SYMPATHY

暖かくなって来ると、自然と部屋で過ごしている時に、ギターを持って曲作りをしようかなという気持ちになって来る。
流石に三月がやって来るだけのことはある。



二月は逃げるというけれど、本当に時間の経過が早い。
月に一度くらいはブログを更新しておこうかと考えているけれど、今はこれといって言いたいこともないみたいだ。
もう沢山、散文を書いて来たし。
散文は、届いていく人にはとても心に深く伝えられるものがあるみたいだ。
届かない人には、全く理解出来ないものになるのか、僕の心が益々見えなくなり、どう反応していいのか困ったといった反応が帰って来ることがある。
意識がズレると、一つの言葉が違ったニュアンスで響き出してしまう。
意に反して、すれ違ってゆく心。
歌っても歌っても、全く思いが届いて行かないと思う時もある。
そんな時は、もっと素晴らしい歌を作って歌いたいって、そんなふうに思う。
独りよがりな夢を見ているかのようで、音楽で伝えられることの限界みたいなものに、ふとぶつかったような気持ちになる。
僕はここにいて、こんな風に思っているよ。
ただそれだけのことが、何故目の前にいる人に届かないというのだろう。
歌作りとは、実にその葛藤の連続であるような気がする。



散文や音楽を通して繋がった人というのは、僕にとって本当に人生の大切な財産だなと、最近つくづくそう思う。
温かな気持ちで応援しようとしてくれていることが伝わって来るからだろう。
何て有り難い話なのだろうか。
そういう時は、自分の思いがまっすぐに届いたというような手応えを覚える。
ストレートな嘘のないコミニケーション。
それがロックンロールだろう。
そこで繋がっていく気持ちというのは、本物であると信じたい。
この社会に生きている以上、様々な価値観や考え方を受け入れる心の余裕を持っていなければならないと思う。
自分の未熟さに気付かせてくれる批判を、この体で受け止めたい。
ステージに立って歌うと、その人の本音の姿に触れた気がする時がある。
僕は、ストレートに自分の思いを歌にぶつける。
歌を聴いてくれている人達との間で、純粋な何かが響き合うような瞬間がきっとあるのだろう。


シンパシー。
僕を受け入れようとする者も、否定するしようとする者もいる。
だがその全てが、嘘偽りのない世界ヘと誰もを連れ戻す作用を生んでいる気がする。
そういった視点に於いては、全てが愛だといえるのだろう。


シンパシー。
そんな場所へと僕を導いてくれているロックンロールに、今日もありがとう。