正義

 僕自身はどうなのか?


 人生に対する一つの結論。
 今、僕はそんな風に考えている。



 自分がもしも社会に何か貢献出来るようなことがあるとすればって思った時、ブログ等で散々色んな哲学をぶってみたりしてきたけれど、やっぱり行動でしかなかったのだと、改めてそういったことの大切さを思うこの頃だった。
 勿論、ブログ等を通して自分の意見を言うことも行動の一つではあるけれど、誰かに何かを言える資格があるだけの生き様を本当に自分は今しているのかなと考えると、自分はまだまだだって思う。


 僕が今迄の人生の中で歌にこだわってきた理由。
 それは、思想を他人に無理強いしてしまい、押し付ける結果に至るよりも賢く、意思の伝達を自らの生き様をもって、ただ伝えることが出来る可能性に満ち満ちていると感じてきたからだと思う。
 人前で発言をするには、それまでに一杯自分の中で自問自答を繰り返して、何かを一つ一つ掴んでいなければならない訳で、その作業は、感情的な浄化が進み、思想として純化されてなければ、大して第三者の心にまで響かないものだったのだろう。


 僕は、まだまだ世の中に対して言いたいことが一杯あったけれど、説教臭いことなんて誰もそんな話聞きたくはないに違いないと思った。
 だから、僕はただ黙って、自分にとっての真実を歌にして歌うしかないと考えてきた。
 それは、僕自身がどう生きたのかということに繋がる行動のことを指すものだった気がする。
 やっぱり、実際にやったことって凄く説得力があって、人の心を打ち、動かすものだと思う。


 例えば、単純に格好良い大人がいれば子供達は黙っていたって、その姿を見習うものだと思う。
 だから、本当は大人がああしろ、こうしろなんて言わなくったって、子供の方でいいと思えば、真似したくなるのだから、説教などはある意味いらないように思う。
 結局、大人自身の生き様を問われている話だということが分かる。
 歌で社会に訴え掛ける行為って、つまりそういうことなのだろう。


 今の社会に対して、僕は一杯矛盾を感じているけれど、じゃあ、僕自身が社会システムの中で今迄飼い慣らされてきて、自己矛盾を抱えていないのかと尋ねられたならば、それは絶対にノーと答える訳で、全ては自分自身の心の中にある問題でもあるという結論に達するより道はないと思う。
 だから、社会的な責任を負うことの大切さについて考えている。
 それは、自分自身の心を愛と自由の世界へと解放させていくことなのだから。



 僕は今、世の中との思想的な隔たりの壁をとても感じている。
 そして、他人や社会をただ批判することからでは平和は生まれないということを強く思っている。


 人は誰もが、人生の中で何か問題にぶつかる。
 それは個人的なものであるかもしれないし、もっと広い意味での社会問題かもしれない。
 毎日色々とあるけれど、全ては誰のせいでもなくて、最終的には自分自身に本当は問題解決の糸口を見つけ出すチャンスは委ねられているのだろうと思うんだ。
 勿論、個人の小さな力ではどうしようもないような大きな問題が存在している。
 でも、まず自分に出来ることを見つけ出し、アクションに繋げることからしか解決の道は辿れないように思う。



 自分が手本となれるような生き方をしているだろうか?
 人に対して言ったことを毎日の中で自分が今実践出来ているだろうか。


 本当の意味でのロックンロールって、そういうことなんだと僕は思っている。
 生きるその輝きをもって、正義を示すより他に、僕にとっての真の自由や平和への道はない。