バイブル
クリスマスソングをこんなに歌ったのは、初めてのことだった。
季節柄、冬のライブといえば、クリスマスにちなんだナンバーを多くのミュージシャンが一斉に歌い始める頃。
僕も御多忙に洩れず、今年、二〇一四年の年末に向けて、クリスマスソングを何度も歌う毎日を送っていた。
田舎町の柿の木も木枯らしに吹かれ、西の山に陽が傾く夕方頃には、寒々しい風景になる。
カラスがカ―カ―と鳴けば、遠き幼少時代の悲しみの中に、僕の心は舞い落ちてゆくような気持ちになることも、時々はあった。
そんな僕が、少年時代にロックに目覚めたのは、心の闇に支配された己の魂を、希望の未来へと導く為だったように思う。
そして、あの頃夢見ていた遠き未来である今日を、僕はまだ歌い続けていることが出来た。
人間が生きるってことは、忘れてしまいがちだけど、それ自体が奇跡なのだと改めてそう思う。
二〇一四年という僕にとってのメモリアルイャーに乾杯。
四十年という歩んだ人生の歳月が、気付けば遥か遠く、過去へと続いていた。
ジョンは、丁度今の僕位の歳で天国へと召されたのか。
僕は、親愛なるジョン・レノンの名を心の中で呟く。
何故、僕よりもずっと年上で世代の違うジョンにシンパシィーをいまだに感じているのか。
それは、やっぱり彼がとても素直で正直な人間だと分かるからなんだと思った。
今、この国では社会は嘘や詐欺ばかり転がっていて、何にも当てには出来ないような暮らしが続いていた。
だから、僕は自分自身の力で、もう一度この世界に真の平和を勝ち取っていかなければならない。
そう思った。
よくよく考えてみれば、僕達の世代は何かを自分の手で勝ち取ったなんて経験が、本当にはなかったように思えていたから。
管理社会のシステムの檻の中で、敗北者と勝利者とに振り分けられ、勝手に押しつけられたゲームを今日も続けては、落ち込んだり、浮かれたりの繰り返しで、そんなことにはもうあまり僕は興味が持てなくなっていた。
そして、街通りやラジオからは、相変わらず、ジョンのあの名曲が流れ、聴こえて来る季節になろうとしていた。
Happy Xmas。
二十世紀の名曲は、まだ色褪せず、僕の心にリアルな何かを感じさせ、届けてくれているように思えた。
人の心に誠実さが消えたような、とても他人に無関心な冷たい街角。
ネットを巡回中に見つけた動画では、民意を強行に押し切り、川内原発再稼働へと議会が進められ、あんな悲惨な福島の原発事故を起こしたこの国の大人達は、原発利権にまだ卑しくものさばり、成りの果てのその姿は、とても薄汚れていて見苦しかった。
僕は、この時代に生かされ、一体何を残せるだろう。
ロックは僕の在り方だった。
僕は、詐欺まがいに音楽を奏でたくはない。
僕は、生きたままを音楽で刻み、伝えたい。
僕は、この世界で嘘をつく為に生まれて来た訳じゃない。
社会に出て、ただ与えられたシステムの中で上手くやって、他人から何かを奪いながら生きることから、僕は逃避した人生を選ぼうと足掻いていたと、自分で言ってしまってもいいのかな。
この世界に存在する者の中で、ただの一つも罪を背負わず、汚れなき者など一人もいなかったのだろう。
そして、そんな人間という生き物にとって本当に大切なことは一体何なのか。
僕は、生涯を通じてロックの意味を、まだこの胸に問い続けようとしていたのだと思う。
クリスマスという大きな愛のイベントが、自分の好きな異性への告白や思いを伝え合うというだけの話ではなく、巨大な資本主義社会の中で、いかに真実や愛や夢や理想なんかの為に、自分の人生の中で何かに懸け、情熱を費やし続けて生きて行けるかという部分にまで、人の意識が及ぶようなものになっていって欲しい。
僕は、そんなラブソングを心の中に探しながら、歳末へと少しずつ表情を変えていく街の暮らしを見つめていた。
僕は、この歳になってこう思うんだ。
ある意味、人生なんてどうにもならないものなのだと。
それは、この世界には絶望しかないということが言いたい訳じゃない。
人はみな、何かになろうと必死に競い合い、毎日傷つけ合い、奪い合っているけれど、本当は初めから自分は自分でしかないということを思っていた。
欲を捨てろとか、そういうことを言っているのとも違って、何かが足りないという意識から生まれる飢餓感に付随する衝動としての欲求には、人は十分に注意を払うべきだと思うし、社会的に仕組まれた生存競争の掟を見抜き、生きる為にこそ、邪心を如何に捨てていくかということを考えていた。
僕が、あの日本武道館で初のステージを観た日のことを思い出す。
あれは、僕が十八の時のことで、当時大好きだったバンドのライブを観ようと、武道館に足を運んだ。
その日は、奇しくもジョン・レノンの命日に偶然重なっていた。
武道館といえば、ビートルズが初めてロックコンサート会場として、その場所を使ったという認識くらいは僕も持っていて、場内に入ってみると、ライブ映像で観るよりこじんまりとしていて、何だか暗い印象を受けたことを覚えていた。
あの頃、何故だかジョンという存在に無償に惹かれて、ビートルズの単行本をロックのバイブルみたいに読みあさっていた。
ジョンは、その本の中で、ロックで世界の頂点を極めようとも、自分は孤独だったというような内容のことを言っていた。
僕は、本の中でその言葉だけが特別な重みで心に残り、四十年生きて来たけれど、忘れられない言葉として、いまだに心の深い場所に刻み込まれたままになっていた。
きっと、ジョンのその言葉は、この世界の真理を言い当てていたのだと思う。
季節は巡る。
たとえ僕らがどんな風に生きようとも。
僕は、きっと人にどうこう言いたくてロックをやっていた訳ではなかった気がする。
ただ、自分が如何に生きるべきかという思いを貫くことが、結果的に何かを伝えるということは十分にあったのだろう。
そして、人生はある意味どうにもならないものなのかもしれない。
だけど、周りを見渡してみれば、僕にも出来る何かが一杯あるという、もう一つの事実が存在しているように思えた。
他人から、少しでも多くを奪い勝利するという原発利権に塗れた社会の中で、僕はもう一度、そんな意識で歌い出すことの出来る今日があることが、毎日とても幸せなことに思えて、この胸が熱き情熱の炎に燃えたぎっていくのを覚え暮らした。
何者かになるという擦り込まれた幻想は崩れ、平和の内に生まれる意識を感じながら、過ぎゆく十一月の街の暮らしに思いを馳せた。