波紋




 店に着いたのは、ラジオ収録を兼ねたライブ企画が始まって暫くした頃だった。
 慣れ親しんだライブハウス“HIDEAWAY”の扉を開けると、アコースティックユニットの演奏が洪水のように溢れた。


 六月最後の日曜日。
 僕がここに来たのは、マスターであるトクさんから誘いの言葉を貰ったことがきっかけだった。
 先月飛び入りで歌った時に、ラジオにライブ音源を流す企画があるから来てとメモを渡された。
 メモ書きを見つめながら、この夏自分に出来る活動の手掛かりにと参加を決めたんだ。



 たかが一人のミュージシャンである自分に何が出来るというのだろう。
 そんな風に、ともすれば荒れ果てた時代に対して物思いに耽る僕もいる。
 だけど、街が腐っている訳に心を向けてみた時、そこに浮かび上がる現実として一番重いもの。
 それは人の心に取り憑き、病魔のようになってしまっている自己不信が無限ループの思考の輪を作り、諦めの中での快楽と刹那的生き方に毎日が虚しく埋め尽くされてしまっていることのように思うんだ。


 諦め。
 そこからは何も生まれない。
 諦めにあるものは、下を見て暮らせといった卑屈で歪んだ精神構造だろうと思う。


 ふと、ふりかえれば夏という散文を過ぎゆく梅雨に紛れ書き上げたけれど、バイアスをいかに僕ら一人一人が抜けて、もう一度自分を取り戻し生きていくことが出来るかという大きなテーマこそが、今時代に問われていることだろう。


 閉塞した社会。
 それは、諦めという思考の中で朽ち果てて行こうとしている資本主義の末期状況に他ならないのだろうと思う。
 微笑みは消え、無関心、無感動な都会の群衆。
 丁度この日、新宿駅焼身自殺未遂を図った一人の男性がいた。
 都会の人々は、その光景を目の当たりにしても恐ろしく淡々としている印象の強い人が多く目立っていたとかで、僕はそのことがとても怖いと思った。
 深い絶望感の中で失っていったであろう情緒。
 乾いた心が飢えていて、自分のことだけでしか人生に余裕なんてなくなってしまっているということなのだろう。
 こんな状況下では説教は意味を持たず、逆効果となるだろうし、秩序を生む調和をもたらすものはやはり、希望の心なんだと思う。
 希望なんか何もないと言ってしまえば、今の社会で、それは確かに一つの真実だと思う。
 僕らに必要なことは社会を変える以前に、自分の人生を見つめる視点を多様で豊かなものに成熟させていく精神的向上だろう。
 勿論、これは僕の持論なんだが、足りないという意識が次の不足感へと悪循環を生んでいるのが、行き詰った資本主義の今の姿だろうと思う。


 殺伐とした空気。
 男は集団的自衛権反対の意思を示し、街ゆく人々に挑んだ様子の伝えられたニュース。
 彼の時代への一石を投じた行為は、どこへ辿り着こうとしていたのだろうか。


 皆、心に愛があるから、人を憎みもするし、突拍子もない破天荒な行動だって取ることもあるのだろう。
 皆、愛や夢に傷ついてきたから、もう二度と裏切られたりするものかと心を頑なに閉ざし、クールに荒んできたのだろう。


 それでも僕は、人の優しい感受性に訴え掛けることを諦めてしまわないで、歌い続けていこう。
 湖面に投じた石の波紋は遠く広がり、段々にその影響力は広がっていく。


 僕がやろうとしているロックとニュースの男性の取った行動の本質は、結構近いものがあるのかもしれない。
 何も詳しいことは知らないから、確かなことは言えないのだけれど、いい悪いを抜きにして、何か思いがあることだけは間違いないことだろう。



 無関心は感受性を虚勢されてきた資本主義的な日常の素顔に違いない。
 感性を磨き、育てることでしか、この社会に真の平和は実現不可能な気がする。
 過去の因習的な道徳を出し説教しても駄目だし、スラム文化の流入や悪い事がさも格好良い事みたいなマンガなんかの影響もあり、歪んだ社会正義が横行している。
 モンスターぺアレント児童虐待。バッシング大国の我が国。
 外界を非難しているけれど、それらは全て自分を尊重せず社会的価値観に従い、悲しみの奴隷として生きてきた鬱屈とした精神の歪みを抱えていて、本当は自己不信の嵐の中で苦しくて堪らないことからの逃避行動みたいなものだろう。
 だから、優しいものに触れる体験の中から、新しい感性を育み育てていくことがとても大切なことのように思える。
 例えば、犯罪者に犬の面倒を見させる内に、自己との関係性を再構築させて、命の重みを感じることの出来る優しい感受性を育て直すことに似ている。
 僕は詩を生み出し、最高の音楽を紡ぎ出してこの時代の闇に蠢く欲望や孤独や叫びに答えるより他、術がないような気分だ。
 小説を映画にして何かを伝えることとか、やっぱり芸術かな。
 僕にとっての今の希望は。


 だけど、どこまで表現の自由が約束されている社会であり続けられるのかも分からぬ時代だ。
 危惧することは多い。
そして、日曜日の新宿駅焼身自殺を目の前に見ても何ともないような世界で何が出来るのか。
 その問い掛けに対する次の答えを求めて、僕はHIDEAWAYのステージで歌い出そうとしていた。


 その夜の一曲目に歌ったのは、民衆の声はLOVE LOVE LOVEという曲だった。
 原発のことは、なかなか議論することすら難しいような毎日だと思うけれど、勝手に自粛していく心理が働いていることが一番物騒だと感じる。
 だから、こういう歌を日常の風景に自然に溶け込ませていけたら、バイアスに対して癒しが起こせる気がして、歌っているんだ。
 皆、無自覚にバイアスに捕らわれてしまっていることに気付かなくちゃ何も始まらないから、僕はロックンロールを必要としているよ。
 心にいつも聴こえてくる熱いビートとメロディーに、言葉を乗せ吐き出す嘘のない気持ち。
 そんなものを大切にしていたい。



 この夜のライブは凄くいい感じだった。
 3.11をテーマに作ったアルバム「さらば資本主義」を核に据えたアコースティックミニライブ。
 いよいよ夏本番のこの季節を、いいステージで飾り過ごしていけたらと願っている。