grand soul cafe Guns´




   grand soul cafe Guns´


 夜風が身に沁みる日もある秋の深まり。


 十一月初日。
 雨の降る日曜日の夜、僕はこの日、新しくオープンしたライブハウスを訪れていた。



 中規模都市であるマイホームタウンの市街地の一角に、その店はあった。
 すっかりライブハウスや路上での演奏から暫く遠退いていた僕は、久しぶりにアマチュアミュージシャンの演奏を存分に楽しんでいた。
 アコースティックライブとして飛び入りで歌っていくという形式で、四曲ずつ各ミュージシャンの演奏時間が区切られていた。
 赤い照明がステージを照らし、PAシステムにより演奏がふくよかに世界を広げてゆく。
 イベントやカフェで歌って来た最近には珍しい、ライブハウスの空気感を味わう。


 そうだ!
 この懐かしいライブハウス独特の匂いと空気。


 もう二十年近く前のこと。
 そんなにも時が流れ去ったことに驚く。



 「随分久しぶりですね」


 彼が客席フロアのテーブル席で、椅子に腰を掛ける僕に挨拶の言葉を投げ掛けて来た。
 前に会ったのは、もう昨年の六月末のことだった。
 いつもよく通って来たライブハウスで、公開ラジオ録音という企画ライブがあり、その時以来の再会となる。
 それ以前ということになると、二〇一二年の秋にまで話は遡る。
 この日は、彼の手掛けるラジオにゲスト出演させてもらっていた。
 まず、その場でライブ録音を済ませてから、その音源を織り交ぜつつ、僕の苦手なトークを少しするという放送内容だった。
 僕は普段、本当に口数が少ないので、きっとオーナーも僕がどんな人間なのか分かり辛かった部分もあったのかもしれない。
 だけど、格好をつける訳ではないのだけれど、僕は音楽イクオール僕というテンションで生きて来たつもりだった。
 歌で全てを告白している。
 僕は、いつもそういう気持ちだったけど、今から思えば、そんな生き方こそが世の中からは一番掴み辛かったのかなとも思っていた。
 ラジオ番組の中の出演したコーナーの中で、自分の創作についての思いを喋った後に、記憶は曖昧だけれど、オーナーが、今日は一杯話を聞けて良かったといったようなことを口にしたのを、とても印象深く覚えていた。


 ああ、そうか。
 僕は、そう思われる程、普段言葉を発して来てなかったんだ。


 その事実を思い知らされるようでもあり、ただ歌っていれば何かが伝わるというのは、一般的には違ったらしいなということを思ったように思う。
 自分の思う価値というものは、変わっているんだ。
 だからこそ、また音楽に託して、もっといい曲を作り、もっといい歌を歌って、ミュージシャンとしての自分を磨き、高めていかなければ何にもならないということを、この時のことだけではなくて、僕は事ある毎にそう思って来たような気がする。


 今の話の中のオーナー。
 彼こそが、僕の中での、この夜の主役だった。



 オーナーとの出会い。
 そして、この愛しい故郷の街で、細々ながら音楽を続けて来た年月を思う。
 さっきも話の中で触れたが、オーナーは、地方ラジオ局でインディーズミュージシャンを紹介する音楽番組のパーソナリティーを務めていた。
 この街で音楽をやっているアマチュアミュージシャンならば大抵は彼の厄介になっていたのだろうと思う。
 以前も別のライブハウスで働かれていて、僕はずっとその店でも歌っていた。
 彼自身、ドラマーでもあり、バンド活動をしたり、またドラム教室講師という顔も持ち合わせていた。
 そんな彼が、また新たなる人生の再出発としてライブハウスを開いた。
 ささやかな花と歌で、僕はその夜をお祝いさせてもらおうと思った。
 それがこの夜、ここを訪れた経緯だった。


 僕自身、様々に音楽活動への不安や悩みを抱えての年月だったと思う。
 ただ、音楽的なことや音楽をやっていくこと自体に迷いはなかった。
 それよりも、時代との摩擦や社会的接点について、価値観のギャップを強く感じ続けていたように思う。
 音楽で食べていけないと、よくミュージシャンの悩みを聞くけれど、僕にとってみれば、それは当然で、本当にごく一部の人が生き残れば、それが正しい姿のような気がしていた。
 現代は、寧ろミュージシャンの数が多過ぎると思った。
 勿論、インディーズで個人的に音楽を創作し楽しむのは、誰にだって与えられた自由と喜びの筈だけど、僕が言っているのは、天と地上を結ぶ架け橋としての音楽に携わるようなミュージシャンについてだった。
 天命があれば生き残る。
 僕の答えはシンプルだったと思う。


 ライブハウスで数名のミュージシャンの演奏に耳を傾けながら、音楽のことについて、色んなことを考えていた。
 どんな企業や職種についてもそうだけれど、現代はこれを売るというよりは、時代の流れに同調してゆくような受け身のスタイルが主流といっていいのか分からないが、結局何をやりたいのか、伝えたいのかが見えにくくて、それはやっぱり滅びの道を辿っている気がしていた。
 音楽をやるなら、この世界に本当に何か言いたいことがある人がやるべきだと思う。
 これは、とても当たり前の話だった。


 やがて僕にも出番が回り、ある程度選んでおいた曲の中からその場でセットリストを組み、ステージを始めた。
 こんな空間でワンマンライブが出来たら、きっと気持ちいいだろうなと思うような、シンプルで素敵なライブハウスだと思った。
 PAを使うのも久しぶりで、喉の調子がいまいちだったけれど、オーナーへの祝福の気持ちを込めて歌わせてもらうことが出来た夜に感謝している。



 音楽に関して、難しいことは少し脇に置いて、本当に人生の助けになれるようなことを、ただ音楽を通して表現して、誰かと共に分かち合いたい。
 僕が願って来たことは、その一点だったと思う。
 そんな思いから、また機会がある時には、このライブハウスと、そして、この人生の中で御縁をもらい出会ったオーナーと一緒に、音楽で何かを分かち合えたらと思っている。