくあった。
紫外線の問題は紫外線止めの薬品を売る為の嘘だとも言われていたし、抗がん剤は癌を治さず、寧ろ癌を作るものだという話は、ネットでは常識のように語られていた。


 それらが本当の話だと仮定すると、闇の組織による世界人口削減計画と呼ばれているシナリオも、いよいよ本気モード突入ということになり、必死の様子が手に取るように窺えるということになるのだろうなどと考えていた。


 食の安全。医療の確保。年金問題だとか、日常は確かに大変に見えた。
 だけど、忘れてはいけないことは、まず自分からシンプルな生き方に立ち返り、愚痴を零すよりも、愛や理想を語り、希望を日々生み出していくことだと僕は思う。
 社会に存在する不条理とは、僕ら一人一人が目を反らし、自分の人生に対する責任を放棄してきた問題に繋がるものだって気がしていた。
 そして、恐れを一つ一つ手放し、歓びに溢れた人生を送ることが、きっと最も世界に光をもたらす生き方だと僕は信じていた。


 自分の周波数を上げることで、共鳴するパラレルワールドと呼ばれる様々な次元の扉は開き、人は自らがきっとタイムマシーンみたいなものなのではないかなと、僕は常々そう感じ生きてきた。
 自分の思考を整理すると、自分が持っていた価値観を意識することで、好ましくないものであれば、より好ましい価値観に変えることが可能になるように思う。
 僕にとって、ロックンロールは自分の本質に立ち返る為の宇宙のビックバーンみたいなものだった。
 無意識の闇に意識の光を当てる行為だ。
 そして、それは人の暮らしの平和を守り、幸せに生きていく為の僕個人の責任のように思っている。


 不思議なんだけど、自分の思いを整理するだけで、この世界が微妙な変化を見せるようなことに、ここ一二年くらいは特に出くわすことが多くなっていた。
 それは、僕が個人的に経験している世界観なのだろうと思う。
 原発問題一つにしても、百人いたら百通りの現実が存在するものなのだろう。
 単純に考えてみても、危険を無視すれば、より危険な未来が近付く気がする。
 想定していた悲劇って案外起きないもののように思えるけれど、たかを括っていたことって、足元をすくわれるようなことってあるように思えるんだ。
 僕にとって、原発なんてその最たるものだったように思う。
 被爆国として、もう放射能の危険はないだろうと思い込んでいたところの原発事故だった。
 だから、世の中の何となく大丈夫な空気って、落とし穴になる危険といつも背中合わせと考えていた方が無難な未来が築けるんじゃないかなと思う。


 世の中の原発利権に絡んだ問題は、日常にその素顔をあからさまに出し続けていた。
 国会議事堂を取り囲んだ数万人規模の脱原発デモは、僕が観たニュースでは二千人以上と報道されていて、まるでデモを小さく見せようとする報道姿勢と視聴者側に受け取られてしまったとしても仕方ない内容に思えた。
 庶民の味方である正義のヒーロー不在のこの国に、真実の報道を望むのならば、民衆の意識の光を社会や時代の闇に注ぐしかないように僕は思う。
 教育は、感じ考える人間を作らせない為のトリックに病んでしまっている。
 庶民が力を持たないように仕組まれたゲームに違いないだろう。
 だけど、ネットの普及により、その古い体制ももはや崩れゆく運命なのだろう。
 権力構造は入れ替わり、民衆に有利なパワーバランスが社会に生まれていくだろう。


 そして、それを実現していくのは僕ら一人一人の秘めた内なる可能性の力によるものに違いない。



 ある外国人青年が、ネット社会を監視するシステムの存在を、自分の身に危険が迫ることを覚悟の上で内部告発した。
 アメリカのオバマ大統領は、それを理由付けだが認める声明を継いで発表する形となった。
 この世界は、もう過去のように不正を隠し続けることが出来ない。
 ネットなどから毎日入ってくる情報が、民衆の意識を変え、この世界は激動していく。
 世界は本質へと回帰する旅を続けている。


 僕は一体、自分を取り囲む社会にある不条理な物事とどう向き合い、今日をいかに生きるのか。
 そんな思想哲学を身に纏ったロックンロールが、いつも僕には聴こえてくるんだ。