紅葉





 まるで春がやって来たかのような、暖かな土曜日。
 街路樹も紅葉に染まり、限りある生命の営みは、冬支度前に最後の晴れやかさに包まれているようだった。


 それぞれが求める幸せに、どうか辿り着けますように…


 年の瀬の迫る十二月を目前に控え、世間は三連休の始まりを迎えていた。



 僕はこの休日、特別変わったことをするという訳でもなく、普段通りの日常を送るつもりでいた。
 街で用事を済ませようと、国道を東へと走る。
段々近付いて来る市街地が、視界を覆うように悠然と姿を現し始めた。
青空が広がり、霞みがかった春陽気に包まれて、僕は少年時代に見ていた街の面影を、今日の現実に重ねている。
政権解散の報道が流れ、激動する時代の風の歌に耳を澄ませては、歪むエレキギターのバッキングを心の中で被せた。


 用事を済ませると、きららカフェのある団地へ向かった。
 カフェに着くと駐車場は空いていて、隣の設計事務所にいるマスターの姿を見つけた。
前日に引き続きの、きららカフェとなっていた。


 カフェの窓際にあるテーブル席に着き、家から持って来ていたギブソンを爪弾く。
 カフェテラスの向こうの団地は、やけに静まり返り、連休の為皆出掛けているようで、昼間の街は眠っていた。
 カフェの客足は途絶え、僕は日常を音楽で彩りながら、コーヒーを飲んでは歌っていた。



 物質文明の崩壊。


 ちっぽけな街の片隅にあるライブハウスですら、モラルは地に落ち、夜が来れば、ダークサイドを彷徨う寂しい人の心が泣いていた。
 端末の中に広がる人間関係。
 こっちに頭を下げておけば、これくらいの見返りは望めるだろう。
 駆け引きに余念のない世界。
 仕事も恋愛も結婚も、全てがまるで物質文明の奴隷のように思えた。
毎日は、そのあざとさを剥き出しにしていて、歪な精神構造から挙がる悲鳴と共に、社会は自分本位に傾き続けた。
社会的弱者に日常の皺寄せが絶えず押しつけられ、悪人ほど生き易いような、矛盾に満ちた世界。
 奴隷達は、砂漠の中で誰もみな、一滴の水に跪く。
 競争原理の根幹にあるもの。
 だが、誰もその訳を尋ねはしなかった。
 奴隷として屍となった魂の背負った悲しみに気付けず、ただ管理されていることに満足の顔色を浮かべながら、社会に抵抗する者をせせら笑うことで自尊心を保つように、最後に微かに残った人間としてのプライドと意地を見せているような風潮を、僕は感じ暮らした。


 閉ざされた人の心の闇に、音楽は再び光をもたらすことが出来るだろうか。



 きっと、色んなものが極限を迎えていたのだろう。
 社会システムに、個人の人生の中で背負って来たものとか、ありとあらゆるものが。
 それで、本当はあなたはどう思い、感じているの?
 最後の答えは、個人の心にしかないものだと思った。
 不安。絶望。孤独。
 それらは、社会では忌み嫌われ、極力なかったこととされてゆくようなものにされがちだった。
 悪事は、今やおおやけの場でさえ公然と行われ、社会的不条理というものが如何に働いているのかを知るには絶好の毎日とも呼べそうだった。
 組織犯罪。
 国家間でグルになり、地球市民意識を分裂させては争いの種を蒔く。
 恐怖心を煽り、流行りの病の名を使って大衆に先導の罠を仕掛ける。
 世界の闇で取り引きされている金のルートを辿れば、誰が何の為に作り上げる必要があったのかさえも、必然性に真実の光が当たってゆくようだった。
 偽善と詐欺の横行。
 宗教同士の争いと対立。
 人間の心の闇を支配していたのは、愛への疑いだったのだろうか。
 己への不信というべきだったのだろうか。
 懐疑的な社会は、疲弊の一途を辿った。
 人々は、道で擦れ違う時に他人へと投げ掛ける言葉と微笑みを失くし、酷く脅えた瞳で、冷え切った自分の心だけを頑なに守ろうとしているようだった。
 寂しさに寄り添う者は、たとえばペットであり、邪心なき者を従えるには、幾ら金を積もうとも無理な話に思えるほど、世の中は裏切りと悲しみに満ちてしまっているようだった。
 それは皮肉にも、人々が忌み嫌い、人生の中から無意識的に遠ざけ続けてきた性質の因子を帯びたものだったように、僕には思えた。
 排除しようとすればするほどに、対象はその存在感を増すという反作用が働いていたのだろう。


 例えば、貧しさの象徴はきっと、他人と物事を分かち合う気持ちの希薄さについて物語っていると考えることは出来ないかと想像してみる。
 全ての物質的現象が、精神に帰属しているという考え方からの考察。
 世界が渇き、愛がないのではなく、寧ろ自分自身が世界に対して、心の窓を開く勇気を失ってしまっていることを象徴的に見せてくれているのかもしれない。
 そんな風に考え始めると、他人を裁き批判することにはあまり意味が見い出せなくなっていくようだと思った。
 そして、豊かさの第一歩は、いつも自分から微笑み、何かを与えようとすることにあるのだと、ふと気付かされるような気持ちになった。



 エンディングを飾るギターのストローク
 静かな土曜日の午後。
 カフェのテーブル席で、最後に弾き伸ばしたコードはやがて、日常の風景に呑み込まれてゆくように打ち消され、僕の奏でていた音楽は、一曲一曲が過去へと帰属していく運命を辿った。


 歌の中に、僕は本当の気持ちを込めた。
 この世界で残っていくものがあるとすれば、きっと人のそんな思いでしかなかったのかもしれない。