ALL JAPAN
ALL JAPAN
311が起きて、ガレキ一つ動かせる訳でもない音楽について考えていた。
余りにもことが大き過ぎて、音楽という名の心の友よりも取り敢えずは支援としての金品や即戦力としてのボランティアの力が必要な事態。
取り分け自衛隊員の働きがなければどうにもならない大ピンチ。
広島に暮らす僕は、相変わらず日々を記す日記のように歌を作った。
買名目的と叩かれてしまうような風潮。
それはそうかもしれない。
あの頃、歌なんて本当に役立たずでお前何を売りに来ているんだという声が挙がるのはある意味ではその通りだと思う。
ミュージシャンの出番にはまだ全然早過ぎた。
ぶっちゃけ無力というよりなかった。
知名度のあるミュージシャンでも、金や買名の為に曲を書いたと批判する声がネットの世界に渦巻いた。
僕はそうとは思っていなかったけれど。
勿論、事実は本人でなければ分からない。
いや。
もしかすると本人でさえ自分のピュアな思いからの行為であるかを思わず疑ってしまうような、それくらい人間としてのある種究極的な何かを問われながらの非日常の中での精一杯のエールだったのではないか。
極限的悲劇を目の当たりにして、簡単にそんな現実に寄り添える人間なんていないのではないか。
それでも半歩足を前へ。
困った人に僅かながらでも助けになれることを探し、祈りに似たため息を零す日々。
そんな状況だったのかもしれない。
スーパーマンもスーパーウーマンもいない。
だから震災のことを歌うには相当の重さが心にのし掛かる。
ソフトに寄り添うスタンスはそれでもまだ楽だろう。
今迄の常識、今迄の価値観に沿ってかつての生活へと街を再生に導くこと。
阪神大震災の時のドラマを思い出す。
相当にキツイ復興への道のりだけれど、それより更に過酷な状況の311という悲劇。
時代が変わってしまっていた。
本当に大変なのは、規制のルールを破ってシステムの矛盾自体に働き掛けることだったのだろうと思う。
当たり前のことをしていても国はもう元気にはならなかったのだから。
世の中にお叱りを受けることを覚悟で新しい取り組みを始めること。
ある程度のガレキ撤去後に待っていたのは、そういった険しい新境地開拓の日々に違いなかった。
もしかするとその頃には、音楽が買名などと叩かれることなくメッセージを放つことが自由に出来る日がやって来るのかもしれない。
僕は淡き期待を胸の奥深くにそっとしまった。
震災離婚。
僕らはそれぞれの価値観の食い違いに泣いた。
特に放射能という名のまるでゴースト的存在による目には見えない影響によって。
社会が機能不全に陥るようなことだけは一国を挙げて免れようと、恐ろしい程のバイアスが日常を覆い尽くして行った。
原発再稼働なんてその最たる例だった。
とにかく金儲け。
全国へのガレキの運搬と焼却。
コンクリートにも汚染物が人為的に混ぜられる。
生活用品にもだ。
事実を調べれば、恐ろしい軍国的経済活動の爪痕が残る。
そして、人々は命令されるままだった。
今の日本人は何もしない。
僕自身も含めて、日本人の生き方が露呈して行った。
二次被害、三次被害と事はゴテゴテに回ってゆく。
ただ、放射能という名のゴーストによる実害判明はすぐに望めない時間差攻撃だから証拠が掴めない。
それをいいことに詐欺が横行する。
そんなサイクルで毎日が繰り返されて行った。
放射能については、それを風評なのか実害なのかとせめぎ合って時間を使っても一向に解決は見込めない問題だった。
ただ絶対的に言えること。
それは、福一の事故は欲に目が眩んだ果てのメルトダウンという名の人災であったということ。
そして更にこの社会は、安全神話という名の滅びた決定的な過ちを今更ながらに無視して、隠ぺいや嘘を重ねながら経済第一優先主義を反省するどころか益々強固にしながら、狂乱の果てに重罪を連鎖させて行ったということ。
愚かだった。
避難地区の解除。
安全な筈のない場所に人が押し返されてゆく。
ならばそれを決定した政府の主要機関をその土地に建てて暮らして欲しい。
そんな人々の苦しい心の叫びが挙がった。
当たり前だった。
東京も相当の汚染レベルだった筈だけど、福島の悲惨さと比べれば汚染による被害レベルは当然低い。
他人事と言っていることと同じになる決定だと思った。
弱者切り捨ての政治。
そして巨額の血税が二〇二〇年開催予定の東京五輪へと注ぎ込まれて行った。
東京だって全然安全な場所じゃ、もうなくなっていた筈なのに。
日本が大丈夫なのかと考えなければならないレベルの話だと個人的には思っていた。
渡る世間は鬼ばかりというけれど、今や出世と金の為ならば何でもやるし、もう本当に大切なことが何なのか感じる心が枯れ果ててしまっているようだった。
目先のことにしか興味がない。
哀れだった。
人々は益々切迫してゆく一方の生活を抱え、時に混乱し言い争いが生まれた。
それはまさに戦中の世だった。
震災のことを歌にすることすらも何だか罪を犯しているかのような居心地の悪さが心に募った。
大学ノートにペンを走らせるが苦々しい気持ちが拭えない。
一体この感覚は何だというのだろう。
心が乗り越えられない何かに躓く。
表現力の及ばない言葉をメロディーよ、救って欲しいと心で呟く。
だが、勿論それでは作詞は完結しない。
時間だけが過ぎゆく。
何度書いても、現実が上手く描けない。
そんなことの繰り返しだった。
歌作りに於いて曲先の僕は、音楽が何を伝えようとしているのかが歌詞としてなかなか聴こえて来なかった。
僕はソングライターとしての力不足を嘆き、心の壁の前で自分に酷く苛立ち、思わずペンをへし折ってしまった。
そして馬鹿な一人芝居を続ける主人公のように深くうな垂れた。
架空のストーリーに紛れ込んで、何だか悪夢でも見ているのだろうか。
街に出ると以前と変わらない風景がそこには広がっていたけれど、これは違うと思った。
こんな風に流れてゆくことは過ちに違いない。
世の中は現実を見誤ってる。
なのにどうだろう。
そんな風に問題視する人間の方が異常とされてゆくような、差別と偏見とが日常の全てを支配してしまっていて暮らしを呪っていた。
経済優先。
命よりも身の保身とシステムの維持。
過ちを指摘する声は同調圧力下に捻じ伏せられ抹殺されて行った。
復興の掛け声と共に、食べて応援や絆の文字が至る所に踊った。
助け合いや人の心の善意。
勿論、素晴らしくて尊いことだけど…
何か引っ掛かる部分が常に心に影のように付き纏う。
システムの矛盾をぼやけさせる善意に似た事無かれ主義的空気に嘘を感じた。
放射能汚染の実態を伝える情報ソースが確かかどうかなど、庶民の目では判断がつけられないまま時が過ぎた。
憶測が憶測を呼ぶ。
信憑性のある科学的データの確保もままならず、物を言えば風評被害を煽るなとの怒りの声が逆方向からは挙がり続けた。
データに信頼性がない以上、議論しても双方の言い分に解決の見込みは用意されてはいなかった。
つまり目に見えない幽霊がいるかいないか延々と互いの主張を言い合っていることに何処か似ていた。
誰にも証拠が提示出来ないのだから、公平な判断という基準は生まれようもなかった。
人は自分の信じたいことを信じて、不都合な意見には反発を重ねる生き物だった。
放射能汚染大国日本。
今やそれが現実なのならば、放射能感知機能付きスマホが登場してもよさそうな状況だった。
金儲けに繋がるし人の役に立つ筈なのに、すぐにそういった流れが生まれない。
勿論、技術者でもない僕には分からないことだらけだったし、コスト面の問題もあるだろう。
だが、やはり放射能については何も言うなというバイアスが掛かっている。
テレビもラジオも本音の本音の大本音は語らない。
タレントがスマイルして未来を語る。
それぞれの夢を本気で追っている。
そう遠くもない未来にこの国はどうなっているというのだろう。
手放しで平和がまだ与えられる。
乳幼児のように邪気なく、かつてのままの平和な暮らしが続いていることを前提として夢を見ている。
命令されなければ何もしない。
それが今の日本人だ。
それは過ちだというより他に言葉がない。
緩い助け合いが美談になってゆく。
本質的社会改善に向かう勇気と賢さが必要な筈だった。
誰も一線は越えない。
暗黙の了承。
社会性を保つ為の虚構を人はずっと演じ続けた。
僕は日本人の持つ誇りとプライドに対してALL JAPANと歌いたい。
その為に立ち上がること。
それが真の連帯だと思った。
今のこの社会にそんな姿はほぼない。
社会は放射能問題から目を反らし逃げてる。
適当JAPANになってる。
汚染の実態の隠ぺい。
それ以外に理由はなさそうだと想像と妄想の狭間で真実を探った。
街のレストランには簡易ベクレル検査機完備。
スマホで街の空間線量の状況をさっと個人が測れて、プルームの存在をリサーチ可能とし、毎日の天気予報は福一の現状を真摯に正しく国民に情報開示する役を務める。
例えばそういった風に何故ならないのか。
そういう風な思いやりや愛が見当たらない。
本当はそれくらいしなくちゃならないような状況なのでは?
だがそうはなっていない。
今の社会にとって不都合満載だから。
本気でやろうと思えば不可能ではない気がする。
だがやろうとしていることといえば、非常に危険なトリチウムを含んだ汚染水を海洋に垂れ流して捨てることや原発再稼働だった。
全く反省のない国家犯罪の国、日本の姿がそこにはあった。
言葉が全て絵空事のように悲しく響く。
深き悲しみに打ちひしがれる北の国の人々を想うなど、心の体温差ばかりが目立ってゆくようで同じ立場には初めから立てないという前提での行為だった。
僕は巨大地震や津波によって家族や友達等の大切な人、そしてふる里を失った経験がない。
自分が知り得る限りの悲しさを思い出すように歌っているだけの人間だ。
同情するという訳ではなく、さり気なく隣に立っていられるだろうか。
あの国難によって深く打ちのめされ、実は全然まだ立ち直れていないというのが本当で、勇気を失った自分の弱さに日々躓いてしまってばかりみたいだ。
体の半分が不自由に動かせないような一国の日常に囁く。
ALL JAPAN
ずっと忘れない。
復興を困難にさせてしまった原発事故。
広島は七十年程前に一発の原子爆弾に泣いた。
空が燃え上がり、浮かび上がったキノコ雲はまるでしゃれこうべみたいで悪魔の紋章のようにこの世の果ての焼け野原の大地にのし掛かり覆い尽くした。
残された資料等から当時をイメージする。
こんな風にまた核に呪われるなど思ってもみなかった。
政府は北の国を実質的に見捨てるように東京五輪へとひた走る。
生き方、ライフスタイル自体の変換。
そのことを北の国復興の中心に据えた政策の実施を早急に望みたい。
もっと、もっと助けが必要な筈だ。
余りにも社会的な価値や正義が様々に入り交じり、一つの正しさなんて誰にも示せない時代。
だけど、純粋にただ人として押し付けることがないように寄り添う姿勢でいられるようにとだけ祈っている。
ALL JAPAN
震災発生直後の頃の心に刻んだ、犠牲者の御霊への鎮魂を願う気持ちと微かな希望への祈りの歌を捧ぐ。