運命への序章
人の欲望を司るものの真実を、僕は深く知りたい。
運命への序章
むさ苦しい真夏の大学の軽音楽部の部室は、ノイズ混じりのエレキギターの音色に塗り潰され、とても夢なんかには辿り着けないようなブルーな気分だった。
僕は、自分らしさを信じ生きようとしていたけれど、自分らしさってものの意味をとても本能的な部分で、強く求めていたのだろう。
自分が分からない。
正確には、そんな鈍い感覚に絶えず苛められているような、モノクロームな世界に住んでいるといっ
た感じとでも言えば、説明の言葉にふさわしいだろうか。
自分探しなんか、僕の周囲でしている人間に会ったことは、あまりなかったような気がする。
いや。
誰だってきっと、大なり小なり、青春の影に脅え、そんな心の旅に出た経験はあるもののような気もする。
だけど、自分の本質的なパーソナリティーへの回帰を求め、生きていくということは、あの時代を包み込んでいた社会風潮の中で、かなりハードな自己との闘いを常に迫られる訳で、僕の意見としては、余程の強い魂からの目的意識を自覚していなければ、心がすぐに折れて、負けてしまうような話だって気がする。
哲学を心に持とうとしているのだけれど、誰かの物真似程度に自分を装ってみせても、決して辿り着けはしないような、果てしなく自由を求めた、心の旅だよ。
センシティブな若者の理想の愛なんて、横暴で詐欺ばかりの社会の中では、呆気なく崩され、自滅の道へと誰もが転げ落ちてゆくよ。
初めて僕の組んだロックバンドは、まだ名前すら持たぬひよっこバンドで、リーダー各の少し年上だったギター担当の長身の男と僕とで、オリジナルを出し合い、活動はまるで、小舟の慣れないオールを漕ぎ続けているような危うさの中にあった。
もう一人、ベーシストの彼の名前すら、もう思い出せないくらいさ。
ほんの僅かな期間、一緒にバンド体験をかじった程度で、大して心の触れ合いなんて持てず、互いに歩み寄ることの出来ないままの、とても希薄な関係だった。
まあ、僕はあの頃、必死に自分探しをしていた訳で、他人を自分の心の中に引き入れる術も知らず、あくせく下手糞なギターと歌で、自分を表現するより他に、社会と繋がることが本当に出来ないような精神状態にあったのだと、今更ながらそんな風に当時を思い出す。
自分探しは、豊かな時代に甘やかされた世代の抱く、悪い意味での特権のように何だか語られるような風潮を見聞きすることがある。
ある意味、それは正しいのだろうけど、僕の覚える感覚として思うのは、そんな表面的なことではなくって、もっと人間の抱える生への本質的な衝動のような気がするんだ。
そんな複雑な意味を理解する大人は、実に少ないと言うべきか。
哲学者や宗教家や精神科の医師でさえ、その答えを正しく導き出せる人間なんて、いか程地上に存在しているのか。
少なくとも深い人間不信の闇に呑み込まれ、誰一人信じられなくなってしまっていたあの頃の僕には、そんな上等な温もりを与えてくれる人間なんていないってくらい、もう悲しく精神は疲弊してしまっていたよ。
そして、いつも僕はこう思った。
一体、何が僕をこんな風な思いにさせているのだろうと。
バンドはやがて空中分解の運命を辿る。
それはそうだ。
時代や社会の何に向かってロックをやろうとしているのか、その本質を理解するまでの葛藤が、僕を絶えず支配し、苦悩の闇に転げ落ちたままで、バンドなんて維持出来るものなどではないだろう。
資本主義社会に育てられた子供として、もうすぐ成人の年に手が届こうかという年齢になり、ロックがロックであるゆえんを知り、覚えるまでの序章を、あのバンドは奏でていたに過ぎないのだろう。
ロックは既に資本主義の世界に埋没し、その意味すらもう誰も尋ねなくなってしまっていたかのようだった。
だけど、僕はそのことに対して深い疑念を抱き、既に音が奏でられないような苦悩を抱え始めてしまっていたのだと思う。
きっと、それがこの話の辿り着く、運命への序章の調べだったのだろう。