ROCKがあれば

 




 雨の火曜日。


 夏は、突然の終止符を打つように過ぎ去り、社会は、人と人とを繋ぎ止める為の規範を示す術を持たぬ暗黒の時代が続いていた九月。
 法律を学ぼうが辞書をめくろうが、現代人の生き方を導くものなどなく、人は孤独の闇を覗き、様々な反応を示していたのだろう。
 依存していたものの全ては表面化し、崩れ去る。
 今まで上手くいっていたものが立ちゆかなくなり、システムが滅んでゆく。
 そんな時代の中で、一体人は暮らしに何を見つめていたのだろう。



 きっと、孤独を埋める手立てなどはない。
 そして、必要なものは希望だと少し分かった気がした。
 闇に必要なものは明かりに違いなかった。
 そして、闇を打ち消す闘いに勝ち目はなかったのだろう。
 僕は、腐敗した時代の影に呑み込まれながら、光の不在について考えていた。



 この日、僕は久しぶりにライブハウス“HIDEAWAY”の扉を開いた。
 考えてみれば、今年になってこれが初めての訪問となっていることに気付き、時の流れの早さを思った。
 店に入って行くと、見慣れたメンバーがいて、もう深夜に近付いていて、ライブも終わった空気が漂っていた。
 そして、マスターのトクさんが変わらぬ笑顔で迎えてくれた。


 顔見知りのアマチュアミュージシャンが、先に店を後にする。
 その間もトクさんとの語らいは続く。
 音楽に政治。
 HIDEAWAYに顔を出さなかった間の僕の話や、トクさんのこと等。
 久しぶり過ぎて、何だか地球の上を遥か遠く旅して戻って来たような気持ちにさえなった。


 世の中は、とても攻撃的になっている人と、優しくなっていく人とがはっきりと生き方を隔て、個人の意識や心の在りようが明確に分かる時代になっていた。
 思っていることやダークサイドや心の中の全てが、表面化して、嘘のない世界の始まりは、カオスの中にあった。
 そして、現実がまるでバーチャルリアリティーを見ているみたいに次々と姿を変えていった。
 シンクロと呼ばれる現象が日常的になり、色々なことが加速度を上げ、意識が現実を作っているという事実について、僕はよりリアルに感じるようになっていた。
 少し悩んでいる時等は、同じ数字が並んでいる所を頻繁に目撃したり、感覚世界が冴えていくのを感じた。
 数字すらも、この世界で何かメッセージを発し、僕ら人間に語り掛けているのだと強く思えるような体験だった。
 こんな風に言うと、まるで薬中患者の危ない妄想みたいだと思われ兼ねない話だけれど、日常的に何処かから聴こえて来る音楽を聴き、生活している僕にとっては、特別に突拍子のない話ではなかった。



 真夜中のステージ。
 マスターの為だけに歌っているようなもので、ステージを始めた時いた客も帰り、それでも久しぶりのHIDEAWAYでのステージを存分に楽しんだ。
 全九曲のライブ。
 思いのままに歌った、ささやかなステージ。


 二極化した世界で、人はそれぞれにどんな自分の持つ信念を体験し、人生を旅していたのだろう。



 すがれるものは何もない。
 原発依存社会とは、無理のある理屈で築き上げられた世界。
 それは、人の心の在りようそのものでもある。


 僕らは、あるがままの自己へと引き戻されてゆく。
 本質とは、自然ということだろう。
 不自然な世界は滅び、嘘や建て前は力を失ってゆく。


 そして、僕らは自分自身の力を信じることから始めなければならないだろう。
 与えられた価値を疑い、自分自身が感じている心の声を取り戻してゆかなければならない。
 それは、自然であり神に通じる精神性への回帰。
 宗教とは別の話。



 僕は、自分自身の心の歌を、今日も聴いている。