働き蟻

 消費増税が先送りとなった、梅雨の季節。
 もう、あの事故から五年の歳月が流れ去っていた。



 僕らは、働き蟻の如く、雨の日も風の日も、長き冬を越す為に労働を続けている。
 アベノミクスの経済効果は、国全体にどう影響して来たのだろう。
 実感を伴わないという声もあるけれど、結果が出るには、もう少し先のことだとする、政治のことをよく知る人の声も聞こえて来ていた。
 随分、キャッチ―なフレーズで、たぶん、僕ら国民の心を掴むのは成功だったのかなって、この言葉を初めて耳にした当初、そんな気がしていた。
 キャッチコピー的な響きは良いが、現実的にピンと来ない感覚。
 それが、漠然とした印象だった。
 僕自身の生活の中で言えば、いまだに経済的な実感はなかった。


 小泉政権の頃の話だ。
 郵政民営化
 そして、構造改革
 それらの言葉は、一体どこまでが本気で、どこからが売り文句程度の安い言葉なのか。
 当時は、インターネットも今のようには、一般に普及しておらず、政治の裏舞台の話を、庶民が知る機会は、余りなかっただろう。
 元小泉総理は、俳優のようなルックスで、パフォーマンス感覚が抜群だった。
 政治がどんな風に仕組まれ、演出されているのか、透明化されていない情報化社会の営みの中で、国民的なヒーローのように人気は鰻登りの頃があったことは、まだ記憶に新しいことだった。


 二〇一六年。
 政治についてや様々な事柄について、世界的に情報の透明化が進んでいた。
 そんな暮らしの中、政治という名のショ―は、今日も止むことなく続いていた。
 ただ一言で、ショ―だとバッサリ切り捨ててしまっては、政治という名の台本の中で、志を貫こうとしている政治家を一緒にしてしまっているような冷たい響きの言葉になり兼ねないかもしれない。
 ここで僕が言っているのは、そんな努力を巻き込みながら、政治は本来、仕組まれたゲームであるという前提で回っているということだった。
 このことについては、もはや、ネット社会の広がった世界では隠しようのないことだっただろう。


 物事に対して、文句と批判。
 そして、嘆きばかりが先行するのは、僕らの抱えた暮らしの悪い癖だった。
 ならば、どうする?
 それを指し示す為の論理を、行動を持って主張すること。
 それだけが、世の中を明るくさせるものだったように思える。
 具体案。
 それもいいけれど、実行されない案ならば、初めから何もなかったのと結果的には同じことだった。


 梅雨の日々が続く。
 当面の天気予報は、当然大抵が雨や曇り続きだった。
 心の中にお天道様を見上げることを忘れた、先行きの見えない僕らの社会の姿のように、愛の光は、厚い雲に覆われて、降り注いでは来ない。
 太陽って、僕らの心の中にある神や愛のことだと、僕は思う。
 だから、昔の人はお天道様を見上げて、という表現を使っていたのだろうと勝手な想像をしている。
 語源については知らないけれど、宇宙に存在するもの全ては、僕らの心の中に存在する。
 僕は、そう思っていた。



 税金が跳ね上がってゆく暮らしの中で、ふとこんな話を耳にした。
 美容室で、髪をカットしてもらっていた時のこと。
 頭の右側だけ短く刈り上げたまま、美容師さんが、途中、少し用事でその場を離れた。
 鏡の中に映る自分の姿を、ぼんやりと見つめていた。
 こんな風に、ツーブロックにするのも、たまにはいいかななどと思い、繁々とファンキーな頭を見始める。
 すると、美容師さんが用を終え戻って来た。
 僕が、自分の姿の映る、席の前の壁に掲げられた大きな鏡を覗き込んでいるので、何だろうといった雰囲気で様子を見ている。
 それで、こんな髪型もたまにはいいかなと思ったことについて、美容師さんに話し始めた。
 職業を選ぶので、ミュージシャンとかならばいいけど、なかなか出来ないのだと美容師さんが話し始める。
 そして、この頃は高校でも校則が厳しくなり、髪型にも色々制限が多いのだと続けた。
 「そうなんだ」
 僕は、たぶんそんな風に返答していたような気がする。
 美容師さんから聞く、高校の髪の規定は、僕が高校生だったニ十年以上も前に、校則の厳しい私立高校であったものと全く同じものだった。
 そして、市内全体の高校でも同じ流れになっているとのことだった。
 なるほど。
 どうりで最近は、以前のようなミニスカートの女子高生の姿が消え、妙にきちんとした、規定通りの制服姿の学生が街を行き来していたのだ。
 社会の小さな変化の訳について、事実関係の一端を垣間見ることとなった。


 世の中の権力構造の変化とは、なかなか興味深いものがあると思う。
 学生への厳しい学校側の対応。
 それは、北風の吹く国民生活への税金の跳ね上がりに良く似ていた。
 力で何かをねじ伏せること。
 行き過ぎた権力の行使。
 パワーハラスメント
 問答無用の縦社会の構図だ。
 二〇一六にもなって、いまだに髪型がどうだのこうだのといって、こんなにも高校の校則が厳しくなっている実情を聞いて思った。
 これは愛かと。
 まず、これは明らかに愛からではなかっただろう。
 制服等の乱れが激しい場合には、それを形作った価値が世の中に、きっとあるに違いないと見ていいと思う。
 大抵は、芸能人のファッションを、ただ真似たかったというような話だろうと思う。
 勿論、心理的に凄く追い詰められている状態にあって、心の叫びのシグナルとなり、世の中のルールに反発している場合もあるだろう。
 僕らの世代が過ごした八十年代という時代は、特に社会への反発としての校則違反という話は多かったと思うけれど、現代は、随分その辺りの事情にも変化が大きかった。
 反発するよりも諦め。
 そちらが先行する子供の姿が、印象的で目立っていたように思う。
 ハングリー世代は、僕らの世代以前にとっくに終わり、ハウス育ちも過ぎて、コンビニ化したライフスタイルの中で、物事にぶつかることや頑張ることへの踏ん張りが効かなくなった世代の姿が、そこには浮上していたように思えた。
 当然の流れだった。
 別に、特別若い世代の子供達がやる気がなくて駄目なのではない。
 従順というのとは、深い部分で違うこともあったような気がする。
 牙を抜かれたライオンのようなもので、矛盾する社会に対して、憤り、はむかうのに必要な武器や体力を、既に奪われ、与えられてはいなかったように思える。
 牙を抜かれれば、野性のライオンであろうとも気が弱くなるのは当たり前のことだろう。
 そういった現象があったように思う。
 夢が持てない子供達というような、現代を象徴するテーマにも繋がるものだった。
 勿論、夢がなければなくたっていい。
 僕は、そう思っていた。
 夢があるから、いいとか悪いというのは違っている気がしていた。
 夢が見辛い時代であることは、確かなことだったのだろう。
 インターネットが普及した社会では、子供達の心の中に溢れんばかりの情報が流れ込んでいて、自分の限界にぶつかるタイミングだって、きっと昔の子供よりは早くやって来る気がした。
 何もかもが分かり過ぎるという一面があった。
 空想している心のスペースに、あっという間に現実的な情報が流れ込んで来て、物事への結論が急がれてしまう。
 やってもみない内から、莫大のデータによって、大方の未来予想が弾き出されてゆく。
 そして、自らが自信を失っていたであろう大人達からは、どうせやっても出来ないと否定の言葉掛けが返って来ることも、きっと多かったのではないだろうか。
 自らの可能性について、否定的になっている人というのは、他人に対しても同じように否定的になってゆくものだろう。
 結局は、自分自身に対して言っている心の呟きを、他人に向けているに過ぎないのだけれど、人々は、自分に向けられた他人からの否定的な言葉を、真面目に受け取ってしまい、価値観をもろに刷り込まれていってしまう。
 本当は、自分には必要のない他人の信じている価値観だというだけの話なのに。
 その言葉に傷つくのは、自分でもかなり迷っているということなのだろう。
 迷いがなければ、大して傷つきはしないように思う。
 その言葉は、それを言っている人の人生の中での信念だということが言えたように思う。


 夢を見るならば、ハングリーな方が絶対的に有利な気がする。
 腹が減ってどうにもならない今日の現実は、人間の心を激しい上昇志向へと、きっと駆り立ててゆくのだろう。
 リッチになりたい。
 成功したい。
 そんな物質的価値の根底には、空腹という問題が直結していたに違いない。
 僕は、ハングリー世代ではないので、矢沢永吉の成り上がりのようなサクセスストーリーを地で生きることは出来なかった。
 それは、明らかに無理なことだった。
 ハウス栽培の世代なのだ。
 だから、メンタル面に弱さが目立つ世代だったろうと思う。
 だけど、コンビニ育ちとは少し違っていた。
 ハングリー世代とコンビニ世代の中間にあり、両方の性質を帯びた世代だったのだろうと思う。
 ハングリー世代ならば、厳しい学校の校則に従うのは、社会的に仕方ないことという感覚が強かったのだろうか。
 僕らの世代は、反発の姿勢が表立っていた。
 だけど、権力に対して、学生運動の敗北という一連の流れを、当然受け継いでいて、反発の根っこにあるべき思想には、貧弱さも目立っていた気がする。
 時代の流れに対しての大きな展望がなければ、そういった運動というものは、平和的なものから、暴力的なものへと移行し易くなってゆくように思う。
 志自体が、きっとまだ未成熟だったと言えるのかもしれない。
 強く貫くものが、思想の核に育っていなかったということのように思えていた。
 それでは、幾らはむかってみても、やがては権力側に圧倒されてしまうのだろう。
 もっと純粋で、気高い理想が僕は欲しいと強く思った。
 そうでなければ、閉塞したこの時代という名の獲物をしとめることなど、到底出来そうにはなかった。



 今は、諦めの時代といえばいいのか。
 学生運動に敗れ、八十年代の社会への反抗も、どことなくうやむやに終わり、突き抜けた思想にまで、僕らの魂が覚醒するには至って来なかった。
 そして、何でもあるような豊かな現代には、希望のなさばかりが目立っているようだった。
 向かうべき方向が見当たらなければ、当然反発するエネルギーは生じない。
 方向付けられることで動くことばかりが優先されて来たからなのだろう。
 これは、コンビニ化の最たる例のように思えた。
 パッケージ化された品物を与えられ、豊かさや便利さとは、創造性を日常から事極く奪う性質があったのだろう。
 何もしなくていいのだから。
 頑張ることや踏ん張ることへの目的が奪われていた。
 だから、夢を思い描き、現実を変えてゆく必要性もなかったということが言えたのかもしれない。
 コンビニがなければ、ご飯を炊いて、おにぎりを結ぶことを覚えた方が幸せが早くやって来る。
 でも、そんな面倒なことをする必要はなかった。
 コインを握ってコンビニへ行けば、用は足りていた。



 そんな豊かな時代が終焉した次は、また貧困の社会が顔を覗かせていた。
 コンビニへ行くお金もなくなってゆく。
 そして、やる気も踏ん張りもない心と、魂の抜けた貧弱な体が残っていた。
 愛が注がれていないのだから、これもまた当然の結果だった。
 愛とは、手間暇の掛かる面倒な性質のものに違いないと思った。
 子供の為に、ご飯を炊いてお結びを握ること。
 コンビニで買って来て、レンジでチンすることとは、随分温度差に開きがあった。
 でも、これもシングルマザーが幼い子供を託児施設に預けて、ダブルワークをしなくては生計の立たないような社会というものにこそ問題があったというべき事柄なのだろうか。
 社会的問題の本質を正すことへのアプローチも、複雑化の一途を辿っていた。
 簡単には、正義の図式が描けなかった。


 学校側が、厳しい校則を設けて生徒を誘導する目的は、学園をスムーズに運営するという便宜上もっともらしい理由があった。
 だが、ルールやモラルは抑え付けて教えるものではなかっただろう。
 一体、そうすることが如何に必要で大切なことなのかを、学校ならば生徒に分かるように説明出来るものでなれればならない筈だった。
 正義があるのならば、それは可能なことだったように思う。
 学校側からの、学園を運営するという目的に終始した一方的な正義などではなく、子供達側からも受け入れられ、共感を得ることの出来るルールやモラルの根っこにある目的が、きちんと示されなければならなかった。
 そういうものだから、とただ時代や社会のせいにして、物事をあやふやにして大人は逃げてばかりでは卑怯だと思った。
 仕方がないでは、もう許されない時代が到来していたように思う。
 正義は、最後には勝つという。
 嘘は暴かれるのだ。
 それは、化学の話でもあった。
 圧の高い方に、物事は流れるのが宇宙の法則だった。
 正義なきルールは嘘だから、真実を求めて人々が立ち上がれば、その意識圧の方に現実は流れるに違いなかった。
 学生運動の流れの中で、もう一歩届かなかったであろう意識の壁を、僕らが乗り越えてゆくだけの知性を磨いていたのだとすればの話だけれど。
 真実を求めようとする魂からの叫びは、人間が自らの尊厳を保とうとする愛への回帰を目的としている。
 だから、その時点で嘘のルールなどよりも圧が断然高いように思える。
 だから、正義は必ず最後には勝つのだ。


 それは、この閉塞した時代を金と力でねじ伏せようとしていた社会的立場のある人々にも当てはめて言うことが出来た。
 今、世間を騒がせていた東京都知事の問題にしてもそうだ。
 真実を求める人々の意識圧に流され、嘘は呆気なくも暴かれてゆく。
 隠して逃げることは、二〇一六年には不可能なようだった。
 学校側が厳しい校則で生徒を縛るという古い体質も、本当はもう力を持てない所に辿り着いていたのだろう。
 だからこそ、余計に校則を厳しくして、生徒の自由意思を奪う必要があったのだと思う。
 社会には、様々に余裕がなかったのだ。
 税金の高騰も、原理的には同じことだろう。


 世の中を変えるには、まず過ちに気付き、認めなくてはならなかった。
 それが、今日のこの社会の姿だったのだろう。



 時代の流れの中で、様々に掲げられて来た空論のキャッチコピー。
 その本質を見抜く世論の目が育つまで、そのキャッチコピーは、誰かが何かの目的を果たす為に、僕らの送る毎日の生活の中に登場しては、過ぎ去ってゆく。
 メディアリテラシーの低下した社会の中で、様々なペテンが、圧倒的な情報量に紛れ込んでは、息を潜め、僕らの現実を押し切り、逃げ切ろうと躍起になっている。


 お金とは。
 労働とは。
 生活や幸福とは。
 政治に期待していたであろう、僕らの欲求。
 その意味こそ、僕ら自身が見直すことからでしか、真にこの社会に変化を生み出すことなど不可能なことだった。


 蟻の巣という名の要塞。
 その営みの意味に疑問をぶつけ始めるという反抗は、虚勢を拒み、本当に正しいことが何なのかを知ろうとする、人間の美しさへと繋がるもののように思う。
 それは、決して無駄で馬鹿げたことなどではない。
 それは、決して愚かな考えではない。
 たった一匹の働き蟻が、要塞全体の目的意識に変化をもたらすことだって、きっとある。


 僕は、音楽という名の祈りの言葉に、そんな思いを込め、歌作りを続けていた。
 どんな人間だって、人は誰もが、たった一匹の働き蟻なのだ。
 あの人は才能があるから特別なのだとか、自分には出来ないというのは、本当は逃げの言葉でしかない。
 特別な人間など、一人もなく、皆同じ人間なのだ。
 自分の抱えた、ささやかな生活の幸せを守る為に働いている。
 そして、その思いは、要塞全体の営みを思うまでに、やがては成熟してゆくのだろう。
 その時、人の暮らしの幸福の意味を問う意識圧は、要塞をも揺るがす波紋となり、人々に影響をもたらし始める。
 シンパシ―が発生するのだ。



 毎日見上げる梅雨空は、泣き出す人の心のような脆さを感じさせ、不安定な表情を湛えているようだった。
 時折、辺りに轟く雷鳴。
 雷が、空気を浄化してゆく。
 僕は、雷鳴に脅える嵐の夜に、希望を探し、暮らしは続いていた。
 一国の命運を懸けた日々の中で、様々なメロディーを口ずさんでは、旋律を洗練し続けた。