子羊の悲鳴




 毎日のように、リオ五輪のニュースに沸く街は、もう四年後の東京五輪に向け、意気揚々としていたけれど、何かが狂ったままの暮らしの訳を問い質す声は、聞こえて来ない。
 大切なことって、いつも少数派の意見だし、小さなその叫び声は街に埋もれてしまう。
 東京五輪は、本当に実現出来るのだろうか。



 どうして、何時まで経っても経済ばかりが優先され、暮らしは続いてゆくのだろうという問い掛けの下に生活して来た。
 とても偉そうに物を言える程、僕自身、実際にはクリーンに生きて来た訳ではないということを、世界の真実を知れば知る程に思い知らされてゆくようだ。
 仕組まれた社会構造に操られている、僕らの暮らし。
 一つトピックが生まれる度に、一つ、またニュースが流れる度に、僕らの思考の論理展開は、物事を善悪に振り分けながら、延々と問答を続けている。
 そして、そんな思考の流れの裏の裏まで、答えは既に用意されていたかのように、実社会の歯車はよどみなく回ってゆく。
 勿論、それ程世の中は単純じゃないのだろうが、何だかそんな印象を受ける物事に幾つもぶつかる日常を見つめている。
 新しい都知事が決まった。
 アイドルグループのゴシップ記事が流れる。
 ミュージシャンが覚せい剤に手を染めて、逮捕された。
 そして、まるで何事もないかのように、地デジやFMからは陽気な音楽が流れ続けていた。
 3.11は、まるで終息したかのように。



 食べて応援組のタレントが、また癌を患い亡くなった。
 ただの偶然かもしれない。
 福一由来の放射能が原因だとは、誰にも断定出来ない。
 都内では、連日電車のダイヤが乱れる程に急病人の続出が止まらなかった。
 熱中症が原因だと、ニュースは国民に説明役を果たしていた。
 そうかもしれない。
 でも、違うのかもしれない。
 毎日、葬儀が予約待ちで続くという異常事態。
 何故なのだろうと、誰も口にはしなかった。
 ここは、民主主義の国だったけれど、3.11について語ることはタブー的な空気の中での、四年後に控えた東京五輪へと暮らしは流れ続けている。


 福一は、あれだけの悲惨な事故だったから、流石に世の中も学んで、社会制度自体の見直しが急がれるのだろうという僕の予想は大きく外れていた。
 それは寧ろ逆で、あれだけの事故だったから、もっと経済優先の流れが強くなり、問答無用で時代は福一をタブー視し続けた。
 如何にも楽しげな映像と音楽で、東北を食べて応援合戦が続いて来た。
 安全基準自体の引き上げられた食品。
 そんな危険なものが、当たり前に学校給食へと回されていた。
 僕は、その件についても、当然保護者側からの強い抗議により、社会的な不正としてすぐに問題とされ、改善されてゆくのだろうと思っていた。
 だが、その当てもあっさりとかわされ、的外れに終わっていた。
 何だか、まるで第二次世界大戦中の沖縄戦で、アメリカ兵に追い詰められ集団自決する人々のようだと思った。
 歯向かえば、非国民のレッテルが貼られ、社会的に抹殺されてゆく空気が流れていた。
 だから、誰も何も言わない。
 政治的な話題にはスル―を決め込む。
 ただ無知故の場合もあっただろうけど、それにしても酷い有り様だったと思う。


 社会的洗脳というものは、これ程までに人を愚かに育て上げてゆくものなのだろうか。
 そんな時代に対して、愚民ばかりだと、嫌味交じりに痛烈な社会批判をする人々の声も挙がっていた。
 それは確かに、痛烈な皮肉だったけれど、本当のことだっただろうと思う。
 僕らは、国家に飼い慣らされた家畜に違いなかった。
 何も自ら考えず、行動しない。
 決められたルールの中で、それなりの自由を謳歌し人生を楽しんでいる。


 東電幹部は、福一事故後にさっさと海外へ脱出して移住していた。
 福島は、ホロコーストのように県民を県内に閉じ込め、福一事故の為の保障も何もなかった。
 弱者切り捨ての社会構造が、平成の世にはっきりと姿を浮かび上がらせていた。


 テレビの人気長寿番組が打ち切りとなる。
 一時代を築き上げたミュージシャンが、長きその活動に、一端終止符を打つ。
 五月には、現職のアメリカ大統領として初となる、被爆地広島への訪問があった。
 二〇一六年。
 人類史は、その流れを大きく変えてゆくターニングポイントを迎えていた。



 この国の実像。
 僕は、そこに思いを馳せ暮らした。


 寝苦しい真夏の夜。
 テレビから流れて来るリオ五輪を観戦して熱くなる。
 それは、とてもいいことかもしれないけれど、政治的意識があって欲しいと、例えはそんなことを考える。
 政治的意識というもの。
 これは、実際どれくらいあるものなのだろうか。
 それとも本当にないということなのか。
 そこの所の本当の姿を知りたいと思った。
 あったとしても、空気を読んで黙っているのか。
 発言することにメリットがないと感じて、政治的な事柄を黙殺しているのか。
 毎日は、何となくハッピーなのだけど、足元が泥弱な平和だと感じられてならないのは、僕の思い込みでしかなかったのだろうか。


 核なき世界の実現。
 福一事故の終息方法の見つけられない被爆国は、七十一年前の広島や長崎の悲劇からの祈りというタスキをリレーのように繋ぎ、平和を求め時代という名のトラックを走り続けていた。
 核。
 この国を呪う一つのキーワードとなり、明確に時代の闇にスポットを当てていた。



 そんな日々の中で、またもや大きな出来事が起こる。
 今月である八月。
 天皇陛下は、生前退位の意思をビデオメッセージにより国民に伝えられるという出来事があった。
 その放送を観ている時、何だか昭和二十年の八月十五日みたいだと思った。
 経済戦争は、極限に達していた。
 より多くを奪い、一部が富むという社会構造のサイクルが、終焉しようとしていたのだと思う。
 天皇陛下の真剣な表情を見た時、僕は何だかホッとするような安堵感を覚えていた。
 リアルな日常との温度差のない、その表情は、血の通ったまっとうな人としての誠実さを湛えているようで、本当の声にやっと触れることが出来た気がした。
 東京五輪に向けて、お祭り騒ぎしている街に、やっと本音が聞こえて来た。
 そんな印象を持った。


 そんな風に過ごしている内に、今度は、四国の伊方原発の再稼働があり、市民団体の抗議デモがあった。
 3.11があった時に総理だった管直人が、原発の危険を叫び、そのデモに加わっている映像がニュースで流されていた。
 もし福一のような事故が起こってしまっても、誰もその責任を取らないし、またそれを裁く法もない国。
 差別と貧困。
 金持ちと貧乏人。
 東北の仮設住宅での暮らしを思うと、いたたまれない気持ちになる。
 人の心が生む卑しき悪事が正義の名を語り、目の前には、馬の顔の前に吊るされたニンジンのような東京五輪の話題を、マスコミが騒ぎ立てている。
 社会の最下層部で生きる人間の痛みなど、社会は難なく切り捨て、見殺しにしてゆく。
 多くの人がそれなりに楽しめて、ハッピーならばそれでいいということなのだろう。


 この社会は、必ず最下層部に生きる人間に、精神的、また物質的な皺寄せをもたらす構造をしていた。
 不条理。
 それを叫ぶのが、ロックだ。
 そして、それを叫ぶロックなき時代が現代だ。
 3.11の真相を追うロックはない。
 皆に不都合なロックを殺そうと、この国は決めて、時代は転がり続けて来た。
 では、一体誰がロックを殺したのか。
 それは、僕と君だ。


 街には、逃げ場などない。
 僕の心に、悲しみは鋭く突き刺さる。
 時代の末端という名の悲しみに君臨した者に、どうか幸よあれ。
 僕は、微力な自分の歌に、さあ、もう一度と勇気を握りしめていた。