サンタクロース






   
   サンタクロース


 ライブ直後の一枚のスナップ。


 二〇一四年を思いながら、ノートパソコンの画面に映し見つめる。
 冬至を過ぎ、そして天皇誕生日
 一年で一番日の短く、そして夜の長い一日から、太陽は復活し、新たなる生命エネルギーのリズムに世界が躍動を始める。
 そんなめでたい頃、僕はライブをしていた。







 二〇一四年は、やっぱり僕にとって、きららカフェなくしては語れないほど、本当にお世話になっていた。
 マスター御夫妻の心尽くしの数々には、ありがとうの思いを贈りたい。
 ギターを持って、ぶらっと顔を出しては弾き語る。
 そんな毎日だった。
 偶然たまたま居合わしたお客さんに歌い、思ったよりも結構喜んでもらえたので、また通いたくなった。


 ミュージシャンを地で生きる。
 それが僕のモットーとなり、自分の納得出来る道を求め、ひたすらに歩いた。
 天国へと旅立った親父のことを思う。
 音楽が社会的に認められていないと駄目だといったことを、しきりに僕に言っていた。
 親としての心配なのだとは思っていたけれど、社会が認めても駄目だといったことまで、その内言い出した。
 収入の安定していて、体裁のいいサラリーマンに結局なって欲しかったのだと思う。
 僕の周囲には、僕が価値を見出した人生観を理解する者もなく、ミュージシャンとしての人生を選んだ僕の味方は、やはり自分の生み出す音楽だった。
 僕にとっての幸せな生き方は、僕にしか分からない。
 そう思った。
 たとえ親父や家族や周囲の人に幾ら反対されても、僕は僕を生きる権利の為に断固闘っていた。僕にとっては、寧ろそういった生き方に価値があったんだ。
 そして、僕は今でも言い切ることが出来る。
 何者にも染まらず、僕は僕のままなのだと。
 僕は、この闘いに勝って来たと思う。
 それは、僕が自分で誇ることが出来る唯一と言っていいものだったのかもしれない。
 純化させてゆく精神の極みに咲く、ガラス作りの歌よ。
 僕は、お前を裏切りたくはなかったんだ。


 心を濁す嘘の華。
 そんなものに意味はない。
 それは仕組まれたレースだ。
 死んで掌に握りしめているもの。
 それだけが、本当はこの世の価値なんだ。
 天国へ運べないもの全ては、神の価値にはそぐわない。
 僕は、そう信じていた。


 カフェで僕の音楽は日常の中のスペースを貰い、たくさんの笑顔に出会う事が出来た一年となった。
 クリスマスライブでの僕の出番も無事終わり、一瞬気の緩んだ午後のまどろみ。
 ハンドベルの鐘の音は清らかに響き、さっき僕が歌っていた奥の部屋に設けられたステージから聴こえていた。
 その後もステージは続き、別の歌曲もあり、ライブ後に少年ドラマ―の即興も聴く事が出来た。
 とてもいい空気のライブだったのではないかなと思う。








 そして、僕個人にとっては嬉しい中学時代の担任との再会のドラマも用意されていた。
 今年の夏に、ある日フェイスブックでその恩師が街の美術館で絵画展を開くという投稿を見つけた。
 丁度時間があったので、僕は早速美術館に出掛けたんだ。
 その先生は、中学一年生の時の担任で、美術を教えていた。
 当時はまだ三十代で、綺麗で爽やかな女性だった。


 個展会場になっていた美術館で、先生の居る部屋へ近付いて行くと、何とも懐かしい声が聞こえて来た。
 先生は華やかなオレンジ色のシャツを着て、当時の面影を残したままの姿で、僕の目の前に立っていた。
 丁度接客中で忙しそうだったので、少し様子を見て、手が空いたのを確かめてから挨拶をさせてもらった。
 そうしてあの日、恩師との束の間の再会を果たしていた。
 あれから季節は当たり前の顔をして過ぎ去ってゆき、もう恩師ともなかなか会う事もないのだろうと思っていた。
 だけど、人の縁とは本当に不思議なもので、その恩師がたまたま、いつも歌っているきららカフェにやって来て、カウンターに置いてあった僕の本に目を止めたことで、今回のクリスマスライブにやって来ることになった。
 凄い偶然に引き会わせられた、今回の再会となった。


 ライブ終了後に、メインルームの窓際の席で、先生と色んな話をした。
 夏の美術館での個展は、数年前に天国へと旅立たれていた旦那様との二人展という形式になっていた。
 僕は間接的にだけれど、旦那様の事を知っていた。
 旦那様も中学校で教職に着かれていた人で、ある中学校での運動会の徒競争でハッスルして走る姿を、印象深く覚えていた。
 そんな話も含め、同窓会の席で会ったこと等、暫くの時間、想い出話に花が咲いた。


 先生が今回のように歌を聴きに来てくれたのは二回目のことだった。
 高校一年生の時にも、街の楽器屋のホールであったボイストレーニング教室主催のコンサートに、わざわざ足を運んでくれたことがあった。
 お袋が連絡を取って、招待したようだった。
 どんな経緯であれ、こんな風に恩師との御縁を貰えたことが嬉しかった。



 ライブでサンタクロース役を務めた方が似合っている筈だった僕が、何となく一年の締めくくりのクリスマスの季節に、不意にプレゼントを貰ったような幸せを、この胸深くに抱きしめた。
 どこかのキャッチコピーではないけれど、きっと、誰もが誰かのサンタクロースなのだと思った。
 街中にサンタクロースがいて、この世界は、こんな不思議な幾千もの星々の揺らめきのような希望のストーリーが、僕達の知らない所で静かに紡がれているのだろう。


 ある日、気付くと幸せが不意に僕らの肩を叩き、微笑んでいる。