祝福
節分を過ぎれば、またあの日の記憶が心の底から甦って来るようだった。
311がまたやって来る。
あの日から、もう六年もの歳月の経過を迎えようとしていた。
東京五輪。
お祭り騒ぎの日常。
人の幸せって何なのでしょうか。
僕は自分の歌だけを頼りに生きて来た。
慣れ合うことを嫌い、だが目に映るもの全ての中に宿る愛憎の全ては、僕自身の持つ観念の投影だとやがて気付いて来たような気がする。
時代は変わってゆく。
歌などは役立たずの時代だ。
日常自体が一大エンターテイメント化した世の中だ。
娯楽なら幾らでもある。
ラッシュアワーの人波に流されながら、人々はみな片手にスマホを握り締めて、それぞれに与えられた自由を謳歌している。
何も熱くなって時代や社会に立ち向かい、愛や真実などと言って叫ばなくても問題はあってないようなものだったのだろうか。
寧ろ社会や時代の価値観に沿い、従順さを上手く装って生きた方が得になるが多いことくらいは、思春期を過ぎた辺りの子供達ですら感覚的に理解していただろう。
原発利権社会に、社会の根底を揺るがす歌など登場の余地はない。
それが今迄の時代だった。
愛や真実などと言って食い下がる侍。
そんな人間は馬鹿と呼ばれ、人々からの中傷の対象となり笑い者として差別と屈辱とを与えられて来た。
人権学習は何を伝え育んで来ただろうか。
差別や偏見が、士農工商という制度からの延長線上でいまだに根強く日常を取り巻いていた。
だが人々は無自覚だった。
一体何によって自分が常識という名の観念により社会の奴隷にさせられ生かされているのかを見抜く直感型の人間など、ほぼ絶滅の様相を呈する現代。
アーティストと呼ばれる人々ですら例外ではなかった。
ゴッホやピカソが生きていたら、今の世界に何を描き出しただろう。
ピカソのゲルニカは、当時戦争を起こした体制への反骨の精神を露わした強烈な批判だったのだろう。
彼の魂は、時代によって変えられてゆくことを強く拒み続けて、一人闘っていたのだろう。
貧困が広がり戦争が近付く頃には、人々はみな心の余裕を失くしてゆく。
そして、世の中の食み出し者から切り捨てが始まる。
何が正しくて本当なのか、時代が過ぎ去ってみなければ答えが出ないのが悲しいことだと思った。
嵐の中では、誰も上空高くに輝く太陽のような心を持ち辛くなってしまうものなのだろう。
僕は悩む。
だから、僕は歌を作り歌うんだ。
何も悩んでいなかったら、僕はさっさとギターを置いて、どこかの会社に養って貰えるように楽にやれることだけを選択して生きていたのかもしれない。
だけど僕はそうはなれない性格だった。
葛藤を敢えて人生に持ち込まずとも上手くやって行けた、豊かなる時代の申し子のような団塊ジュニア世代だった。
僕は同世代の意識からも逸れて行った。
調和を乱すな。
そう言われてはよく叱られて来た。
言葉の鞭は魂を激しく虐待してゆく。
だが人々はみな無自覚なまま、常識という名の鞭を振りかざしていたのだ。
戦場では、敵国の兵士を数多く銃殺出来る人間こそが英雄という名の勲章により讃えられてゆく。
その異常性を指摘することすら憚られる。
歌の生きてゆけない独裁色に染まった憂鬱な世界だ。
そして、現代の資本主義社会はその独裁色の変化した一見自由そうに見える世界だった。
人々はみな、上を見てお零れが回って来ることを潜在的に待ち望んでいる。
僕のことだ。
だが内在神はそれを良しとは思っていない。
だから僕は葛藤を覚えるのだ。
路地裏には無数の夢屑が散らばり、僕はその泣き声のような日常の歌を耳にしていた。
生まれて来て本当に良かった。
そう思えるような人生だったら。
誰もが平等と博愛の名の下に祝福されたまえ。
僕は祝福という名のゲルニカを自分なりの筆で描いた。
魂は深い部分で真に解放されなくてはならない。
ただの社会批判の枠に留まることを逃れ、それ以上の価値を音楽として僕は結晶化させなくてはならなかった。