喝采のベル
金曜日の午後。
きららカフェの奥の部屋で、フレンチトーストの打ち合わせが続く。
僕は、カフェのギターを借りてメンバーであるピアノの彼女に、ライブのメニューにと選んでおいた曲を歌っていた。
十月は、とりあえず二本のミニライブの予定があり、僕の気持ちも本気モード突入へと切り替わってきていた。
十代、二十代の頃のように、パッションで捻じ伏せるような歌ではなくなってきていたのだけれど、ここ一番という大勝負なんかは、やっぱり最後はロック魂で闘うしか、時代に打ち勝つ道なんてなかったのだろう。
僕は、口下手だったし、誰かに自分の気持ちを伝えることが苦手で、ただ歌だけを頼りに生きてきていた。
そして、これからも歌以外の道では生きていけない部類の不器用者に違いないと思っていた。
遠く青春の日々を回想してみても、曲を作っては誰かに聴いてもらって、自分の存在を確かめながら歩き続けてきた。
自分の意思表示というものがあまりにも下手糞過ぎて、昔は人間関係が無駄にトラブってばかりいたことが、とても懐かしいと思った。
傷つけなくてもいい人さえ、僕は傷つけてしまい、そしてそんな自分にいつも自己嫌悪を抱え込んで、酷く苦しんでいたんだ。
だけど、音楽は不思議なもので、僕の人生に訪れたピンチをいつも救い、僕の変わらぬ良き理解者として、この人生という名の獣道を共に歩んできてくれた。
ふと気付けば、僕は3.11を経験したこの原発利権社会の中で、四十年もの人生を過ごし、様々に恵まれ、周りから喜びや悲しみをたくさんもらって生きてきたと思う。
それは、時に悲痛な経験だったと思うし、だけど全てが僕に音楽という財産を産み出させてくれる為の学びであったことを、今の僕は疑っていなかった。
だから、そんな思いもあって、ライブハウスやカフェや、そして色んなイベント会場のステージで、その場にいる人の人生の役に立つような歌を、歌っていけたらと願っていた。
全ては、ありがとう。
そして、君の為だけのエールにこの歌がなれたら、どんなに素晴らしいことだろう。
僕のこれからの歌。
それはきっと、一言で言うならば恩返しということなのかもしれない。
そして、次の未来を担う、昔の僕みたいな人の為に、この心に持って走って来た命のバトンを繋げ、精一杯の愛情や微笑みを伝えたい。
そんな場所に選んだのも、やっぱりステージだった。
ショーはいつだって、アンバランスさの中で幕を開け、一人一人の心の奥底に眠る平和のベルを鳴らして、再び喝采の嵐に僕の魂は歓喜し、ロックワールドへと舞い上がる。
完璧なシナリオなんてなくて、人生は曖昧さを纏い、次の舞台の開演のベルが鳴るまで、また僕は試行錯誤しながら、今日出来るささやかな成功を、地道に一つ一つ積み上げていくことの繰り返しなのだろう。
フレンチトーストライブのセットリストを順番に歌い上げ、ピアノの彼女はそれを端末に録音していき、打ち合わせはスムーズに終了した。
自宅で彼女は、渡した曲のコード譜を見ながらの練習が始まる。
こんな風に、誰かの真心ある協力を得て、少しずつステージのおぼろげな輪郭が浮かび上がり、何かが誕生しようとしていた。
ピアノの彼女は先にカフェを後にし、僕の歌っていた部屋へ今度は別の来店客がやって来た。
団塊世代くらいとおぼしきカップルで、モンパルナスの絵の鑑賞にやって来たようだった。
モンパルナスとは、地元に住む絵描き集団のことだった。
丁度、定期的に開かれている作品展が始まったばかりだった。
二人と軽く挨拶を交わし、暫く絵の鑑賞タイムが過ぎ去って行った。
そして鑑賞が終わった頃、カフェのママさんが僕のことを二人に紹介してくれた。
僕が音楽をやっているという話になり、ママさんから今歌ってと言われたので、少し演奏させてもらった。
歌が終わると、随分喜んでくれて、それだけで僕の方も幸せな気持ちにさせてもらえた。
見返りを求めぬ無償の思いというものは、きっと人が持ちうる感謝の念として相当に高い意識に違いなかったのだろう。
僕が目指している脱資本主義という道の先にある世界は、きっと人のそんな思いで紡ぎ出されていく、支え合いと調和の世界だと感じていた。
僕の心の中にあるハーモニックタウン。
音楽へと降り注ぐ喝采は、永久を知らせる平和のベルとして鳴り響き、その音は、僕の魂を遠い未来へとトリップさせ、音楽は正しいビジョンを映し出す鏡として存在し続けていた。
帰り支度を済ませ、カフェの駐車場へ出ると、マスターが両刀使いとして開いている隣の設計事務所で、白いミニドラムを組み立てている男性の姿があった。
先日、一緒にセッションをした少年ドラマ―のお父さんだった。
僕のことに気付くと、息子である少年ドラマ―とのセッションのことをとても嬉しそうな顔をして話し、挨拶の言葉を投げ掛けてくれていた。
またやりましょう!
頑張りましょう!
とセッションのことや音楽のことにも気持ちを伝えてくれていた。
現政権の暴走とは裏腹に、街の暮らしは、人と人とが手を取り生きる意味を取り戻そうとするかのように、静かにうつろい、秋の色を深めているようだった。