YURIKA WITH フレンチトースト 




   YURIKA WITH フレンチトースト


 あれから、月日は随分流れ去っていた。


 毎日を色んな思いで乗り越えながら、偶然のように出会った日のことを想い出す。
 夏の日の出会いは、あまりにも唐突で、何となく僕にとって、不思議な縁を感じるものだった。



 彼女の名前はYurikaといって、僕の暮らす街のお店でウエイトレスの仕事をしていた。
 食材にまで、ちゃんとこだわり抜かれた店の方針に、僕は共感を覚えていた。
 SFの世界の物語を生きているかのような放射能の時代に、そのことについてもはっきりとした意思表示もあり、料理長の男性は、長崎出身で、信念を持ち生きる姿に好感が持てた。
 長崎といえば、僕が今暮らしている故郷の広島と同じく、原子爆弾という深き悲しみを経験して来た街でもあった。
 そんなバックグラウンドを持つ店。
 福一事故後の社会では、色んな主義主張を多様に認め合うことが困難になってしまっていた社会の中で、こんな風な主張を持つ生き方の意味というものは、僕の中ではとても大切にしたいものだった。


 このお店で働くニ十代中の彼女は、ミュージシャンとしての顔も持っていて、僕と同じように音楽を大切に思い、歌っていた。
 たまたまSNSで彼女の存在について、ほんの少しだけれど、それらのプロフィールをあらかじめ知ってはいた。
 だけど、人付き合いの苦手なタイプの僕が、こんな風に彼女との今の関係になることについては想像していなかった。


 僕は、この夏を乗り越えるのに結構苦労していた。
 生き方の部分で、個人的な闘いの爪痕がいまだに心に残り、冬の寒さが少し沁みるようだった。
 だが、誰に相談出来るものでもないことを、僕は知っていた。
 魂の悩みについて、それを受け止め癒してくれるような存在など、そうそういるものではなかったのだろう。
 そして、そんな毎日を救ってくれていたのは、音楽だった。
 音楽が僕の人生にあって本当に良かった。
 改めて、心底そう思った。


 そんな日々を過ごしている毎日の中で、不意に彼女との出会いが訪れた。
 彼女の働くお店に、ちゃんとした形で行ったのは初めてという日だった。
 別の日に、イベントにほんの少し参加したことはあったのだけれど、気になるお店として心の中にずっと行きたいという気持ちが芽生えたまま、何となく月日ばかりが過ぎ去っていっていた。
 そんな経緯の中、やっと出向くことが出来たという一日だった。


 初めて出会い、そして音楽の話をした。
 ミュージシャンでもある彼女なので、共通の話題もあり、会話は愉快に転がるように進んだ印象が心に残っている。
 そして、何よりも彼女の持つ明るさと誠実さが、最初の出会いをそんな風に印象付けていたのかもしれない。


 不意の出会い。
 僕は、彼女の曲作りに少し関わることとなる。
 何度か会って、鼻歌としてストックされていた曲にコードアレンジと構成をさせてもらった。
 僕は、精神的な部分で何か新しい扉を開こうとしていた気がする。
 そんな時、彼女と出会い、自分の為にではなく、誰かの為に音楽をすることを選択した。
 それが、その時はとても自然なことに思えた。
 彼女の音楽活動に関わることを考えながら散歩をしていると、鳥の羽根が落ちているのを目にした。
 人生の選択に迷っている時。
 そっちに進んだ方がいいというサインとして、必ず鳥の羽根が目に付くのだと聞いたことがあった。
 僕は、暫く自分自身の創作を休み、彼女の曲作りのお手伝い役をしながら、夏の日々を過ごした。
 その曲は、彼女の知り合いカップルの結婚を祝う仲間達のメッセージを纏めて、一曲に仕上げていくというコンセプトになっていた。
 初めは、僕が彼女に似合いそうな曲を勝手に作っていて、それがウエディングソングだったので、後で今回の曲作りのコンセプトを聞いて、そのシンクロの凄さに驚いたことがあった。
 そんな風な話が今回は立て続けに幾つか連なり、僕がただ個人的に音楽をやることへの限界を感じていた日々に、いい意味での印籠を渡されるような気持ちになっていた気がする。


 自分と他人との間に、いままでの世界よりも精神的敷居というか、隔たりがなくなり、調和していくような世界の始まり。
 僕は、意識的にも、また無意識的にも、そんな生き方のスタンスに立とうとしていたように思う。
 何度も会って、一緒に曲を作り、彼女の素直さや人間的な魅力につして、今思い返してみると、そんなものに触れさせてもらって来た気がする。
 そういえば、僕が音楽に情熱を傾け、一生懸命に人生の逆境に立ち向かっていた頃。
 今の彼女は、丁度その頃の僕と同じくらいの歳でもあった。
 だから、不器用に転んでばかりいた僕よりも上手く、音楽と共に生きる幸せや愛をたくさく人生の中で味わい、喜びを抱きしめて欲しいと願う。
 勿論、僕は僕で音楽をこれからも楽しみ、共に頑張るつもりなのだけど。



 二〇一五年も最終月に突入していたその日。
 きららカフェでの彼女との待ち合わせに少し遅れてしまい、駐車場に辿り着くと、先にやって来ていた彼女の姿があった。
 ジョン・レノンが天国へと旅立った日の翌日。
 晴天に恵まれた水曜日の午後で、カフェのマスターとのユニット、フレンチトーストと一緒に音楽を彼女と楽しみたいと思い、カフェで待ち合わせた。
 店にはランチタイムを楽しむお客さんの姿があり、その一団が帰ったらライブをしようかなと思っていた。
 いきなり騒々しく歌い出すのもどうかと思っていた。
 するとママさんがやって来て、皆ライブを聴きたいと言ってくれているとのことだった。
 なので早速、車から持って来ていたギターを用意して、フレンチトーストライブを始めることにした。
 お客さんの中に、とても幼い子供の姿があった。
 愚図っている様子で、子供好きのマスターらしく、すぐにパーカッションを手渡し、ライブに参加させて楽しませてあげようとしていた。
 歌っていると、とんでもないタイミングで、感情の盛り上がったパーカッションが飛び込み、気分良く楽しんでくれていることが伝わって来た。
 僕が先に二曲、新曲を歌った。
 マスターのカホンは、一曲目に歌った初めて聴かせる曲にも十分対応して、リズムが踊っていた。
 カフェの午後と、アコースティックライブ。
 フレンチトーストは、もうすっかり僕の人生の一部になり、ミュージシャンとして、随分たくさんの幸せをこのカフェに運んでもらって来た、ここ数年を思う。
 三曲目になり、Yurikaさんのオリジナル曲をフレンチトーストが演奏して、楽しいひと時を、カフェに集った人々と共に過ごした。
 皆が皆喜んでくれる訳ではないかもしれないけれど、邪念なく音楽をこうして奏でていられたらいいなと思う。
 その後も数曲、僕は歌った。
 そして、Yurikaさんと一緒に歌うのにどうかと思っていた曲をやろうとした時のこと。
 ギターのキーを変えるのに使うカポのバネが、長年の疲労で折れてしまう。
 何年も使って、たった一度折れるだけの運命なのに、凄く何か分かり易いタイミングで折れるなと思った。
 これは、今日全てを終えてしまうのではなくて、また次に続けて彼女と音楽をやりなさいというメッセージのように思えたし、きっと、たぶんそうなのだと思う。



 色んな人が、今後の社会では、きっと不思議と繋がり合い、助け合って生きていくのだろう。
 それは、循環型社会の構図でもある。
 フリーエネルギーの出現を意味し、国境や宗教の垣根を人類が越えて、愛し合ってゆくストーリーへの序章の調べが僕には確かに聴こえて来る。
 そして、音楽家はそんな時代の流れを生み出す為に、人類に愛のタクトを振らなければならない。


 争いは、もういらない。
 分裂という名の幻想を解きたい。
 その為に僕は、自分の何てことのないように思えるささやかな毎日の中で、今の自分にも出来ることに心を込めて生きていきたい。
 批判をすることは、平和を生んでは来なかった。
 必要なことは、愛の実践に違いない訳で、大きな夢を思い描くことも素晴らしいけれど、目の前に起きている、とっ散らかって見える現実の中で、如何に地に足を着けて、些細なことにでも心を配り生きていけるかということの方が、これからの僕にとっては大切なテーマになって来るように思える。
 平和や希望なんて、実はその積み重ねでしかない。
 そんな歌を、僕はこれから作り、歌っていこうと思う。



 そして、昔の僕自身がそうであったように、音楽への希望や愛を胸に生きているであろうYurikaさんの人生に、これからたくさんの祝福がありますように。
 愛を込めて。