HARMONY
カフェテラスには、飼い猫をいれたバスケットを提げた女性の姿があった。
子猫の名前はゴマちゃんで、カフェにやって来てから暫くは一体自分はどこにいるのだろうといったフォーカスの合わないカメラのレンズみたいに、曇った表情を浮かべ、辺りを警戒しているようだった。
飼い主である彼女は、近所で音楽教室を開き、ピアノを教えていた。
カフェに御縁を頂き、以前から知ってはいたのだけれど、直接会うのはこの日が初めてだった。
僕は土曜日の午後、いつものようにきららカフェを訪れていた。
三日連続の皆勤賞で、前日はマスターとのアコースティックユニット、フレンチトーストのミニライブも気の向くままに行っていた。
丁度その日は、カードリーディングをする女性が店でイベントを開いていて、その人ともう一人いた女性に歌を届けた。
実は八月二十二日であるこの日、丁度一年前初めて僕はこのカフェを訪れていた。
だから、この日のライブは一周年記念として感謝の気持ちを込め、歌わせてもらっていた。
そして、占いの女性ともう一人の女性も、一年後のこの日どうやら初めてカフェを訪れた様子で、8.22の会だなって後でそう思った。
二人共初対面で、とても歌を喜んで聴いてくれていて、気をよくしたという訳でもないけれど、時間が折角あるのならと思い、カフェに足しげく通っていた。
マスター御夫妻に挨拶しながら店の扉をくぐる。
入り口付近で暫くしてふと奥の部屋に目をやると、前日にはなかった電子ピアノが壁に寄り添わされ置かれていることに気付いた。
あれ!
ピアノに驚いていると、セッティングをしたマスターが嬉しそうに、ピアノの方へ先導する。
マスターのカフェの模様替えはいつも早くて、茶目っ気たっぷりな人柄だなと思っていた。
きっと思いつきで、しまってあった電子ピアノを用意したのだろうなと思った。
マスター御夫妻に弾けるかと尋ねられ、コードを鳴らす程度だったのだけれど、少し弾き語ってみる。
やっぱり下手糞過ぎて、ものには全然ならないピアノだった。
御夫妻は喜んでくれていたけれど、これを聴かせていたのではミュージシャン生命に危機が迫るだろうなって思った。
まあ、リスナーを持っていなかったから初めから失うものもなかったのだけれど。
覚束ないピアノで歌っていて、ふとパンの陳列されたメインルームを見ると、少女らしき一人の人影が微笑みを浮かべこっちを見ていることに気付いた。
マスター御夫妻がその人影のある場所から丁度死角にいるようだったので、思わずいらっしゃいませと挨拶をしてしまった。
カフェにやって来るなり、奥の部屋で賑やかに歌っているので、はっきりは表情が見えなかったのだけれど、思わず微笑んで見ていたのかなと思った。
少女らしきその人物は、パンを買って帰っているようだった。
そんなこんなとしている内だっただろうか、僕のピアノではちょっとということとなり、御近所に暮らすピアノ教室の先生をしている彼女に連絡を取り、声を掛けて弾いてくれるか頼んでみようかと話して、ママさんが早速電話を取ったという訳だ。
電話では今レッスン中なので、後でなら来る事が出来るとの話になる。
そういった経緯だった。
僕とマスターの演奏にいきなり加えられて、ろくにリハーサルもなく初見でコード譜だけの譜面での演奏を引き受けてくれていた。
ゴマちゃんもその頃には皆に構われ、だいぶ落ち着いてきているようで、バスケットの中でお利口にしていた。
ピアノとのセッションとなり、いつも借りて弾かせてもらっているカフェのギターのチューニングが半音下げか何かになっていることに、その日ようやく気付いた。
どうりで最近何か歌い辛かった訳だと思った。
広島では丁度、大規模な災害が起こっていた。
僕の暮らす街は大丈夫だったけれど、本当に毎日色んな事があった。
だけど一番大切なことは、それらを通して皆が一つになる調和を理解していくことだったのだろう。
意見の対立などから口論になったり、人の心は怖れと疑念とで満ち溢れてしまっていた。
全ての意見が正しいから、互いに認め合う術だけがいつも足りないみたいだと思った。
たとえ何かが食い違ってしまっていても、僕らきっと愛し合いたい筈なんだ。
そんな風に思えた。
そして、その為に今日も心安らかに歌っていたい。
初めてそれぞれの楽器の音色を重ねた午後に、誓いのリズムが踊り、音楽が日常に温かな明かりを灯してくれていた。
幾つもの想い出が重なり合い、それぞれのストーリーが溶け合うようにして、音楽のハーモニーが聴こえる。
それはまるで、一枚の写真に刻み込まれた笑顔のような輝きで、僕の心を魅了して止まない調和となっていた。
黄昏の迫ったカフェで、今日のリハーサル兼ライブを終え、店を出ようとしていた僕にマスターが笑顔を向け、言葉を掛けてくれた。
「今日も楽しかったです」
確か、そんな風な意味合いのことを言ってくれていたように思う。
マスターはいつもそんな風な感じで人に接しられていて、ママさんも情のある方で、カフェは温かな人々のコミュニティーとなっていたのだろう。
僕はホッとするように、ああ、御夫妻を含め人の笑顔が今日もあって良かったなと思った。
人の笑顔がなくちゃ、僕らはみな何をやっても、きっと詰まらない生き物だと思うんだ。
どんなにいい曲が出来て、上手く歌えたとしても、笑顔のない暮らしなんて、何だかとても寂しくて虚しいように思えていたから。
店に別れの挨拶をしてカフェテラスへ出ると、黄昏へと段々にその色を変えていく空が、夏の終わりを少し感じさせながら、高く広がっていた。
電子ピアノが古くなってきている為に、チューニングが狂っているし、いきなりのセッションなのでまだまだまとまっていなくてアップは控えようかと思っていたのですが、空気が楽しかったので公開にしてみました。
来月の同じ日に誕生日を迎えられるマスターと並木さん、そして倉富和子さんにこの曲を捧げます。